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君の涙を持ち帰るのは、もう僕じゃない  作者: かざみはら まなか


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31/36

31.辺境伯家の実子メザリヤの辺境伯家としての矜持の示し方。

「マルク。ソロアとデニスを夫婦で、この地の、辺境伯家の文官として残していきます。辺境伯家の令嬢として、わたくしがソロアとデニスに命じます。」

辺境伯領の端っこのいくつかある村のうちの一つの村の村長夫婦を辺境伯家の文官に任じるとおっしゃっているけれど、おできになるの?辺境伯領の歴史で、端っこの村の村長から文官に成り上がった前例はない。足元ばかりに目を向けて夢物語を語られていない?


思い切られたのか、それほどに辺境伯家の実子様が信頼できる人材が見当たらないゆえの人選ならまだいいんだけど。僕は黙って聞いている。ソロアも何も言わない。

「メザリヤ様。王太子殿下が辺境伯領に手を入れられた理由と原因をお忘れですか?」

マルク様は、もう、ソロアを間に挟もうとはされなかった。これからする話は、平民で村長の妻でしかないソロアでは、マルク様の相手をするには足りないから。


それは、つまり。平穏な会話の終わりをさす。


王太子妃になることが決まっていながら、王太子様の計画を外れた振る舞いを辺境伯家令嬢だからと権力を行使する決心をされた辺境伯家の実子様と、王太子様の部下の会話が和やかに始まるわけもなく。


「忘れていません。辺境伯家が不甲斐ないことになり、わたくし一人で辺境伯家の立て直していたところに、アーレンドルフ様が力添えくださり、わたくしの実績を積めることになったのも束の間、領民のエレインが現れて、全部台無しになりましたが、それからも長い間、わたくしが辺境伯家の令嬢として立てるようにしてくださいました。」

辺境伯家の実子様は、懐かしむように話されている。思い出せる幸せなお時間もおありだったんだと心の中で嘆息する。


「王太子殿下のしつこいくらいのご寵愛があったから持ちこたえてきたというのをお分かりになっていらっしゃるのに、最後の最後でご自分ではしごを踏み外されるんですか?」

マルク様のなじるような確認も、分からない話じゃない。辺境伯家は強大な力を持ってきた。左遷された文官でも、端っこの村々の村長の訴えをなかったことにして騒乱罪で処しても黙らせられるだけの力を持っていた。


強大な力を持つ辺境伯家内での内紛はいつもあった。強大なその力を一手に握れる辺境伯家当主をめぐる争いは恒例行事のようなもの。辺境伯家の内紛に下々が関わることはない。下々は、強い辺境伯家を繋いで、辺境伯領と領皆を守っていただけるなら、どなたがご当主でも気にしない。強いご領主が治めてくださるだけでいい。下々には、守るべき日々の暮らしが守れさえすればいい。


僕の考えが割り切りすぎているとしたら、僕が端っこの村の村長だからだ。何もない痩せた土地しかないような村々は、村としてまとまらないと生きていけない。村長を中心にまとまっているけれど、その村長の立場は、開拓民が開拓村に入るときに辺境伯家が認めたもの。開拓民を開拓村に置くのは国策だったけれど、国は、王家は開拓民に開拓させた土地の統治の責任を持たなかった。開拓村と開拓民の責任者や統治者は、誰かを問えば、辺境伯家になる。開拓民の子息で開拓村の村娘エレインの責任を負わされたのは、辺境伯家だった。


辺境伯家の力が弱まると、端っこの村々の村長の立場も揺らぐ。だから、端っこの村々は、辺境伯家の情報に無関心じゃない。近寄らないけれど、安全に手に入れていい情報をとり続けている。忠誠心とは別の思惑で。


「アーレンドルフ様が、一人になってしまうわたくしに最初の婚約を申し出てくださったのは、わたくしが、わたくしの代で辺境伯家を絶やしたくないと願ったからです。わたくしの子どもの一人が成人したあかつきには、わたくしの子どもの一人に辺境伯家を継がせられるようにするとお約束くださいました。お優しいお気持ちを向けていただきました。アーレンドルフ様のお気遣いを忘れたことはありません。」


