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同市YC街在住 カンナの場合②

 この仕事を始めて2年。大抵の仕事は慣れつつあるカンナではあったが、客先に出向くのは未だに苦手意識が強い。ある程度道筋が決まっている仕事とは違い、客によって対応を変えなくてはならない、その柔軟性が元凶だった。彼女は未だその手のやり口が未完成であり、紋切り型の営業になりがちだった。無論その事についての自覚も充分すぎるほどあり、それがまた彼女がこの業務に二の足を踏む大きな理由のひとつになっていた。

 一方でセリザワは見事だった。一般客の宣伝や告知から、Y市の自治体の広報依頼まで、彼はそつなくこなす。込み入った案件も、彼が関わり合いになった途端、ものの一時間もあれば話をまとめてしまう。

すごいなとカンナは常々感じているが、余計に彼の勤務態度のひどさが際立って見えてしまう。

――真面目にやればいいのに、とカンナは常々そう思っている。


 カンナは事務所に戻ると、セリザワに事の顛末を話した。

「へえ。思ったより大きな話になったじゃないの」

「ちょっと私個人の手には余る話になってしまいました……」

「いいじゃない。上手くやれば望月君の為にもなるよぉ」

 相変わらず他人事のような適当な物言いに、カンナはまたため息をつく。

「それにしても……私が出ていく前からまったく変わらない体勢ですけど――」

 彼の態度が気に入らず、まるで話を逸らすようにそう指摘してしまう。カンナの言う通り、セリザワは昼休憩の時と同じ椅子に座り、これまた同じように机に脚を乗せてだらしなく座っている。相違点はイヤホンをしている、ただ一点だけだった。

「失礼だなあ」と、セリザワはあっけらかんとした声音で得意げに言った。

「君に言われた通りちゃあんと放送がつつがなく進行してるか、こうしてチェックしてたんだよお」

 カンナは「あぁそうですか」と素っ気なくジト目を向ける。

「どうもアリガトウございました。頼れるセンパイ」

 彼女はそう言い捨て、ペットボトルのお茶をぐいとあおってからセリザワの対面に位置するデスクにどっかと座る。自らの意見を態度で示したカンナをしり目に、セリザワは「なあ」と、いつもと変わらない様子で二つ折りにした新聞――カンナは見ていないが、どうせ競馬新聞だ、と触れずにいた――越しに話しかける。

「明日の夕方のイブニング・ブルー、ゲストさん誰だっけ?」

「……今日はワタナベさんっていう地元の劇団の座長さんですよ。今度の公演の宣伝、でしっけ?」

 パソコンを立ち上げ、ジト目のまま作業をしていたカンナは、しぶしぶそう返す。セリザワは「嘘お!?」と前のめりになる。

「あの人、来週じゃなかったっけ!?」

「……いえいえ、今日ですよ。というより――」

 カンナは画面から顔を上げ、目つきそのままに彼を見た。

「――そういう見え透いた演技はやめてください。気を引こうとしてもムダですよ」

「……やるねえ、望月チャン」

「はあ……いつもコメントに困るとそうやって困ったフリして注意を引こうとするじゃないですか。この間の打ち合わせだって――」

「ストップ、ストップ。そこまでにしとけ? 俺がひどく傷つく」

 傷つくようなメンタルしてないくせに、とカンナは頭の中でぼやき、再び画面に目線を移す。セリザワは鼻を鳴らして言った。

「でさ。あの人引っかけてきたの俺なんだけどさ」

「はあ」

「すっげえ興味ないじゃん……まあいいや。聞けよ。あの人、何か怪しいんだよ」

 突拍子の無い意見に思わず「え?」と、思わず顔を上げる。

「どういう事ですか?」

「いやね? 打ち合わせで何度か会ってるんだけどよ。面白い人だなあっていうのが最初の印象だったんだよ。あの人がやってる劇団も――「ファイト!」っていう名前なんだけどさ――愉快な名前の劇団じゃない? ……聞いてるか?」

