32.妹のような女の子
辺境伯家の実子様は、立ち上がってマルク様に頭を下げられた。
「今すぐ頭をお上げください。私が頭を下げさせているわけにはいきません。」
「王太子殿下の命を受けたマルクが、積極的に辺境伯領内を回って調査に励んでいたことも感謝しています。」
「メザリヤ様。私が領地内を調べて回ったのは、ソロアと私が結婚して二人して領地に残る未来があったからです。」
マルク様の告白は、僕の胸にズンと響いた。
「アーレンドルフ様のご提案に賛成して、マルクとソロアの人生を決めたわたくしが、ソロアの幸せだけを大事にして、マルクの人生を棒にふるのは不条理な上に、アーレンドルフ様との約束を違えてしまうことにもなりますね。」
辺境伯家の実子様とマルク様は穏やかに会話を続けられている。
「ご理解されていらっしゃいましたか。」
「わたくしは全て承知の上で、辺境伯家の令嬢として判断しました。」
「メザリヤ様。平民の私の人生なら、どうにでもなるとお考えですか?」
マルク様の口調は、皮肉ではなく、確認。
「いいえ、マルク。考え違いです。」
辺境伯家の実子様は穏やかに否定する。
「メザリヤ様。王太子殿下にも私にも説明できる理由はご用意されておいでですか?」
「理由は、マルクがアーレンドルフ様の友で部下で、ソロアと領地と領民よりアーレンドルフ様を優先するからです。」
「メザリヤ様。それが理由なら、最初からわかりきっていました。今になって、それを理由にされても通りません。」
マルク様は、苦笑されている。
「アーレンドルフ様から最初にお話をいただいたときは、アーレンドルフ様の友で部下というマルクの属性に安心して任せられると思っていました。」
「メザリヤ様。今も昔も、私は変わっていませんよ。」
「承知しています。変わったのは、マルクではありません。わたくしの考え方です。辺境伯領はマルクの調べてきた通りの土地です。マルク、アーレンドルフ様のお側ではなく、王都から離れたこの土地に縛られて一生を終え、骨を埋める人生を選ぶのは早計です。」
「メザリヤ様は、私が主人の命を軽んじるような部下だとお考えでしたか。」
マルク様は軽い調子で尋ねられ、辺境伯家の実子様は、丁寧に答えられる。
「いいえ。マルクの一番がアーレンドルフ様で、辺境伯領ではないのを存じているからです。」
僕を召し上げるとお決めになった理由が、王太子妃になられた後の辺境伯領について考えた結果だとおっしゃるのなら、どなたに召し抱えられたいかを迷うことはない。
「王太子殿下の命を受けた私が辺境伯領を一番にするとはお答えしないとお考えになられるとは、私の忠義も下に見られたものです。」
マルク様と辺境伯家の実子様の会話はずっと穏やかだ。
「忠義の厚いマルクがアーレンドルフ様の側を離れ、アーレンドルフ様以外に縛られる人生を生きられますか?」
「メザリヤ様。王太子殿下が私をこの地へ遣わす理由は、内紛で制御を失っている辺境伯領と心中するためではありません。」
今日、王太子様自らが兵を率いて来られたのは、マルク様に辺境伯領を任せるときに預ける兵士だ。
「覚えています。辺境伯領のこれ以上の混乱を止めるために、マルクを寄越すとアーレンドルフ様はおっしゃいました。」
禍根を残さないために、王太子妃になられる実子様以外の辺境伯家は残らない?
