同市YC街在住 カンナの場合③
それから数日が経過した。カンナが担当した古美術カフェ店主のラジオ出演の件も、日に日に現実味を帯びてくる。彼女はこの件に関して、動いているのは自分一人ではない、という事にすぐに気が付いた。誰かが企画を後押ししている。その正体はすぐに察しがついた。
その「正体」に対し、カンナはある時点でそれとなく探りを入れてみる。するとセリザワは彼女に面と向かってこう告げた。
「ああ~、それな。ほら、この局小さいじゃない? 俺や望月クンは営業一本でやってるけどさ。大体の人間は営業やら監督やら企画構成やら兼任してる訳よ」
「いえ、それは知ってますけど」
セリザワさんが営業だけやってるのは、私の場合と理由が違うと思いますけど……と、意見しそうになったが、脱線しそうだったのでやめておく。
「ようするにその件の手綱を握ってる奴を落としちゃえば、もうこっちのモンになるのさ。番組に関することならなおの事、だ」
「いえ、そういう事を聞いている訳ではなく――」
カンナは改まって正面からものを尋ねる。
「なぜこの件を押してくれてるんですか?」
「え、だって後輩が頑張ってんじゃん。それくらいやらなきゃ嘘だろ?」
彼の返答はしごくまっとうな物だった。あまりにまっすぐなその物言いに、カンナはしばらく戸惑っていた。セリザワはその訳をすぐに察した。
「きみきみぃ、ダメじゃないかそんなトコで突っ立ってサボってちゃあ。仕事しなさいな、仕事ぉ」
彼は自分の評判が分からないほど、見当違いの人間ではない。彼女が自分を日頃どう思っているのか、充分把握していた。そういう訳で、彼がカンナを茶化しにかかったのは、対人的デリカシーの欠如ではない。気に入らない勤務態度の先輩。ただちょっと、やる時はやる奴――自分の評価はそんなものでいい。。それが彼のスタンスだった。
無遠慮な高笑いを振りまきながら、セリザワは事務所を去っていった。
また別の日、事務所でひとり仕事をしていたカンナの元に、REYがやってくる。
「やあやあ、もっちぃさん」
落ち着いた声音。それでいて常にいたずらを画策しているような無邪気さが含まれた声。カンナはそんな彼女の声が好きだった。好ましい事ではないが、彼女はつい頭の中でFMKブルーに契約する数人のパーソナリティの声に序列をつけてしまっている。トップがREY――本名はササキ レナ。漢字では麗奈と書く。麗の字を取ってREY。芸名のようなものだった。カンナは彼女に一握りの憧れを抱いていた。
「おはようございます、REYさん」
カンナが恭しく挨拶する。
「この前の放送もばっちりでしたね」
「ん? あぁ、まあまあ、いつも通りって感じだったけどね」
REYはけろっとした調子で、しかし満更でもない様子で口角を上げる。
「ツノダさんもいたしさ。あのベテランさんとなら大抵大丈夫だよ」
「ツノダさん、いらっしゃったんですね。お声かけておけばよかったです。私が退社する時もお見えにならなかったんですが……」
「一階にいたよ」とREYは言った。
「帰る時、見かけなかった?」
「覗いたんですけど……」
「いなかった?」
カンナは無言で頷く。ツノダはこの局が開局した平成四年からずっと働いている古強者だ。局内では誰よりも長いキャリアだったが、彼の働く姿はほとんど誰も見た事がない。彼はいつの間にか番組を企画し、いつの間にかキャスティングを済ませ、いつの間にか放送枠を決め、タイムテーブルが彼の担当する番組の時間を示すと、いつの間にか放送前のチェックを済ませ、誰よりも早くブースの隅に待機している。放送中はCMの合間などに最低限の段取りを決めるに留まり、それが済むと石のように動かずに放送を見守る。そして枠の終了と同時に、どこかへ消え去り、またどこからともなく仕事を持ってくる。そうしてついたあだ名は――
「流石FMKブルーの幽霊。噂に違わぬ影の薄さ」と、REYが仰々しく腕を組む。カンナは「でも」と、注釈を入れる。
「ツノダさん、自分でそう呼んでるみたいですよ」
「あ、そうなんだ」
「そもそも彼の事を幽霊と最初に言い出したのはご本人だ、と――」
「皆してからかってるのかと……」
「自称、だったみたいです」
それからツノダについて二三の議論が交わされた。彼はどうやって仕事を取ってくるのか。そもそもいつ出社していつ退社しているのか。何故誰もそれを把握していないのか。五年前に離婚したというのは本当の事なのか。エトセトラエトセトラーー