「一応、ざっくりは。まあ興味深い事ではありますね。それで――」

 カンナは訝しんだ。

「――それで、どこが怪しいんですか? その方」

「これは単なる俺の勘なんだけどさ」

 セリザワは机に乗せた足を下ろし、にわかに身を前に乗り出す。

「あの人、何か隠し事してるよ」

「はあ」

「うっわ、また興味無しかよ」

「そうは言っても……本当にあんまり興味ないですし、隠し事なんて誰にでもあるじゃないですか」

「あそ。じゃあいいや。こぉんなセンセーショナルな話題、他にないぞお?」

「う~ん……俄然興味なしですね」

 カンナは満面の笑みで否定の意を示す。セリザワは何も言わず、ただのけぞって手で顔を覆って失望の意を示すが、それも大した効果は無かったようで、しばらくカンナがキーボードを叩く音だけが事務所に響いた。カンナが席を立つと、セリザワは机に突っ伏して眠っていた。


 数時間後、定時で帰宅するカンナは、入れ替わりでやってきたパーソナリティのREYに向かって頭を下げる。

「それではよろしくお願いしますREYさん」

「はいはい、了解ですよもっちぃさん。いつも通り任せてくださいな」

 REYは艶のある緑髪を輝かせながら自らの胸を叩いた。彼女はY市で活動するアーティストだ。カンナの3つ上で、普段はYC街で音楽教室を営みながら、時折自らバンドを率いて街中でライブを開催している。YC駅前でたまに弾き語りをする彼女の姿を見ることもできる。いわく、「いつまでも初心を大事に」だそうだ。

「あの――」と別れしな、カンナは恥ずかしそうにREYに言った。

「あの、職場ですし、その……〝もっちぃ“って呼ばれるの恥ずかしいんですけど……」

「え、イヤでした?」

 REYがひどく残念そうに彼女をのぞき込む。しばしの葛藤の後、カンナはその表情に負け、「いえ……そんなことはないですけど、」と小さく呟いてしまう。言ったが最後、REYはカンナの頭をひとしきりくしゃくしゃにし、「良かったぁ!」と笑い続けた。結局呼び名はこれで継続する事になりそうだった。


 マンションの自室に帰ったカンナは真っ先にシャワーを浴び、作り置きのチャプチェを食べ終わると、パソコンでディスコードを立ち上げる。自動ログインが済むと、早速通話の要求がやってくる。常日頃から通話している友人――彼女はイヤホンをはめ、通話開始をクリックする。

「よっす」

 友人の「ナツメグ・シンポジウム」の第一声がすぐに聞こえてくる。カンナは「どうもー」と余所行きではない自然な声音で挨拶を返す。それからコーヒーを一口飲み、「仕事終わりですか?」と軽い気分で質問を投げかけた。ナツメグ・シンポジウムは「いやいや」と自嘲の吐息交じりで返事をする。

「うち、働いてないし。てか、モッチィも知ってんじゃん?」

 ナツメグ・シンポジウム特有のはっきりしない、もにゃもにゃとした声がカンナの耳を通る。

「だからずっと引きこもってた」

「ですよねえ」とカンナは苦笑いする。

「ごめんね、分かってて聞きました――でも少しは外に出た方がいいですよ。ご飯とかは相変わらず?」

「ウーバー」

「う~ん、絵に書いたような隠居生活……メグさん、お見事です」

「よせよせ。うちにも恥ずかしいという感情はあるのだよ」

「褒めてはないです」

 カンナが冗談めかすと、ナツメグ・シンポジウムは鍋の中で沸騰するお湯のような笑い声を上げた。その間にカンナはFMKブルーのサイトを立ち上げ、オン・エア中のREYの番組を裏で流す。


 ナツメグ・シンポジウムというのは、当然本名ではない。カンナが大学時代にプレイしていた、とあるオンラインゲーム上で知り合った人物だ。カンナの方は「モッチィ」。そのゲームを始めるにあたって、およそ8秒で考えだしたハンドルネームだ。つまり偶然にもREYの編み出した呼び名は、偶然カンナのハンドルネームと一致していたのだ。彼女から呼ばれる度に生じる恥ずかしさは、ここに起因している。


 ナツメグ・シンポジウムとモッチィは出会ってから頻繁にチャットを交わすようになった。そのうちに、どうやら二人とも同性らしいという事が分かると、その仲は強固なものとなり、以後ゲーム外でも交流する友人となっている。