辺境伯家の実子様と王太子様の婚約の実情を知れて安心するけれど、辺境伯家の実子様は、本来なら聞かせる対象ではない僕がいる前で、辺境伯家と王太子様の約束をためらうことなく口外されている。僕を召し抱えるという辺境伯家令嬢としての決断を覆すご予定はないという意思表示だ。


「メザリヤ様は、再婚約の条件でのご成婚です。」

辺境伯家の実子様と王太子様の婚約の時期は、僕が想像していたより早かったんだ。辺境伯家の実子様と王太子様は、エレインが辺境伯家の養女になる前から婚約が決まっていて、エレインが現れてから再婚約だとすると、辺境伯家の実子様のお考えというよりも辺境伯家の考えが変わったことになる。辺境伯家は、最初歓迎していた辺境伯家の実子様と王太子様の結婚に反対する姿勢に転じたんだ。


「承知しています。アーレンドルフ様は、再婚約の条件をわたくしが一人で乗り越えることは困難だと全て引き受けてくださいました。あの卑しい者達から、わたくしと辺境伯領を守ってくださいました。辺境伯領にマルクを遣わしてくださったから、辺境伯家の令嬢として今日を無事に迎えられました。」


村娘から辺境伯家の養女になったエレインが、辺境伯家の実子様と親しくなることに失敗しながらも、辺境伯家の養女としての生活を送れていた理由が分かった。


辺境伯家の実子様が王太子様の助力の元奮闘されていた時期に、エレインは王太子様の前に現れた。辺境伯家の養女になったエレインの振る舞いは、完全にエレインの意思によるもので、誰の思惑に乗ったわけでもない。それなのに、エレインの振る舞いは辺境伯辺境伯家の実子様の汚点になっている。エレインは、辺境伯家内での実権を取り戻そうとされていた実子様を追い詰める側に加担していたことになるんだ。


王太子妃エレインが毒杯を呷ることになり、墓を作ることも許されない事情は、エレインの辺境伯家での立ち位置。辺境伯家の実子様に力をつけさせないために活躍していた、養女になった元村娘。王太子妃につけるしかエレインに手を出す方法がない事情も、王太子様がエレインを王太子妃にした理由も、同じだ。辺境伯家の中にいる辺境伯家の実子様の反対勢力が、エレインに味方していたから。


「そこまで分かっていて、何がご不満ですか?」

「不満ではありません。エレインについては、辺境伯家のわたくしではどうにもならず、アーレンドルフ様に全てをお願いしました。」

「王太子殿下は、きれいにかたをつけられましたよ。」

辺境伯家の実子様もマルク様も、穏やかに話されている。


「わたくしは一人の人間として、アーレンドルフ様には感謝しております。」

「王太子殿下のご対応に不満がないのでしたら、王太子殿下が立てたご計画が不満なんですか?」

「マルク。わたくしは、辺境伯家の人間ですわ。」

マルク様の踏み込んだ問いかけに、辺境伯家の実子様は凛としてお答えになった。


「王太子殿下は、メザリヤ様の願いを最大限に叶え、辺境伯家のご令嬢であられるように取り計らってこられましたが。」

何が不満かはっきりと口に出すことを求めているマルク様は、何かお考えがある?

「マルクが何と言おうと、わたくしの判断は変わりません。辺境伯領の領地と領民のためにならないご判断をわたくしが追認するわけにはいきません。わたくしは、辺境伯家の最後の一人になるのですから。」

辺境伯家の実子様は、嘆くでも悲しむでもなく、前を向いてマルク様と話されている。


「メザリヤ様が辺境伯家の最後のお一人になられることは、今より前に分かりきっていませんでしたか?メザリヤ様は、辺境伯家はお畳になるのを迷われていらっしゃるのですか?」

メザリヤ様と同じく、マルク様にも感傷にひたるご様子はない。


「辺境伯家をわたくしが終わらせることに異論はありません。今の辺境伯家には、辺境伯領を統治する当主を生み育てる土壌がありませんから。」

メザリヤ様は、無念そうにおっしゃった。

「メザリヤ様。辺境伯家の内情が変わらなかったのは、この数年の話ではありませんよ。」

マルク様は、同情を見せない。


「わたくしの産む子どもを辺境伯家の当主になどという夢は、もう見ていません。今の辺境伯家の家内で、わたくしは、わたくしの意思を貫ける主従関係を増やせませんでしたから。」