「王太子殿下のご配慮もお分かりになられていて、何がご不満ですか?」
「マルクの主人がアーレンドルフ様で、アーレンドルフ様はマルクと友だからです。」
「メザリヤ様。王太子殿下の友で部下で、ソロアと見合う平民の身分ということで、私という人選になったのをお忘れですか?」
「忘れていません。マルク、ソロアはわたくしから離れました。もう、アーレンドルフ様がわたくしを守ってくださることとマルクがソロアを守ることは同じにはなりません。わたくしとソロアは、今日を境に別々の道にいきますから。」
兵を率いて現れた王太子様を自領の村に迎えても、辺境伯家の令嬢としてあろうされている。辺境伯家の内紛で鍛えられた方が中央へいって困ってしまわれる心配はいらない。実子様が辺境伯家内の権力闘争に勝って辺境伯領に残っていただけたら、どれほど相応しい統治者になられたことか。辺境伯領の端っこの村の村長としては、残念でならない。辺境伯領の土地は、王都から遠すぎる。
「私がソロアといる必要はないとおっしゃっていますか?」
僕も一度は切り捨てられた側の人間だ。マルク様がご自身で、不要の確認されるのを聞くは辛い。
「アーレンドルフ様に忠義の厚いマルクには、アーレンドルフ様と離れないで済む忠臣としての後悔しない人生もありますわ。」
辺境伯家の実子様が、申し訳ないと言わないのは、色々聞く余地をマルク様に残すため。
「メザリヤ様は、ソロアの苦労を減らしたかったのでは?」
「減らしたいですわ。」
「私と結婚した方が、デニスと結婚するよりソロアの苦労は減ります。私はそのように準備してきましたよ。」
マルク様は、優しく説くように話している。
「では、わたくし、ソロアに聞きます。」
「そこで、ソロアに聞くという答えになるんですか?」
マルク様は苦笑しつつも聞き返された。
「辺境伯家の令嬢のわたくしがなせなかったことをなせと命じて、わたくしは、ソロアを残していくのです。わたくしの残していく荷物を誰と運んでいたいか、ソロアの人生をソロアが主導して支え合うような相手がいいか、ソロアの一歩先にいて導く相手がいいかは、ソロアに決めさせます。」
マルク様は、一拍おいて息を吐き出す。
「メザリヤ様は、デニスと私の違いをよく理解されていらっしゃる。」
僕もマルク様に同意だ。しかも、どこに誰を使うかの判断を迷われない。
「わたくしは、十年以上、権力闘争に身を投じてきた当事者の一人です。人はよく見てきました。ソロアを預ける先として、デニスを選んだマルクの人を見る目は確かです。マルクしかいなかったソロアの目の前にデニスが差し出されてきた感想を聞きます。マルクも一緒に聞きますか?」
穏やかに話す実子様に、マルク様は苦笑するしかない。
「権力闘争の中で培った技を自然に出されてきましたね。」
「裏切りに合い、てのひら返しされた事実に傷ついてもかまいませんけれど、傷ついたと知られたり、自分から歩くのを止めて立ち止まってしまったら、もう戦えませんわ。わたくしは、辺境伯家の令嬢です。戦う家に生まれてきました。戦う場所が辺境伯家の中か、王都かの違いはありますが、わたくしの人生に戦わないという選択肢はありません。」
「王太子殿下とも戦いますか?」
王太子様の友で部下のマルク様が確認する。
「マルク。わたくしがアーレンドルフ様と結婚する決め手は、肩を並べられるからです。」
「対立はなさらないんですか?」
マルク様は、用心深く何度も確認されている。
辺境伯家の実子様は、肩の力を抜いて微笑まれた。
「わたくしとアーレンドルフ様が対立することがないように立ち回ったのは、マルクとソロアではありませんか。マルク、ソロア。端っこの村々の文官でいるわたくしが、端っこの村々について何も知らされずに今日までこられたのは、辺境伯家の実子でありながら、辺境伯家の中心人物にはなりえなかった、権力闘争に敗れて実権をとれず、辺境伯家で実権を握ってきた叔父や後妻の息子との無関係さを証明するためでしたね?」
「メザリヤ様。お分かりになられましたか。」
マルク様に続いてソロアが発言した。
「メザリヤ様。王太子殿下のご計画を変えたのは、デニスです。」
