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同市YC街在住 カンナの場合①

「――それでは今日も元気に、いってらっしゃい!」

 一階のブースから、ラジオ・パーソナリティのイシカワが朗らかに番組終了の一声を上げると、カンナの喉から思わず深いため息が出る。これは癖のようなもので、彼女はここFMKブルーのラジオ局に入社してからすでに150回ほどの同じ音色のため息を奏で続けている。 


時刻は午前9時50分。タイムテーブルではこの後一時間ばかり音楽を流し、11時からは交通情報や天気予報、それにここY市の情報を伝える番組が始まる。

 二階の小さな事務所でノートパソコンから番組を聴いていたカンナは、一階の放送ブースから階段を上がってくるイシカワの足音を聞き、立ち上がった。

「お疲れさまでした!」とドアを開けて事務所に入るイシカワに向かって、カンナは会釈をする。イシカワは澄んだ川のせせらぎのような声音で同じように挨拶を返す。

「望月さん、そういえばあそこの新しい洋菓子屋さん、もう行った?」

 イシカワが雑然とした事務所に快活なヒールの音を響かせながら尋ねる。カンナが「いえ、どこのですか?」と尋ね返すと、イシカワは自嘲気味に息を吐く。

「ああ、やだやだ。そことかこことか――いいから名前言いなさいよ、って感じよね。歳かなあ」

 カンナが「よくあることですよ」とフォローすると、イシカワは微笑を浮かべる。

「ここのすぐ近くにね――このM通り商店街の中なんだけど――シュークリームが売りの洋菓子屋さんが新しく入ったのよ。それが本業の仕事仲間の間で評判でね。私はまだ食べた事ないから、望月さんもう食べたかなあ、って」

「まだ、ですねえ」とカンナはぼんやりと顎を上げた。

「この職場の皆さんもまだなんじゃないかなあ」

「あら残念。感想聞きたかったんだけど――実は何を隠そうあのお店、私の知り合いが始めたお店なのよ」

 イシカワはまるで自分の事のように胸を張った。カンナはその仕草がツボに入り、笑いをこらえられなかった。イシカワはしてやったりという表情を浮かべる。カンナは「そうだったんですね」と笑いながら言った。

「なら今度、是が非でも行きます! それにしても、イシカワさん相変わらずお友達が多いんですね」

「そんな事ないって。長く地元に縛られて生きてると、否が応でも顔見知りが増えちゃうのよ」

 イシカワは“今まさに自分は講釈を垂れています”という、表情を作ってそう言った。

「望月さんいくつだっけ?」

「25です」

「25かあ! いいわねえ、何にでもなれちゃうお年頃じゃない。私みたいに40年以上この街にいると、そんな女の子でも、こんなんなっちゃうから気を付けてね」

「“こんなん”で良ければ」とカンナは目を細めた。

「喜んでなりたいですけどね」

「あら、歳の割にマナーがなってるじゃないの。今度また飲みに行きましょ。それじゃお疲れ様」

 イシカワはそう言ってカンナの肩を軽く叩き、手を振りながら階下へと去っていく。ラジオはこの後、パーソナリティ不在のまま、一時間音楽を流し続ける事になっている。常に番組が流れ続ける全国ラジオとは異なり、このFMKブルーではこのような隙間が一日のうちに都度生じる。ラジオからはスペースシップの『ウィ・ビルト・ディス・シティ』が流れていた。


 ここFMKブルーはY市にあるコミュニティFM放送局だ。局はY市の繁華街、YC駅前から徒歩5分の場所に位置するM通り商店街の中央にある。一階は全面ガラス張りの放送ブースで二階が事務所。従業員は20人以下。パーソナリティは5人いて、月替わりでゲストDJが担当する番組がある。望月カンナは2年前に入社したばかりの新人だった。

 大学を出た彼女がこのような道に進むという事は、誰にも想定出来ない事であった。事実入社当初、ラジオ局で働くことになったと彼女が、当時中学2年生だった弟に告げると、彼は目を丸くした。

