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同市YC街在住 カンナの場合④

 カンナの頭にまず浮かんだのは、「疲れてるのかな」という自己分析の文言だった。深夜のM通り商店街には人影一つなく、店先という店先にシャッターが降りている。

 この不愛想な景観には見覚えがある。夜遅くまで残業した日の帰り道としては馴染み深い光景だったし、もっとずっと前――例えば、彼女が高校生だった頃のアルバイトの帰りや、友人とつい遅くまで遊んでしまった時なんかにもこの空間を目にしていた。

 美容院の電光板。色とりどりの軒先テント。アーチ状の天窓の脇に等間隔で並ぶ照明。シャッターに描かれたグラフィティ。頭上に掲げられた「M通り商店街」と書かれた横断幕。空き店舗の目隠しの為に設置した、スマホゲームのキャラが描かれた大型タペストリー。

 その全てから色が抜け落ちていた。見渡す限りのモノクロームの世界。まるで白黒テレビが映し出す映像。彩度の無い景色。灰色の街。


 カンナはこの不可解な状況を前に立ち尽くしていた。しかし彼女がうろたえる事は無く、不思議と気分は落ち着いていた。彼女は不安や恐怖といった、理解不能な事態が惹起する感情を抱く前に、ある自然な結論に達していたからだ。

 これは夢だ――きっと私は夜遅くまで仕事をしていたせいで、事務所でキーボードを叩きながら眠ってしまったのだろう。本当はあのカギに触れる少し前から私はいつの間にか机にでもつっぷして寝ていて、それでこの夢の世界に訪れたのだろう。そう考えた。

 きっとこの風景は私の深層心理の表れだ。仕事一辺倒で疲れ切った近頃の私の目には、いつの間にか町の景色も色あせて見えていて、それが夢の中で形となった。

「という事は、つまり……」

 カンナは誰もいない世界で、誰に言うでもなく呟く。

「これっていわゆる、明晰夢なのかなあ?」

 聞きかじったことはある。夢を見ている最中に、今自分は夢の中にいると自覚し、思い通りに内容をコントロール出来る技術。それ以上の事を彼女は知らなかったが、きっとそうに違いない。そう結論付けると、彼女は早速いくつかの実験を試みる。

 彼女は欲しいものを思い浮かべて目の前に出現させようとする――失敗。そもそもハーマン・ミラーのセイルチェアとラグドールの子猫がここにひょっこり現れても、扱いに困る。次。

 皆があっと驚くような、切れ味鋭い番組企画のネタ。あるいは能率が30%向上する社内環境の改善策――失敗。

 ゲーム、『世界樹の迷宮』のような、胸躍る迷宮探索体験――失敗。せめて夢の中なら、と思ったが、魔物に引っかかれたり嚙まれたり焼かれたりで痛そうだし、これは実現しなくて何よりだった。


 何ひとつコントロール出来る事はなかった。折角珍しい事が起きているのに――カンナは次第にもどかしくなり、それも収まってくるとやがて失望に顔を曇らせた。

……事務所に帰ろうかな。カンナは肩を落としながら、とぼとぼと事務所の方へ歩き出す。色どりの無い殺風景な商店街にパンプスの底が奏でる硬い音が響き渡る。少し歩いて事務所の前にやってくると、一階のガラス張りの放送ブースの中で、ワタナベが首を吊っていた。


 カンナは時間が止まったように微動だにしなかった。彼女は自分が何を見ていて、何に出くわしたのか理解が出来ない。それでいて直感では、目の前で()()()()が生じた事を伝えてくる。

 視線はワタナベに釘付けだった。全身を脱力させ、重力に従ってわずかに左右に揺れる宙づりのワタナベ。カンナの位置から見えるのはワタナベの後ろ姿だけ。ワタナベの表情は見えない。ワタナベには色があった。青と白のストライプのYシャツに紺のツータック・スラックス。肌の色。血の気の失せた、老いた首筋。深いブルーのブレゲの腕時計。さっき会った時とは反対の右腕に付けている。ワタナベの表情は見えない。ワタナベのYシャツの襟は汚れひとつなく、手入れが行き届いていた。スラックスの着丈は極めて適切な位置に整えてある。折り目も抜け目なくきっちり入っている。腕時計の気品に満ちた針が11時を示していた。


