33,激しい口論
「それは、消防と警察が調べてわかっているわ。室内に灯油がまかれた形跡があって、由希美さんには、首を絞められた跡があったそうよ。
つまり、おそらくは徹夫が無理心中を図ったということ」
「あ……」
「原因がどうであれ、決して許されることじゃないわ。だけど、あなたがお泊り会に行って、家にいない日に決行されたことも事実。
憶測でしかないけれど、きっと徹夫は、自分があなたを虐待してしまうことに苦しんでいたんじゃないかしら。
そしてきっと、罪のないあなたを憎みきれなかった。だから、あなただけは助けようと……」
里樹の目から、涙がこぼれ落ちた。
「本当に、あなたたちには申し訳ないことをしたわ。私が逃げずに事実と向き合っていたらと思うと、悔やんでも悔やみきれない。
罪滅ぼしにもならないけれど、せめてあなたのことは、私の手で精いっぱい大切に育てようと思ったの。
私は、あいにく子供に恵まれなかったし、あなたは、すぐに私に懐いてくれて、自分に子供ができたみたいで、とても愛おしかったわ」
小さかった頃の里樹を思い出し、鞠子の胸に懐かしさがこみ上げる。
だが、里樹は言った。
「でも、僕を憎いとは思わなかったの? 僕は、お母さんと伯父さんの不倫の結果、生まれた子なんでしょう?」
「そんなこと、思うはずないわ。だって私は子供がほしかったし、リアムを愛していたんだもの。
あなたは、そのリアムの子なのよ。あなたには理解できないかもしれないけれど、愛するリアムの子を自分で育てられるなら本望だと思ったわ」
「だけど、伯父さんはなんて? 伯父さんは、僕を育てることに異論はなかったの?」
「だって、自分の子なのよ。育てるのが当たり前でしょう?」
「つまり、伯父さんは、僕が自分の子供だと認めたっていうこと?」
「そうよ」
きっぱりと答えた鞠子に、里樹は、ハッとしたように聞いた。
「伯父さんは、いつどうして亡くなったの? 僕とどれくらい一緒に暮らしたの?
僕は、伯父さんのことを覚えていない」
「それは……」
鞠子とリアムは、さっきから玄関ホールに立ったまま、激しい口論を繰り返していた。
鞠子は、リアムが帰宅するのを待ち構えていて、帰って来るなり里樹の話を始めたのだった。
「どうして僕たちが里樹を引き取らなくちゃならないんだい? 養護施設にでも入れればいいだろう」
「何を言っているの? あの子は弟夫婦の子供なのよ。
ここにはいくつも部屋があるし、子供が一人増えたからって、困ることなんて一つもないわ。
引き取るのが当然でしょう?」
するとリアムは、あのいやらしい薄笑いを浮かべて言った。
「でも、徹夫の子じゃなかったんだろう?」
血の気が引く思いがした。ついに鞠子は、今まで言いたくても言えなかった言葉を放った。
「そうよ。そのことに、徹夫がどれほど苦しんでいたことか。
里樹はあなたの子なんでしょう? そんなこと、最初から気づいていたわよ!」
じっと彼の顔を見据える鞠子に、リアムは言った。
「ああ、めんどくさい。君はホントにめんどくさい女だね。
そうやって、いつも自分を正当化して、僕をがんじがらめにして」
「正当化? がんじがらめ?」
「そうだろう? いったい、誰が困っていたっていうんだい?
みんな楽しくやっていたじゃないか。たしかに僕は、由希美との秘密の関係を楽しんでいたけど、君のことだって大切にしていたじゃないか。
徹夫だって、里樹のことをかわいがっていただろう? 誰一人困ってなんかいなかった。
それなのに、余計な詮索をして話をややこしくして、まったく君たち姉弟ときたら!」
「何を言っているの? あなたに罪悪感や後悔はないの?」
「たしかに、あのときは失敗だったな。あまりに彼女が魅力的で、衝動を抑えられなくて、避妊する余裕がなかったんだ。
だけど由希美は、子供ができたことを喜んでいたよ。僕の子供がほしかったって」
「……なんてこと!」
怒りと情けなさで思わず叫んだ鞠子に、リアムは気だるそうに言った。
「とにかく、僕は子供と一緒に暮らすなんてごめんだよ。この美しい洋館を、子供に汚されちゃかなわない」
そして、もうこの話は終わりだというように、長い指で金髪をかき上げた。
「ああ、腹が減った。鞠子、今日のディナーはなんだい?」
廊下を奥に向かおうとするリアムの背中を見送る鞠子の目の隅に、棚の上に飾られた花瓶が映った。
新婚当時、二人で骨董市に出かけ、鞠子が気に入って、リアムが買ってくれた美しい花瓶だ。
鞠子は、駆け寄って両手で花瓶を持ち上げると、渾身の力でリアムの後頭部に打ち下ろした。
里樹は目を見開き、はしばみ色の瞳で鞠子を見つめている。ああ、とうとう言ってしまった。
鞠子は、絶望とも安堵ともつかない、今まで感じたことのない複雑な気持ちで、たった一人のかわいい甥を見つめ返す。