「え、ラジオ局っていっつもせかせかしてる人たちの集まりなんじゃないの? いつもぽわーってしてる姉ちゃんに務まるの?」

 最もこれは彼なりに随分と角を取った言い方だった。本来はより鋭角な言葉が投げかけられる予定だったが、彼女の弟は歳の割には分別がついたので、すんでの所で以上のような問いかけに収まったに過ぎない。

 事実両親は彼女の身を案じた。彼らは具体的かつ実際的な感想を述べ、おかげでその夜は一波乱生じざるをえなかったのだが、カンナは明確かつ確固たる意志でもって暴れ散らかし、事なきを得ることとなった。ただ、翌日になって彼女が思い返すと、ラジオ局で働くのが別段、幼い頃からの夢だった訳でも、まして明確な将来像を思い描いていた訳でも無い事に気が付いた。ようするに、何となく選んだのだ。その何となくの為に、彼女は他に獲得していたいくつかの内々定を蹴ったのだ。

 どうしてここまでこの仕事に執着を持っているのか、そもそも何故この職に就こうと思ったのか自分でも分からなかった。こうして彼女はただ何となく、どこから湧いて出たのか定かでない強い拘りを抱えながら、この小さなラジオ局の一員となった。自らの生まれ故郷で、変わりゆく我が街の情報発信を担う者へと。


 昼休憩が終わりカンナが事務所に戻ると、セリザワが外回りから戻ってきていた。

「おう、お疲れ様」

 社員共用のデスクでカップ麺をすする彼が、ぶっきらぼうに挨拶する。その手元には競馬新聞が堂々と広げられていた。カンナは「またかあ」と思いながらも、「お疲れ様です」と返す。

「先輩、午前中はまたサボりですか?」

 カンナの呆れた声に、セリザワは歯の間から笑い声を漏らしながら「そうだよ」と言った。

「いやあ、ほら。M町に新しくパチンコ屋出来たじゃん?」

「できましたね」

「町の情報屋さんとしては見逃せないわけよ」

「それで朝から?」

「並んでたって訳よ」

 とうとうカンナはため息を抑えきれず呟く。

「……部長に何て言ったんですか?」

「午前早くに番組の打ち合わせがあるから出社せずに現場直行しま~す、ってさ」

「もう、大きな会社じゃないんですから」とカンナは指摘した。

「私一人だったんですよ、午前中。放送中何かあったらどうするんですか」

「いやいや」

セリザワは悪びれもせずに口角を上げる。

「お前いるし大丈夫だろ。事実大丈夫だったじゃん? 頼れる後輩クン」

「どなたかに言いつけますよ」

「君はそんなヤツじゃない。俺は良く分かってるのさ。それに――」

 セリザワはカップ麺を啜りながら続けた。

「それに35を超えるとさ、ずっとしゃちほこ張ってられんのよ。淀みなく生きていくにはどこかで手を抜かなきゃダメになるのさ」

 カンナはイシカワの事を思い出し、目の前のだらしない先輩と比較を試みた。うんざりする事は目に見えていたので、キリの良いところで止めることにする。

「とにかく!」とカンナは腰に手を当てて息まいた。

「午後は私もお客さんの所に行かなくちゃなので、ちゃんとここにいてくださいね?」

「保証はぁ、しないよお」

 彼はおどけるように言った。それを傍目で見ながら、カンナはまたため息をつく。そのまま彼女は何も言わずに事務所の入り口に向かい、その場を後にした。


カンナは歩いて5分ほどの位置にある駐車場に向かい、社用車であるスズキのアルトに乗る。「――仕事は出来るのになあ」と、彼女は運転席で独りごちた。

「どうしてもっと自分を有意義に使わないんだろう」

 エンジンをかける前に彼女は天井の日よけを倒し、ミラーをのぞき込みながら髪形を直した。後ろで束ねたポニーテールをほどくと、空色の細い髪が一瞬重力から解放され、鮮やかに宙を舞う。それから改めて髪をまとめ直し前髪を整え、「よしっ!」と鏡に向かって微笑むと、彼女はゆっくりと車を走らせた。カーラジオをつけると、FM横浜が流れだす。話の流れは途中から聴きだしたので分からなかったが、ラジオパーソナリティがインボイス制度について個人的見解を述べている最中だった。