辺境伯家の実子様は、ソロアをまっすぐにみつめている。
「ソロア。結婚しても、結婚する前と関係性が変わらないマルクと再婚して、今より楽になるより、苦労はそのままか、今以上になりますが、デニスとの結婚を続けたいですか?ソロアの正直な思いを聞きたいですわ。」
「メザリヤ様。二十四年生きて、どこで生きても苦労はあると分かりました。私は、苦労をしてもいいと思える結婚がいいのです。」
僕、ソロアが苦労していると思ったことを後で聞いておこう。僕と結婚してから僕に話していない苦労が、きっとある。
「わたくしの苦労がソロアの苦労だった時間、わたくしはソロアが弱らないようにと踏ん張れましたわ。」
「メザリヤ様。もったいないお言葉です。」
「ソロアがいたから頑張れました。」
辺境伯家の実子様とソロアの二人の時間があった。
「メザリヤ様をお助けしたくても無力で無知だった私に、マルク様は何でも聞いたら答えてくれて、助けてくれました。いつも、頼りにしてきました。王太子殿下の計略で私の命が危うくなるという事態を回避できたのも、マルク様のおかげです。」
見つめ合う主従の時間を終わらせたのは、ソロアだった。
「ソロアを失わずに済んだことは、マルクの働きのおかげです。この件は何度でもお礼を言います。わたくし、アーレンドルフ様がソロアをどう思っているか、あのときまで気づきませんでした。」
「デニスは、マルク様が当たり前のようにしてきた、見通しを立てて、私がやりやすいように教えてくれるなんてことはしたことありませんが、どんなことでも私と話をします。デニスが私に相談して一緒に決めたことを、実現に向かって、私と同じ早さで、私の手元を確認しながら一緒に進む。この暮らしは、新鮮で慣れるまでは考えることがありすぎて大変でした。ですが、今は、この暮らしが大事です。手放したくありません。」
ソロアは、きっぱりと言った、僕との暮らしが大事だって。
「ソロアの心は、もう決めているよね?」
気さくな調子で、マルク様はソロアに話しかけられた。
「マルク様。すみません。選ばせていただける身なら、私はデニスを選びます。」
ソロアは、真剣に答えている。
「ソロアと俺が初めて会ったのはいつだったか覚えている?」
「王太子殿下とメザリヤ様の最初の婚約前です。」
マルク様の軽い調子とソロアの真面目な返し。
「ソロアは、最初に会ったときから一生懸命だったよね。」
「はい。気が張り詰めていましたから。マルク様に色々助けてもらわなかったら、失敗しすぎて、メザリヤ様の侍女を外れていたのは間違いないです。」
ソロアは、マルク様との出会いを思い出して、マルク様とだけ分かる会話をしている。
「メザリヤ様のことだけは全部自分で理解してできるようになりたいから教えてほしいとしがみついてきたよね。教えている俺にもメザリヤ様に関することだけは絶対に手を出させない徹底ぶりだったよ。何年経っても、忘れられない出会いだった。」
「助かりました。侍女として教えを請う人を探すところからだったんです。私の一族は平民ですから、ご領主一族の方々にお仕えしても、跡継ぎになるかもしれない方や、跡継ぎをお生みになるかもしれない方の侍女に遇されることはありませんでしたから。」
「必死になってくらいついてくる女の子が、六つ差だから俺が教えないと、と思ったのを大人になるまで引きずってしまったのが、俺の敗因だ。」
マルク様は、体ごとソロアに向き直った。
「マルク様がデニスよりだめだったことはありません。」
「選ぶ余地がなかったら俺でも良かったけれど、選べるなら俺じゃない方にするとソロアは言えてしまうんだから、ソロアに俺がいいと言わせられなかったのが、俺の敗因だよ。」
「マルク様。私。」
「マルク。ソロアの心を乱すのは止めなさい。」
辺境伯家の実子様の手が動いた。
「おっと。メザリヤ様。手にお持ちの扇子を投げるのはお止めください。四つ下の妹のような女の子をいじめたりしないですよ。」
「マルク様。私は、マルク様の妹のような女の子なんですか?」
「ソロアは、初めて会ったときから一生懸命で応援さしたくなる妹みたいな女の子。ソロアにとっての俺は何?」