他愛もない噂話に花を咲かせていると、いつの間にか話題はREYの好きなアーティストの話になった。
「もっちぃもYUI、聴きな?」
軽快な口ぶりでREYが言う。
「YUIがいなかったら、私が音楽を仕事にすることは無かったし、こうして二人で話してる事もなかったのさ」
なにかの寓話に付随する、気の利いた教訓のような事を言うREY。それからもYUIについての話は止まらず、カンナは無邪気に話し続けるREYに時折相槌を打ちながら、ほどほどに耳を傾けた。
夕方になると、セリザワが眠そうな顔をぶら下げて事務所にやってくる。19時からの番組は彼が担当している。彼が一階のブース脇で進行を見守り、パーソナリティであるREYがゲストと番組を回す。定時を過ぎていたカンナだったが、彼女も残った。セリザワは「帰ったら?」と、しつこく何度も聞いてくるので、最後にはREYに注意された。
カンナは週に3度あるREYがDJを務める番組を、必ず一度は現地で聴取する。もちろん後学の為ではあるが、それ以上に彼女の声を直に(と言っても実際は締め切ったブースからマイクを伝ってくる音声だが)聴きたかったのだ。
しばらくすると、ゲストであるワタナベが事務所に姿を現す。かなりの老齢だったが、受け答えはこれ以上ないほど明朗な、快活な老人という印象をカンナは受けた。服装は青と白のストライプのYシャツに紺のツータック・スラックス。左手首には上品な青で彩られたブレゲのマリーンが鎮座している。
「おや? 随分お若いのがいらっしゃいますね?」
一通りのやり取りを終えた後、ワタナベはカンナを見て尋ねた。
「――もしかして、いわゆる新人さんでしょうかね?」
カンナが「三年目ですが」とほほ笑むと、老人は愉快そうに「結構ですねえ!」と言った。
「この局も随分昔からお世話なっていましたが――そうですか! とうとう大学卒の、それも新卒の子を入れるようになりましたか!」
セリザワがすかさず「そうなんスよお」と腕組みをする。
「今までずっとバイトやら中途やらでお茶を濁して、どうにかやってきたんですがねえ。その年だけは一人だけ採用しようって運びになったんスよ」
「――ということは、調子の方も?」
「いえいえ、んな訳ないじゃないですかぁ」
砕けた敬語でセリザワは取り入るように眉を動かす。
「逆ですよ。ここも切羽詰まってるから……だから賭けに出たらしいんですよ」
「それでは――」とワタナベはセリザワからカンナの方に顔を向けた。
「賭けには勝てそうですか? ええと」
「望月です」
カンナが言った。
「期待に応えられるかは分かりませんけど――少なくとも頑張ってます」
「謙虚ですねえ」と、ワタナベは周囲を見渡しながら言った。
「いやね。今回は僕の主宰する劇団『ファイト!』の件でお呼ばれしに預かったのですが――やはりガタの来た老人だらけ――要するにまさに僕がその筆頭なんですが――とにかく高齢者だけで組織を運営するとなると、いつか一遍に全てが吹き飛んでしまうのではないかと、怖くてしょうがないんです。もっとも、つい数年前に中年の女性も二人ほど入ってくれたので、おかげで平均年齢は随分下がってくれましたがねえ」
「その辺りに興味深いお話は――」と、話を聞いていたREYが言った。
「ぜひ本番で聞かせてくださいね。折角来てくださったのに、ここで全部お話しされちゃったらもったいないですよ?」
老人は笑った。
「それはそうだ! 話をしだすと老人は歯止めがきかなくて困る!」
「それじゃあ――」と、セリザワが待ってましたとばかりに口を開く。
「そろそろ最後の打ち合わせをしますか。まあ特番って訳でも無いですし、30分のコーナーですので、気楽な感じで、事前にお見せしたこのキューシート通りに――」
こうして彼らは長椅子に座り、打ち合わせを始める。30分ほどで確認は済んだ。オンエアはまもなくだった。
Y市、交通課からの情報と明日の天気。ジングルを挟んで番組開始。10分のオープニングトークののち、ゲスト入り。
RAY「さて、皆さんご存じの方はご存じ――なんと平均年齢は70歳越えのシニア劇団! 共生事業から生まれた「元気」がモットーの劇団『ファイト!』の座長さん、ワタナベ ジュンヤさんに今日はお越しいただきました!」
ワタナベ「どうも~。宜しくお願いします!」
彼自身の生い立ち、劇団結成のきっかけ。何度かこのFMKブルーに出演している事など、事前打ち合わせ通りのトーク。中略。