 午後14時半。カンナはYC街から車で15分ばかり南下した先の、海沿いの古美術カフェを訪れていた。

「ごめんくださぁい」と彼女が気後れしながら扉を開けると、店主である中年の女性がやってきて、「いらっしゃ~い!!」という大きな声で応じた。カンナはその声量にやや委縮しつつも、ぎこちない笑顔で答える。

「あの、FMKブルーの望月 カンナと申します。本日は、その宜しくお願いいたします」

「ああ!」

 ()()を思い出した店主は、またしても大きな声を張り上げた。

「そういえば今日でしたね! ごめんなさいねえ、忘れてた訳じゃないんですけど――ここ数日ずいぶん忙しかったもので。ええ!」

「えと、いえ、お気になさらず」

 店主の闊達な調子に気圧されつつも、カンナは最低限の言葉で返し、店主が勧めるがままに店の奥にあるテーブル席に座る。ほどなくして店主も対面の席に座り、コーヒーを出す。カンナは礼を述べ、店内を見渡す。

 古美術カフェの名前通り、店内は雑多なインテリアや小物で埋め尽くされている。店内には二段式のウッドラックがいくつか備え付けてあり、そこには焼き物の花瓶、皿や壺なんかが大量に鎮座している。その隙間のあちこちには、火鉢やヒョウタン、提灯なんかも置いてある。さらには店の中央には武将の着る甲冑が置いてあり、脇差を腰に装着した状態で堂々と飾られている。

――古美術。カンナはその言葉を頭の中で繰り返した。彼女が初めに抱いた感想は、「一貫性が無いな」だった。

「節操ないでしょ? うちの品!」

 まるで、心の内を見抜かれたような一言が店主から飛び出し、思わずカンナは飲みかけたコーヒーを吹き出しそうになる。ケホケホと咽る彼女の様子を店主は愉快そうに眺めた。

「お、図星だなあ、若いの? まあさ、古美術って言ってもさ、色々あるのよ。ほら、分かるでしょ? 焼き物一つとっても、陶器やら磁器やら、美濃焼やら有田焼やらなにがし焼きとかさ。」

「そう、です、ねえ」

 カンナは咳き込みながら、辛うじて同意の意を表する。またしても店主は歯を露にしながら大層面白がる。

「オマケに甲冑ときたもんだ! コンセプト? 開店当初はあったさ! でも、お客さんが来て、気に入ったものが買われていくとさ、また補充する訳よ。で、それがまた買われて――」

「気が付いたら、こうなってた――ですか?」

 カンナが目を細めて愛想笑いする。「その通り!」と店主はカンナを楽しませようとでもするような、芝居ががった口調でそう言った。

「それで、こうなっちゃったって訳! でさ、このままでもまあ良いっちゃ良いんだけど――もっと、貫徹したコンセプトの展示物があってもいいんじゃないかあ、って考えた訳!」

「そうなんですね」とカンナは相槌を打った。その時彼女は目の前で説明された事よりも、「この方、“訳”って語尾に付けるの口癖なんだろうなあ」という、全く別の発見に考えを支配されていた。さしもの店主もこの思考の跳躍を察する事は出来なかったらしく、続けざまに「それで今日あなたに来て頂いたじゃない?」と、仕事の話を繰り広げた。