「物知りで頼れる、兄です。血は繋がっていませんけれど。」
「そういうのがいいんじゃない?これから、俺とソロアの関係は。」
「ありがとうございます。今後もよろしくお願いします。」
「ソロアが、ちゃっかりした発言をするようになった。」
「私はマルクの妹分ですから。」
マルク様がおどけるとソロアは元気に返事した。
「ソロアが俺にちゃっかりしたことを言えるようになったのは、俺の影響じゃなく、デニスの影響なんだよな。」
「マルクは、目をつむっても手を引いて転ばないように歩く兄でしたけれど、デニスは私が気づかせないと私がつまずいていることも分かりませんでしたから。」
僕、これからもっとソロアといて話をする。
「ソロアを預けられないような男なら預けなかったけれど、預けられている本人が帰らないというとは思わなかったよ。」
ソロアを見ながら優しくこぼす愚痴は、マルク様の本音だ。僕が、マルク様からソロアを奪った。
「巣立ったんです。マルクは兄なんだから。たまに遊びには行っても、帰るところじゃないんです。」
ソロアが明るく話している。僕は急いで口を挟んだ。
「ソロア。マルク様のところに遊びにいくときは、僕もいく。一人で行かないでよ。僕はソロアを預かっているなんて思っていないから。マルク様に返す日なんてこないよ。」
辺境伯家の実子様が、楽しげに笑い声をあげられた。
「ソロアの兄になるなら、マルクはわたくしの兄にもなりますか?」
「メザリヤ様。私の妹のような女の子は、ソロアだけです。」
マルク様にさらっと断られたにもかかわらず、辺境伯家の実子様は、ご機嫌だ。
「マルク、ソロアは特別ですね?」
「答えをお分かりになっていながら、聞かれるんですか?」
「わたくしもソロアは特別です。わたくしのソロアですから。ソロアがわたくし以外はいやだと駄々をこねたら、わたくし、どうにかする策を練りましたわ。アーレンドルフ様に黙って。」
「止めてくださって助かりました。ソロアを連れていこうなんて、もっとややこしくする気でしたか?」
「マルク。わたくしの立つところで戦いのない場所なんてありませんわ。戦場で誰と立ちたいかが辺境伯家の教えの基本です。マルクには特別に教えますね。」
「ありがとうございます。王太子殿下はご存知ですか?」
「辺境伯家の当主が子どもに口伝で伝える教えです。」
「王太子殿下の友で部下の私に話されて良かったんですか?」
「マルクには、ソロアがデニスとここに残ると決めた答えを話しておく方が良いと今、判断しました。」
「ソロアが辺境伯家令嬢から、直々に、辺境伯家の教えの薫陶を受けていたからですか。」
辺境伯家の実子様は満足そうに微笑まれた。
「マルク、この勝負、勝てますか?」
「勝てません。私の負けです。」
マルク様は、潔くソロアとの結婚話からおりられる宣言をされた。
「マルク。私はデニスとソロアを置いていきます。」
「メザリヤ様。詳細まで、必ず王太子殿下と話し合ってください。」
マルク様が念を押されている。
「アーレンドルフ様には、マルクを返して喜んでいただきます。」
「私が勝手したと怒られないように、メザリヤ様、次はお願いしますよ。」
「ええ。マルク、わたくしは、もうアーレンドルフ様のお考えを知っています。負けません。」
「分かりました。メザリヤ様にお任せしますよ。」
「マルク、ありがとう存じます。」
「メザリヤ様にお任せしますが、無理だと感じたら即、誰かに助けを求めてください。」
マルク様は優しく促された。
「マルクが、わたくしを助けにくるのですか?」
メザリヤ様は、びっくりされている。
「メザリヤ様は、もうお一人じゃありませんよ。私とソロアだけじゃなく、デニスも増えました。」
ちらっと僕を振り返ったマルク様の流れに乗って、僕は、頭を下げる。
「誠心誠意、お仕えします。端っこの村の村長とソロアの夫と辺境伯領の領民として、辺境伯家の実子様にお仕えする喜びを申し上げます。」
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