8,練の弟
東吾は、その後行ったスーパーでも、率先してカートを押して歩きながら、積極的にみんなに話かけた。
「里樹さんは、いつこっちに来たんですか?」
「えーと……三日前、かな」
「へえ、その三日で、練は里樹さんの料理の虜になったってわけか」
さっき、練が里樹の料理が食べたいと言ったことを言っているのだろう。
「たしかに、ゆうべのメシも今朝のメシも、めっちゃうまかったけど。なあ湊」
湊がこくりとうなずく。さらに東吾は言う。
「さすが、プロの料理人だよなあ。そんな人の料理が食べられるなんて、俺らラッキーだよな」
「いや、そんな」
べた褒めされて照れくさい。が、東吾は謙遜する里樹をスルーして言った。
「で、練は里樹さんのどの料理が一番うまかった?」
「うーん……」
練は、しばし考えてから言った。
「全部おいしかったけど、一つだけ上げるならカレーかな」
「お、いいね。俺もプロ仕様のカレー、食べたいな。
里樹さん、今夜カレー作ってくださいよ」
「さっきカレーパンを食べたばかっりだけど、いいの? 練くんは、ついこの前もカレーだったし」
「それはそれっすよ。なあ、二人も里樹さんのカレー、食べたいよな」
練と湊がうなずく。
「でも、あれはプロ仕様っていうより、伯母さんに教えてもらったごく普通のカレーだけど」
里樹がそう言うと、練が声を上げた。
「そうだ、鞠子さんのカレーとおんなじ味がした!」
大量に買った食材を、四人で分けて持ってスーパーを出た。
帰りのバスも、ほかに乗客はいなかった。練と湊が、来たときと同じように、二人並んでシートに座ったことに、里樹はほっとした。
練はバスに揺られながら、あの日の出来事を思い出していた。
二歳年下の弟、航は、甘えん坊でとてもかわいかった。どこへ行くにも、ちょこまかと練の後をついて来た。
母親は働いていたから、弟の面倒を見るようにといつも言われていた。
だが、小学校に上がると学校の友達ができて、小さい弟と家で遊ぶより、同級生と野球やサッカーをするほうが楽しくなってしまったのだ。
それで、あの日も……。
「お兄ちゃん、待って!」
航は、べそをかきながら後をついて来る。うとましいと思う気持ちがないと言ったら嘘になる。
だが、一人で家に置いておくわけにはいかない。
「友達と約束してるんだ。航、急いで」
航をせかしながら、練は公園への道を急ぐ。あの角を曲がり、横断歩道を渡ればもうすぐだ。
「ねえ、お兄ちゃんってば」
さっきよりも航の声が遠くに聞こえる気がするけれど、約束の時間に遅れたくない。
航だって公園の場所は知っているんだから大丈夫。
そう思い、練は足を速めた。公園が見える位置まで来ると、ちょうど友達の一人が中に入って行くところだ。
間に合った。駆け出すと、気づいた彼がこちらを見た。
「キコ」
それが練の学校でのニックネームだ。
「行こう」
「もうケンタンたち来てるかな」
そのとき、練の頭の中から、航の存在は完全に抜け落ちていた。次の瞬間、急ブレーキと、何かがぶつかるドンという大きな音。
驚いて振り返ると、公園の前の道路でトラックが停車していて、その前に……。
航がトラックにはねられたのだ。
その後しばらくのことを、練は断片的にしか覚えていない。アスファルトの上に転がる、人形のような小さな航の姿、誰かに肩を強く揺すられたこと、サイレン、薄暗い病室、母の泣き叫ぶ声……。
航は即死だったらしい。誰かがそう言っているのを聞いたのだが、誰がいつどこで言っていたのかは覚えていない。
誰も、練に向かって何も言わなかった。怒られることもなかったかわりに、優しい言葉をかけられることもなかった。
非難されれば、少しは気が楽になったのだろうか。何しろ、航が死んだのは、練のせいなのだから。
そればかりか、トラックの運転手にまで重荷を背負わせてしまった。
母はショックのあまり寝つき、やがて心を病んだ。
それなのに、文句を言われることもなく、あたかもいない人のように扱われるのは、もしやそれこそが練に対する罰なのだろうか。
それならば、甘んじて受け入れよう。
小学校に上がったばかりの練は、感覚的にそう思っただけだったけれど、その後成長してから、当時の自分の心情をそのように解釈した。
練は友達を作ることをやめた。航が死んだのは、自分が友達との約束で頭がいっぱいで航を置き去りにしたせいだし、航が死んでしまったのに、自分だけが楽しい人生を送るなんて許されないと思ったからだ。
航はもう、友達を作ることも、おいしいものを食べることも、母に甘えることもできないのだ。
自分が航の未来を断ち切ってしまったから。
本当は、自分が生きていてはいけないような気がしたけれど、さすがに自ら命を絶つことはできなかった。
親に迷惑をかけるからとか、そんなきれい事ではなく、ただそうすることが怖かったからだ。
そういう自分を、練は軽蔑した。悲しくても苦しくても、息をして、ご飯を食べて学校に通って、普通に生きている自分を。




