34,最後の食事
里樹は、優しく温かく、自分のたった一人の肉親であると思っていた伯母を呆然と見つめる。
明るくて働き者で、料理が上手で、どんなときも味方でいてくれた伯母。
落ち込んだときや悩んでいるときにはじっくりと話を聞いてくれ、不安なときも具合が悪いときも、包み込むような態度と言葉で、いつも安心させてくれた伯母。
小さい頃からずっと世話になりっぱなしで、いつか恩返しがしたいと思っていたけれど……。
「じゃあ、あの、割れた花瓶が?」
そう聞く声が震えた。伯母は静かに答える。
「そうよ。そんなものを後生大事に飾っておくなんて、どうかしていると思う?」
「いや……」
里樹は、曖昧に首を横に振る。伯母は言う。
「リアムの言い分には本当に呆れたわ。まさか、あそこまで自分勝手な人だとは思わなかった。
だけど、それでも私は、彼を憎みきれなかった。徹夫が、あなたにひどい仕打ちをしながらも憎み切れなかったように。
だって、一度は深く愛した人なんだもの。いいえ、あのときだって、彼のことを愛していたわ。
あの花瓶、リアムは『鞠子みたいだね』って言ったの。でも私は、あの花瓶を見るとき、いつもリアムのようだと思っていたわ。
だけど、皮肉なものね。彼を手にかけたときにも割れなかった花瓶があっさり割れて、それによって、あなたの記憶がよみがえるなんて」
「伯母さん……」
涙がこみ上げて、両目からあふれる。
「里樹、ひどい目に遭わせて、本当にごめんなさいね。私のこと、憎んでくれていいのよ」
「そんなこと……。僕は伯母さんのことが大好きだよ。今も、これからもずっと」
伯母は、自分の手の甲をさすりながら話す。
「湊くんの話を聞いたときには驚いたわ。事情は全然違うけれど、私とまったく同じことをしていたんだもの」
「……え?」
伯母は続ける。
「そうなの。私、リアムの亡き骸を、ここの裏庭に埋めたの。
ここの敷地は広いし、森に囲まれていて近所に家はないし、当時は親しく付き合っている人もいなかったから、リアムが突然いなくなっても、誰にも気づかれることはなかったの。
それはあなたがここに来る前の出来事だから、あなたが彼を覚えていないのは当然よ。
だから、何もなければ、ことが露見する危険はないと思って高をくくっていたわ。
少なくとも私が生きている間は、誰にも知られることはないと思っていた。
でも、そういうわけにはいかなかったわね」
「あっ」
里樹は思わず口元を押さえる。伯母しか知ることのない事実を、半ば強引に話させたのは、自分だ。
伯母はずっと、話すことをためらっていたのに。
「中学を卒業したばかりの湊くんが、あなたたちにすべてを話して警察に出頭したのに、私だけがのうのうと暮らしていくわけにはいかないわよね」
「伯母さん!」
「いいのよ。人を殺しておいて、知らんぷりをしたまま生きて行こうとしていた私が間違っていたの」
里樹は、顔をゆがめて泣きながら言いつのる。
「いやだ、僕は誰にも言わないよ。だから、僕さえ黙っていれば……」
「ダメよ。あなたに、そんな重荷を背負わせるわけにはいかないわ」
「だって、僕が無理やり話を聞いたから。僕のせいで……」
「違うわ、あなたが責任を感じる必要はないの。私が間違っていたのよ。
罪を犯したら、罰を受けなくちゃいけないの。それが当たり前のことなのよ。
それから、もう一つだけ言わせて。私が過去のことを話したくなかったのは、自分の罪を隠しておきたかったからじゃないわ。
何度も言ったように、あなたの出生の秘密を話して、あなたに辛い思いをさせたくないと思ったからなのよ。
本当に、ただそれだけだったのよ」
「ああ……!」
嗚咽する里樹に、伯母は静かに言った。
「もう時間も遅いわ。今夜は休みましょう」
杖につかまって立ち上がる伯母を見て、里樹はあわてて言った。
「伯母さん、まさか」
伯母はほほえむ。
「大丈夫、おかしなことを考えているわけじゃないわ。朝になったら、練くんたちにも事情を話して、警察に出頭するわ。
またみんなに迷惑をかけることになってしまって申し訳ないけれど」
一睡もできないまま、朝になった。里樹は身支度をしてキッチンに向かう。
気分がすぐれないし、食欲もないが、心を込めて朝食を作ろうと思う。
伯母にとっては、それがここで食べる最後の食事になるのだ。
「おはようございます」
キッチンのドアを開けると、思いがけず練がいた。
「おはよう……」
戸惑いながら答えると、彼は里樹の顔を見て言った。
「まだ具合が悪いんですか? 顔色がよくないし、ちょっと目が腫れているみたいですね」
「ああ、いや」
目が腫れているのは、ゆうべ大泣きしてしまったせいだ。
「無理しないで休んでいてください。僕も簡単なものなら作れますから」
「いや、大丈夫だよ。どうもありがとう」
「じゃあ、お手伝いしますね」
なんと優しくいい子なのだろうと思う。辛い経験を重ねているからこそ、人の痛みがわかり、気遣いができるのだろう。
湊のことがあったばかりだというのに、伯母を慕っている彼が真実を知ったなら、どれほどショックを受けることだろう。
それを思うと、余計に気が重くなる。