「どうせやるならいつもと違う事もやってみたいと思ってね? FMKブルーさんにCMを頼もうと思った訳!」

「そうだったんですね」

 カンナは店内を見渡しながら言った。

「素敵なアイデアだと思いますよ」

「でしょ?」

「どんなコンセプトなんですか?」

「今回はねえ――」と店主がだしぬけに立ち上がり、カウンターの裏から何かを持ってくる。鍋のようだった。彼女はもったいぶるような仕草で得意げに笑みを浮かべ、それをテーブルの上に乗せる。

「ずばり80年代! 我が懐かしの青春時代、1980年代のインテリアを集めて展示するって訳!」

 カンナは不思議そうにテーブルの上の鍋をまじまじと見つめた。ホーロー鍋だった。真っ白な下地のあちこちに色鮮やかな花柄が散りばめられている。彼女は一目でこれが現代ではなく、かつての時代に流行ったデザインであろう事が分かった。鍋全体から漂う、いわゆる“古臭さ”を彼女は感じ取ったのだ。

「これがその80年代に流行ったお鍋ですか?」

「伝統的、と言ってほしいねえ」と、店主は再び()()()()()()()()()()()()をたっぷり含んだ振る舞いで人差し指を振った。

「見てよ、この古臭さを! あれ、っていうか待てよ。ひょっとして――」

 突然、店主はカンナの顔をまじまじと眺め始め、やがてこう質問した。

「あなた、いくつ?」

「ええと、25です」

 カンナがきょとんとしながら答えると、店主は頭をひねりながら「すると、生まれは千九百――」と呟き出す。カンナが「1998年です」と伝えると、またしても店主はゲラゲラと笑いだす。

「愉快だねえ、このお鍋が流行った頃、あんたは生まれてもいなかったって訳だ!」

 それから長い間、店主は笑い続けた。豪快で、それなのに下品さを感じさせない、朗らかな高笑いだった。カンナは「何がそこまでおかしいんだろう」と考えざるを得なかった。良く分からないけど、お客さんの機嫌が良い事は何より――だよね?


 それから30分ばかりかけて話はまとまった。当初、15秒ほどのCMの打ち出しという話だった今回の案件だが、最終的に来月、実際に番組に出演してもらい、そこでインタビューを受ける形で宣伝する、という事になった。その番組ではここY市にまつわる人物が出演するのがお決まりだった。地元の企業の広報や市内イベントのプランナー、Y市の歴史を調査する機関やミュージシャンや市内の学生――そんなY市に縁の深い人たちが出演する放送枠だ。

当初の想定より大きな仕事になりそうだった。カンナ一人では全てを決めきれない為、一度局に戻って打診、という形でその日は落ち着いた。結局のところ決め手となったのは、店主の「どうせなら」という性急ともとれる意気込みと、カンナの「せっかくなら」という勇み足がそうさせたのだ。この話がどうなるか分からないが、「どうせなら」大々的にやるべきだし、「せっかくなら」このラジオ受けしそうな人柄の店主さんに出演してもらいたい――そういう事だった。


 カンナが帰ろうとすると、店主はもの惜しげに別れの挨拶を告げる。店主の頭の中では今、自らの青春の日々が駆け巡っているに違いない、とカンナは思った。店主は別れ際に、店内で流れていたBGMについて熱弁した。

それはまるで子供のようだった。期待に輝いた両の目。そして、いかに今流れているスペースシップの「シスコはロックシティ」が思い出深い曲なのか語るその大きな口――カンナにとって全てが新鮮だった。

私もいつかそんな気分に浸りたくなる日が来るのだろうか。確かに今でも、小さい子供の頃に学校で流行ったモノを懐かしく思う事はある。長い付き合いになる友人とその手の話に花を咲かせる事もある。けれどそれは、この店主の捉え方とは違う。そう思った。彼女を突き動かす情念は、もっと別の何かに見えた。その正体は今の自分では分からない。もっと歳をとって――ここでカンナは思考を中断し、車のキーを回した。


参考資料

・Starship「We built this city」,1985

・ASIAN KUNG-FU GENERATION「マーチングバンド」,2011

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