30,出会ってはいけない二人
階段に向かいながら、二人は顔を見合わせる。
「なんか、揉めてたみたいだな。何を言っていたかはわからなかったけど」
「里樹さんの声でしたよね。里樹さんがあんなふうに激しい感じで話すの、初めて聞いた」
「だよな」
「あなたの気持ちはよくわかったわ。たしかに、あなたには知る権利があるかもしれない。
だけど、これだけは言っておくわ。世の中には、知らないほうがいいこともあるのよ。
知ったことで、あなたは深く傷つくことになるかもしれないし、知ったことを後悔するかもしれない。
私も、生半可な気持ちでは話せないし、もしかしたら、もう今まで通りにやっていくことができなくなるかもしれない。
私とあなたの関係も、崩れ去ることになるかもしれない。それでも、知る覚悟がある?」
「……え?」
里樹は、伯母の顔を見つめる。伯母との関係が、崩れ去る?
伯母はずっと、里樹に惜しみない愛情を注いでくれ、里樹も伯母を実の親のように感じ、愛している。
その関係は、この先も一生続くと信じて疑ったことなどなかったけれど……。
つまり、真実は、それほどに深刻なものなのだ。もしもそれを知ったら、二度と後戻りできなくなるような。
それでも自分は、真実を知りたいだろうか。だが、ここまで来て、今さら知らずに生きて行くことができるのか……。
しばし考えたあと、里樹は答えた。
「僕は、知りたい」
伯母は、どこか切なげな表情でため息をついたあと、おもむろに言った。
「わかったわ」
この女性は、徹夫の手には余る。由希美を初めて見たとき、鞠子はそう思った。
彼女とは、友達の紹介で知り合い、結婚を前提に付き合っているという。
すでに両親は亡く、徹夫は、姉の鞠子に彼女と会ってほしいと言ったのだった。
由希美は目鼻立ちが整っていて、肌が透き通るように白く、とても美しい。
だが、どこか崩れた雰囲気があって、いかにも男好きのするタイプだった。
おそらく、徹夫の前にも何人も深い関係になった相手がいたのではないかと鞠子は思う。
恋愛にあまり積極的でなかった徹夫が、彼女にぞっこんなのは、はたから見てもわかった。
由希美は、徹夫の真面目で優しいところに好感を持ったと言うが、実際はどうなのだろう。
彼女と結婚して、はたして徹夫が幸せになれるかどうか。そう思ったのだが、具体的に反対する理由があるわけでもなく、徹夫の意志は固いようだった。
両親が健在だったならば、あるいは自分が徹夫の親だったならば結婚に反対していたかもしれないが、鞠子には鞠子の生活があり、成人した弟のことをあれこれ心配する気持ちの余裕はなかった。
鞠子は、彼が留学生だったときに知り合った、アイルランド人のリアムと結婚していて、今は二人で住むために、小此木山の麓に洋館を建設している最中なのだ。
リアムは、英会話の講師や外国人旅行者のガイドなどの仕事をしていて、それほど収入は多くなかったが、最近亡くなった親が資産家で、彼は莫大な遺産を受け取った。
高級志向の彼は、洋館の建設に関しても、妥協を許さない。
経済的な不安はなかったものの、リアムに不満がないと言ったら嘘になる。
いつまでも学生気分が抜けず、自分本位で、やけに子供っぽいところもある。
もっとしっかりしてほしいとは思うが、だからといって、別れたいなどと思ったことは一度もない。
美しく、愛情表現の豊かな彼に惚れていたし、そんな彼と結婚した自分を誇らしくも思っていた。
やがて、徹夫と由希美の結婚が正式に決まり、鞠子夫婦と四人で食事をすることになったのだったが。
レストランで顔合わせをしたときに、鞠子は、すぐにこれが失敗だったと気づいた。
出会ってはいけない二人を出会わせてしまったのだ。
リアムと由希美の視線がねっとりと絡み合うのを、鞠子は見逃さなかった。
かわいそうな徹夫は、そんなことにはまったく気づかないようで、会食の間中、ずっと幸せそうに照れたり笑ったりしていたけれど。
由希美は複雑な家庭で育ったようで、両親は離婚後それぞれ再婚し、今ではどちらとも疎遠になっていると言った。
それで徹夫と由希美は、結婚式は行わず、入籍だけして、記念のウェディングフォトを撮ることにしたという。
送られてきたフォトブックの二人は、とても幸せそうで、間もなく由希美が妊娠したと聞いて、心配は杞憂だったと、鞠子は胸を撫で下ろしたのだったが。
由希美が無事に元気な男の子を出産し、鞠子は祝いの品を持って病院に会いに行った。
リアムは、その日はツアーガイドの仕事が入っていたので、同行しなかった。
赤ちゃんを見た瞬間、鞠子はひどく困惑した。その子は肌も髪も目の色も薄く、顔立ちも、鞠子の目にはハーフにしか見えなかったのだ。
とても徹夫の子だとは思えない。だが、生まれたての赤ちゃんを抱いた由希美は、悪びれるふうもなく笑顔で言った。
「とても色が白いでしょう? 髪もほとんど金髪みたい。
私も色白なほうだけれど、母方のひいおじいちゃんはロシア人だったんですって。
きっとその遺伝子が影響しているんですね」
鞠子は、動揺を隠して言った。
「……そうなの。徹夫も喜んでいるでしょうね」
「はい、それはもう。『僕に似なくてよかったよ』なんて言って。
そんなことないですよね。徹夫さんは凛々しくて素敵で、彼にそっくりな子でも、私はうれしかったわ」