「内情はよく存じていますよ。私はいましたから。辺境伯領に。」

マルク様の声は優しくも冷たくもない。


「辺境伯家の存続のために産んだ我が子を辺境伯家の当主にたるだけの手をかけることができない不甲斐ない母になる気はありません。」

辺境伯家の実子様は、生まれ育った辺境伯家を掌握できなかったと認められた。


「メザリヤ様が、十年以上、辺境伯家の実権を取り戻すために戦ってこられたことはよくご存知でいらっしゃいますよ。」

王太子様が辺境伯家に介入されていた理由は、辺境伯家の実子様に実権を取り戻させるためから始まったんだ。


「アーレンドルフ様は、叔父様が連れてきた叔父様の愛人が何をどうやったのか、お父様の後妻の座におさまり、辺境伯家の当主の座を狙っていることを隠さなくなった叔父様が、わたくしと後妻の息子との間を取り持つなどと言い出したときから、辺境伯家の城に安息の地をなくしたわたくしを守り続けてくださいました。」


辺境伯家の実子様が、辺境伯家の城にいて貞操の危険を覚えられる状況であられたら、辺境伯家に代々仕えてきた平民の一族の侍女のソロアを誰よりも信頼されたのも分かる。辺境伯領内の貴族は、実権を奪われた辺境伯家の実子様を実子様の叔父や後妻の息子から守ろうとしなかったんだ。


辺境伯家の実子様が、端っこの村々の文官になられたのは、城にいるよりも安全だったからだ。端っこの村の一つにはソロアがいて、ソロアの実家が出入りしている。左遷された文官でも使える武力もある。端っこの村々の村長を処すのに困らないくらいの武力でも、辺境伯家の実子様には、ないよりいい。


「もっと早く確実に辺境伯家をどうにかする方法はいくらでもありましたよ。メザリヤ様の気が進まないという理由でこんな遠回りになっただけで。それもお分かりですか?」

辺境伯家の実子様が、お一人で辺境伯家のお取り潰しを回避しようとされていた間は、王太子様による辺境伯家への直接的な介入を控えてきたの?


今日、王太子様が野戦用だという装いで兵士を率いてこられたという事実が重い。


「マルク。わたくし、端っこの村々の文官になって初めて、領地経営に携わりました。」

辺境伯家の実子様は、穏やかに話している。

「メザリヤ様が家内を把握していない状態では、メザリヤ様の意思通りに動く手足もありませんでした。領地経営に手を出したら、いいように使われて早々に終わっていましたよ。メザリヤ様にも辺境伯家にも辺境伯領にも、国にもいいことは一つもありませんでした。」

穏やかに話しているのに、マルク様の方は内容は穏やかとは言い難い。


「マルク。端っこの村々の文官として赴任してきたことは、わたくしの転機になりました。家内の政治から離れたことで、辺境伯家の存続ではなく、辺境伯領の領地と領民の暮らしに意識がいくようになりました。」

「王太子妃になられる日の糧とされたら良かったのではないですか?安全のために城から出られたのですから。城から出たら、辺境伯家令嬢としての矜持が高まりましたか?」


「マルク。わたくし、生まれてこのかた、辺境伯家の令嬢であることを忘れたことはありません。生まれたときから、辺境伯家と辺境伯領と辺境伯に住む民のために生きる人生を嘆いたこともなければ、投げ出すことを考えたこともありません。わたくしは、辺境伯家に生まれるべく生まれたのです。」

辺境伯家の実子様は、ずっと凛とされている。


「お覚悟のほどはお聞きしました。辺境伯家のご令嬢としてお決めになったことが、王太子殿下の計画にご不満を唱えることになっている説明にはなっていません。」

マルク様は、どこまでも、説明を求める姿勢を崩さない。辺境伯家の実子様から説明がなされた後なら、マルク様は、説得を元にした説得に移れる。


「辺境伯領は、不安定さを内包する領地です。辺境伯家の令嬢として、何が起きても、この地にとどまり、わたくしのソロアを守り、わたくしの足元を支えると誓ったソロアと力を合わせて、土地と民と共にある者に任せます。」