 ワタナベの表情は知りたくもなかった。

 ワタナベを見つめる彼女は、ふいにある事に気が付いた。色があるのはガラス越しのワタナベだけではない。自分もそうなのだと。


「ねえ」

 呼吸すらも忘れて佇むカンナの背後から、ごく短い呼びかけが聞こえた。それは静まり返った商店街の中で、異様な印象で響きわたった。耳元からわずか数センチメートルの位置からの囁きのような、それでいて遠く離れた場所から呼びかけられたような、空間的錯誤をカンナは覚えた。

「ねえ」

 目を見開き、硬直状態のカンナの耳に、再び呼びかけの声が聞こえる。芯の通っていないような、輪郭のぼやけた声だった。人の声――カンナの心に、根拠の無い安心感がわずかに芽生える。 

 彼女は意識的に大きく息を吸い込み、ゆっくり吐く。振り返えると、そこには小さな子供がぽつんと立っていた。

 その子供はだらっとした姿勢で着ている黒の半袖パーカーのポケットに手を入れ、眠たそうに瞼を半分おろした目で、じっとカンナを見つめていた。黒いショートカットの髪形で顔つきは中性的。少年なのか少女なのか判別がつかなかった。この子も色は付いているようだった。パーカーの下はカーキ色のカーゴパンツを着ていて、どちらもサイズが少し大きいようで、ダボついている。

「……大丈夫?」と、どこからともなく現れた子供がカンナを案ずる。気力の抜けた、気だるそうな声だった。

「お姉さん自分の顔、今どんなか知ってる? すごい顔じゃんね。何か見つけた?」

 一本調子で平板な声が、音の無い空間に響き渡る。カンナが何かを答えるより先に、その子供は彼女にふらふらとした足取りで近づき、先ほどまでカンナが見ていたガラス張りの向こうに顔を向けようとする。カンナはとっさに目を見開き、「ダメ!」と、慌ててそれを制止する。

「うわ、びっくりした」

 と、その子供はカンナの方を振り向くが、その半開きの目にかかる瞼がそれ以上押しあがる事はなかった。

「何さ?」

「えと……その……」

 カンナはどう説明すべきか思い迷う。ブース内がどうなっているのか、何があるのか、それを言うべきではなかったし、ましてやこのような子供に見せるべきではない――例えここが夢の中だとしても。

カンナは少しの間考え、自分に注意を向ける事にした。

「ごめんね、大きな声出しちゃって」

 カンナは弁解するように言った。

「こんな不気味な場所に突然来ちゃって、ちょっと気が張っちゃって――」

「あ~……そりゃあ、ねえ?」と、その子供は消息通のように、わざとらしく肩をすぼめる。カンナはその態度に違和感を抱きながらも、話をつなげる。

「ここで、人に会ったのも初めてだったの」

 深刻な表情で話すカンナとは対照的に、その子供は軽い口調で「あ、そ」と返す。カンナはそのどこか場違いな反応が可笑しく、思わずほほ笑みを浮かべる。

「それで君は……えっと、男の子、なのかな? どこから来たの?」

 カンナはそう言いながら無意識の内に膝に手をついてかがみ、その子供と目線を合わせていた。するとずっと無表情だったその子供は、眉をしかめてカンナを正面から見つめ返した。

「……あのさ。もしかして()()()の事、小学生か何かだと思ってる?」

 長い沈黙。カンナは内心しまった、と思った。この短い交流の中で、自らがミスを二つも犯していた事に気が付いたのだ。この子は小学生でも男の子でもなかった。カンナがごまかしの為に浮かべた微笑が、行き場を失って苦笑いへと変わっていく瞬間、少女はその誤りについて言及する。

「わたし、高校生なんだよね。こう見えて」

「……ごめんなさい」

「てっきり」や「つい」といった副詞を使った一文を付け加えず、ただ謝罪の言葉のみを発したのは、不幸中の幸いだった。おかげでこれ以上、少女が自分の言葉に落胆を覚える事はない。少女はため息をつき、「まあいいや」と平坦な声で言った。

「大した事じゃないし」

 その言葉を聞いたカンナは、安堵の表情を浮かべ立ち上がる。やがて兼ねてから懸念していた事を尋ねる。

「本当にごめんなさい。それで、ここはどこなんでしょうか?」

「M通り商店街」

 少女がぶっきらぼうに答える。カンナは困惑しつつも諦めなかった。

「そうじゃなくてですね――この白黒の風景の事ですよ」

「白黒のM通り商店街――って、こんな事言っててもラチ、明かないか」

「そうですねえ」

 またしてもカンナは苦笑いを浮かべる。居心地の悪さがそれを助長する。

「……分かった。ここがどこか教える。知ってるしね」

 少女のジト目に若干の力が籠るのが見えた。それから少女はゆっくりとした口調でカンナに語った。その話し方は独特で、彼女がしばしば用いる、助詞を省く言い回しに慣れるまで、若干の時間を要した。