 二人とも互いの本名は知らない。どんな容姿かも知らない。しかし、そもそもその点については、互いにそこまで現実の実態と実体に興味がなかった。それがまた二人の相性の良さに拍車をかけた。

 カンナの方は細かい情報はうやむやにしつつも、当時大学生であったことや現在はラジオ局員である事を正直に伝えている。

 一方のメグ(ナツメグのメグ。この呼称が定着した時期は二人とも覚えていない)は高校卒業後、ふらふらといくつかのアルバイトを転々とした挙句、東京オリンピックにまつわる土地やら企業やらの証券で一山当ててしまった幸福な成功者である事をカンナに明かしている。

 今では彼女はどこかの地方都市(詳細は教えてくれなかったし、カンナ自身も興味はなかった)で悠々自適に生活している。現在18歳。投資に用いた金の資金源は実家。未成年であり責任能力が無いというハンデはそのまま父母の名義が威力を発揮し、障害にはならなかったようだった。どうも彼女の両親は資産家らしい。が、それ以上の事は触れず、これまたお互い非公開情報のひとつとして処理している。


 波長の合う単なるネット友達――少なくともカンナはそうとしか思っていなかった。それゆえに、以上の事柄が全くの事実無根、嘘八百のプロフィールだったとしても、驚きはするが、それを告げられた翌日にはいつもと同じようにゲームを一緒にプレイしたり、馬鹿げたネットの言説を茶化して笑いあったりして過ごすのだろう。

 それがこの関係における、彼女のスタンスだった。彼女が無意識の内に敬語で話しかけているのも、心地よい距離感を楽しむ為だった。


「ってかさあ、モッチィさんよぉ」

「何でしょう?」

 問いかけられたカンナが反射的に言葉を返す。裏で流したラジオからはREYの弾む声が聞こえていた。どうやら彼女の好きなアーティストであるYUIの話をしているようだ。彼女の高揚した、若干抑えがきかなくなっている声が気にはなったが、カンナはそちらに意識を偏らせないよう気を使いながらメグの言葉を待った。

「好きなものがネットでこき下ろされてるのが、我慢ならないんだけど」

 またその話ですか――カンナは苦笑いしながら「またその話ですか」と、思った事と全く同じ事を言い放った。

「また、ってなんじゃい。うちはあと五千回はこの事を誰かに言わないと気が済まない」

 苦々しい口調だった。が、言葉の角という角が削り取られたような粘着質な高音の声質が、その切迫感を著しく削いでいる。まるで草食獣が比較的安全なテリトリー内で青々を茂った若草を食みながら、群れの仲間と昨今の例外的気候について意見を交わしあっているような、どこか微笑ましい情景をカンナは思い起こしていた。

 そんな訳で、カンナの口からは「はいはい、それで?」と、小さな子供に問いかけられた時のような言い方が漏れ出した。メグはその事に気が付きもせず「だってさあ」とこぼす。

「うち、“ポーリーと蒸気の街”って映画、好きじゃん?」

「それは初めて聞きました。そうなんですねえ」

「……もっちぃは見た?」

「だいぶ前の事で、あんまり覚えてないですけどね」

 それからは怒涛の勢いだった。メグはいつものようにネット上の通説、つまりは「ポーリーと蒸気の街はいわゆる駄作に相当する映画である」という風潮に我慢がならない、という意見を延々と語り続けた。その長い語りがようやく終わると、カンナはこう言った。

「人それぞれですよねえ」

「うあー」という、慟哭の声がカンナのイヤホンを満たす。所々がノイズキャンセルされ、何だか歯切れの悪さを感じる。

「違うじゃん違うじゃん! てかモッチィは見た後どう思ったのさ!?」

「ええと――確か」

 その時の感想をカンナは思い出そうとした。それらしいものが頭の中から提示されると、これは正直に言っていいのかなという躊躇が去来する。それを察したナツメグ・シンポジウムは「どんなんでも可!」と但し書きを入れる。カンナは「えっとですねえ」と躊躇いがちに感想を述べた。