RAY「さて、公演十回目となる今回の公演です、が! ワタナベさん、まずは今回の劇についてご紹介いただけますでしょうか?」
ワタナベ「この度の公演では、久しぶりにオリジナルの脚本でやらせて頂きます。具体的に言うと、数年前にやったサスペンス物――その続編になりますねぇ」
RAY「私も拝見しましたけど――その時、ちょっとアクシデントが起こったんですよね?」
ワタナベ「そうなんです。結果的にアドリブで何とかなったんですけどね……いやいや、参りましたよあの時は! それで、ちょっと我々としても心残りがありましてね? あの劇の続編をやりたい、と『ファイト!』内でにわかに声が大きくなりまして――」
中略。
RAY「と、いう訳でワタナベさんのリクエスト曲、ボブ・ディランの「ミスター・タンブリンマン」でした~。どうでした? 思い出の一曲という事で」
ワタナベ「いやあ懐かしいですねえ。特に今となってはバーズの方がどっちかというと有名でしょう? 僕は当時からディランが――」
以降も台本通りに進行し、番組終了。
「お疲れさまでした!」
事務所に戻ったセリザワ、ワタナベ、RAYはそう声を合わせて、間もなく解散した。ワタナベは人を待たせているとの事で、いそいそと退出してしまう。RAYも同じだった。
「10時からバーでライブあるんだよね」
一言だけ告げて、彼女も帰路につく。
「お前、どうすんの?」と、セリザワがカンナに尋ねる。
「今日はもう番組も無いし、あとは音楽流してるだけだぞ?」
「そうですねえ。あと少しで仕事も終わりますし――ちょっとだけ残っていきます」
「おいおい。もう9時だぞ? オンエア中何してたんだ?」
「……仕事してました。ラジオ聞きながら」
「一時間もかい。んでまだやってくって――まあいいやぁ。ならちょっとここちょっとばかし任せても大丈夫かあ?」
「ええ、大丈夫ですよ。どちらへ?」
「飯。昼から何にも食ってないんだなあ、これが。あとさ――」
立ち上がり、ふらふらと事務所の扉を開けながらセリザワが付け加えた。
「ちょっとブースの方、見といてくんない? 特にノイズフィルターとか」
「え、正常じゃなかったですか?」
「微妙に音がねえ。まあちょっと見といて。んで、出来れば直しといてよ。分かる?」
「一応、何となくでよければ……」
「んじゃ頼みますわあ。一時間くらいで戻るよお、っと」
セリザワは背中越しに手を振って出て行ってしまう。カンナは大きなため息をついてから渋々一階のブースに向かい機材を確認する。見ると、ノイズフィルターのコードが抜けかけていた。上で聴いてた私は気づかなかったのに――カンナは先ほどとは違う種類のため息をつきながら、コードを差し込む。立ち上がってブースの方を見ると、床にカギが落ちている事に気が付いた。
誰のだろう? 落とし物かな? 彼女は訝しみながらそれを拾い上げ、まじまじと見つめた。良く見る形のカギだった。家や店舗のカギ、施設や設備のカギ――様々な連想がやってくる。とはいえ、自分が見知ったカギとは違い、少しサイズが大きい気がする。特注もの? それとも専門的な機材のカギ? ――分からなかった。
多分さっきまでいた誰かの落とし物だろう。カンナはそう判断し、再び事務所に戻るとデスクの上にそれを置き、パソコンに向かって仕事を再開する。11時を過ぎても、セリザワは帰ってこなかった。
それからほどなくして、ワタナベから事務所に電話があった。落とし主は彼だった。電話越しにひどくうろたえる彼は、さっきまでとはまるで別人のような乱暴な口調だった。彼は大きく動揺し、声を荒らげてその鍵に極力触れないようカンナに忠告する。その旨をただただカンナは了承するしかなかった。通話が終わると、彼女は受話器を持つ自分の手が小刻みに震えている事に気が付いた。受話器を元に戻した後も、しばらくそれは続いた。
ワタナベはここへこのカギを取りに来るという。それも今日中に。よっぽど重要なものなのだろう、とカンナは思った。
カンナが卓上のカギを遠巻きに見つめると、事務所の照明を受けて鈍く光るのが見えた。何気なくデスクに近づき、そのカギを手に取った。それから一度、瞬きをする。長い瞬きだった。疲れと眠気がそうさせる。
目を開けると彼女は事務所ではなく、その外側、M通り商店街の中央に立っていた。
参考資料
・Starship「We built this city」,1985
・ASIAN KUNG-FU GENERATION「マーチングバンド」,2011