「メザリヤ様のお眼鏡にかなったのが、デニスですか?私ではなく。」

マルク様は、確認するかのように尋ねられている。


「デニスは、デニス自身のために、ソロアを守り、土地と人を守ります。わたくしへの忠誠心からではなく、家族との暮らしと村人をデニスが背負っている限り、どんな困難があっても、デニスはこの土地を投げ出せません。」

初めてお会いしたご領主の実子様が、正確に僕を見極めていらっしゃることに驚いていると、マルク様が事実を投げ込んでこられた。

「私ではなくデニスを残すとおっしゃるのは、デニスが逃げ出せないからですか?」


「マルクとソロアしか見ていなかったときは、マルクとソロアの距離感を仲が良いものだと思ってきましたが、デニスとソロアを見た後にマルクとソロアを見ると違うと気づいたのです。わたくし、わたくしのソロアに一人にこの土地を背負わせて、戦わせたくはありません。」

「王太子殿下の計画で、ソロアが一人になることはありませんよ。」

マルク様はなだめるように話された。


「アーレンドルフ様の計画ではそうでも、現実がそのままになるとは限りません。」

辺境伯家の実子様は、首を横に振られる。

「王太子殿下の計画に信用がないのですか?」

「アーレンドルフ様は、計画の見通しが甘いと判断されたら、練り直しを迷われません。わたくしが気にしているのは、アーレンドルフ様の計画の中にいるマルクです。」


「私に対する信用が低かったのが原因ですか。信用を得られるには何が足りませんでしたか?」

マルク様に気を悪くした様子はない。

「いいえ、わたくしはマルクを信用しています。マルクは、アーレンドルフ様が絶対で、何をさしおいてもアーレンドルフ様が大事ということをわたくしはよく知っています。」


「私がアーレンドルフ様の側にいるのがお気に障るということではないのですか?」

マルク様は、辺境伯家の実子様のお言葉がピンとこられていないご様子。

「逆です。マルクがアーレンドルフ様の側にいるときは、マルクがどのようにしていようとわたくしは気になりません。」


「メザリヤ様。私の何がお気に召しませんでしたか?」

「アーレンドルフ様とソロアのどちらかを助けるという極限の状況でなくても、アーレンドルフ様に呼ばれたら、マルクは迷わずにアーレンドルフ様のところへ向かいませんか?」


「向かいます。主人への忠誠心が、信用を下げることになったのですか。」

マルク様は、かすかに苦笑されている。

「マルク。わたくしは、アーレンドルフ様のお側にマルクがいることを心強く思っていますわ。」

生まれ育った家の中での権力闘争の中で生きてきて敗れた辺境伯家の実子様のお言葉は、信頼できる人に対する重みがずっしりしている。

「メザリヤ様は、一番がアーレンドルフ様の私にソロアは任せられないとおっしゃられていますか?」


「ソロアのわたくしへの忠義は本物です。わたくしが辺境伯家の令嬢を名乗れる間に、わたくしは主人として、辺境伯家の令嬢として、忠臣のソロアを一人で死地に立たせないで済む相手をソロアの隣にすえます。」

僕を召し上げるとお決めになった理由を誤魔化されなかった。

「メザリヤ様が決断されたのは、今が、辺境伯家令嬢でいられる最後の時間だからですか?」

マルク様の問いに辺境伯家の実子様は、ふっと力を抜いた微笑みを浮かべられる。


「マルクの仕事とマルクの人柄には文句のつけようなんてありません。アーレンドルフ様とマルクがいたから、わたくしとソロアは、長い間、ともに息をしていられました。マルクがいなかったら、わたくしの侍女を務めてきたソロアは、今、このように元気な姿でわたくしの前に立っていませんでしたわ。」

「それをソロアの前でおっしゃるんですか?」

マルク様は、少しだけ困ったような苦笑いをされている。


「マルクがわたくしのソロアを守っていたのは、王太子殿下の命があったからだけではなかったことも察しています。マルク、わたくしのソロアを今までありがとう存じます。」

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