「面白かったと思いますよ、一応」

「……一応!?」

 メグが恐る恐る尋ねる。カンナは「そうです、一応」と返す。

「正確に言うと、良く出来てるなあ、っていう感想でしたね」

「なんかフカン入っててムカつく」

 カンナは気にせず続けた。

「見てる人の感動を引き出すのが上手だなあ、って。その時、確か友達数人で映画館に行って見たんですよ。見終わって劇場を出ようと席から立ちあがった時、私はそう思ったんです。良く出来てたなあ、すごいなあって。で、隣の席の友達をふっと見たら、座ったまま号泣してたんですよ。それで、思ったんです。あ、やっぱり良く出来てたんだなあ、って」

「うあー」と、またノイズキャンセルに寸断された笑いがカンナの耳元を襲った。

「なんで言わないのさ!? 面白かったのか、そうじゃなかったのか! 好きなのか嫌いなのか!」

「ええと――面白かったですよ」

「だよね!?」

「でも、好きではないですね」

「なんでさ」

「なんでしょう――例えばですけど、こうやったら感動を呼ぶだろう、っていう映画の作り方、すごく大事ですよね?」

「まあ」

「でもそれを包み隠さずやっちゃったら、どう思います?」

「なんか意図が透けて見えてうさんくさい」

「ですよねえ」

「つまり?」

「……透けて見えちゃったんですよねえ」

 わざとらしくしんみりした口調でカンナは呟く。メグはしばらく黙っていた。うっすらイヤホンから唸るような声が聞こえてくる。やがてメグは「なるほど」と小さく発した。

「言われてみれば、なんかそんな感じする、かも……」

 メグが唸ると、カンナは慌てて「いえいえメグさん、一つ言っておきたいことがあります」と言った。

「今のは単なるひとつの意見です。それこそメグさんの嫌いなネットの風潮と何も変わらないんです。年上としてアドバイスしますが――」

 彼女はここで強調するように言葉を区切る。

「決して人の意見を鵜呑みにしちゃいけません。メグさんの好きなものは好きなもので良いんです! 私も充分気を付けてますが、自分が触れて、自分が思った事を一番大事にしましょう」

「……はい?」

「私だって似たような事思ってますよ? 例えば昔の映画でアクムマンっていう超絶駄作があって、私それ大好きなんですけど――」

「自分で駄作って言っちゃうんだ」

「事実ですから。でも大好きで何回も見返してますよ? で、ネットで検索してもらえれば一発で分かりますが、アクムマンは物凄くこき下ろされています。低予算が生み出す画面の陳腐さ。原作は名作だと言われているのに映画ではそれを微塵も感じさせない脚本のグダグダさ。主演の大根役者具合――挙げればきりがないほどダメな点がたくさんあります」

「そんなん好きになれるのかい。……ネタ?」

「違います、心底好きなんです。でも同時に、あらゆるダメさ加減から面白くは思ってません」

「なにそれ狂信者じゃん」

「ある種、そうでしょうね。でもどれほど批判されても笑われても、あの映画は意義深い映画なんです。私にとって」

「はあ」

「だから誰が何と言おうとも、自分の好きなものは好きと言い張りましょう!」

「いやさ」

「何でしょう?」

「大丈夫だよ。うちの中でのポーリーの評価は変わらないよ。何だってそうじゃん? “好き”と“楽しめた“は違うし、“嫌い”と“面白くない”は必ずしも両立しない。世の中、何事も表と裏な訳さ」

 メグは訳しり声でそう言った。

「さっきも別にポーリ―が好きじゃなくなりそうだった訳じゃないよ。ただあんたセンス無いなあ、くらいにしか思ってないから」

「あら」

 カンナはこの一言に、気品ある艶めかしさをわざとらしくふんだんに散りばめた。二人は笑いあった。ノイズキャンセルがお互いの耳元であくせく働き、何が起こっているのか分からなくなるまで二人は笑い続けた。


 その間にもFMKブルーのラジオは進行を続けた。ある時点でREYが「あるべきものはあるべき場所へ」と、普段の彼女からは想像も出来ないような冷たい声で話すのを、カンナは聞き逃さなかった。


参考資料

・Starship「We built this city」,1985

・ASIAN KUNG-FU GENERATION「マーチングバンド」,2011

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