 端的に言って、非常にうさんくさかった。この少女が言うには、この、色の無い世界は“つながりを失ったモノの世界”らしく、現実の世界にあってはならないモノが跋扈する世界らしい。カンナ達の生きる通常の世界に存在するものは必ず“つながり”がある。人間は死ぬとその“つながり”を失い、この世界に漂着する。あるいは“つながり”が希薄になると、この世界に影響を及ぼす。そして、裏の世界とも言えるこの空間からは時々、現実の世界につながろうとするモノが存在する。それは人のような生物や物体といった形而下のモノから、法則や現象といった形而上のモノまで様々。幽霊やらUMAやら、超常現象やら、超能力やら――尋常ならざるモノは大抵この世界からやってきた“誤ったつながり”であり、その逆に通常の世界からこちらへ偶然やってきてしまう事もある。ただし、二者がそのようにして“つながる”事は決してあってはならない――そういう事らしかった。


 カンナは唸る。少女は彼女の反応を待っているようだった。苦悩するカンナの口から苦笑と共に飛び出たのは、あしらいを意味する言葉だった。

「う~ん……えっと……その、上手く言えるか自信がないんですが……もう少しブラッシュアップして、具体的に突き詰めれば、きっと何処かのエンタメ会社の目に留まる設定になるかもしれませんよ? 悪い感じはしませんが――ええと……ちょっと乱暴というか……支離滅裂と言うか……あ! ごめんなさい! 一生懸命考えた案を馬鹿になんてしてませんよ!? 凄くそれっぽいと思いますし!」

 カンナは言葉選びに夢中になる。結果として彼女は、少女の態度が変わったことに気が付かなかった。

先ほどまでの無表情ではなくなっていた。今カンナの目の前にあるのは、ひどく冷淡で、突き放すような、そんな種類の無表情だった。

「お姉さんの事も知ってる」

 少女は突然、カンナの目を冷たく見つめながらそう言い放った。

「望月カンナさん」

 唐突に出てきた自分の名前。その瞬間、カンナはついさっきまで自らが感じていた弛緩した空気が、単なる早とちりであった事を理解する。カンナは緩慢な動作で一歩後ずさり、少女の動向を窺った。そんな彼女の事を、少女は静かに見つめ続ける。しばらくして少女は言った。

「カギ、寄越してよ」

 何の事を言っているのか、カンナには分からなかった。少女はお構いなしに続けた。

「持ってるでしょ? こっちに渡してよ」

 少女はカンナに体の正面を向け、パーカーのポケットから右手を開いて突き出した。

「お姉さんさ、今、“誤ったつながり”なんだよ。さっき言ったじゃん?」

 カンナの応答が無い事も気に留めず、少女はさらに続ける。

「あるべきものはあるべき場所へ」


 気が付いた時にはカンナは、その言葉に導かれるように震える手でカギを差し出した。それはここに来てからずっと彼女の手の内にあった、ワタナベがラジオブースに落としたカギ――カンナは思った。これは私がこの手に握りしめていたものだ、と。

――本当に?

 カンナはそのカギの事をずっと意識していなかった。少女に言われて、その時初めてそれを認識したのだ。本当に私はこれを初めからずっと持っていた?

 分からない。記憶を辿っても同じだった。こんなものを大事に握りしめている理由は無い。けど実際にある。事実、それはそこに存在したのだ。

 私はこのカギを、本当にずっと持っていたのだろうか?


 結局、本当の事は分からなかった。おずおずとした手つきでカンナはカギを手渡し、少女はそれをパーカーのポケットにしまう。なぜカギを渡したのか。渡す気になったのか。カンナには何一つ理解できなかった。これは夢だ、と頭の中に自分の言葉が反響した。


 カギを受け取った少女は、すぐに背中を見せて去っていった。去り際に彼女はこう呟いた。

「カギが無くなればあとは夢、じゃんね」

 彼女の姿が完全に見えなくなるまで、カンナはその後姿を見つめ続けた。やがて少しずつ湾曲する通りの先に少女の姿が消えると、カンナは灰色の商店街に一人取り残された。彼女が思い出したように収録ブースの中を覗くと、ワタナベの姿はどこにも存在しなかった。


参考資料

・Starship「We built this city」,1985

・ASIAN KUNG-FU GENERATION「マーチングバンド」,2011

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