28,気になっていた言葉
ハッとして、目を覚ますなりベッドサイドの時計を見ると、昼が近かった。
しまった、昼食の支度をしなくては。里樹はあわてて飛び起き、部屋を出た。
キッチンのドアを開けると、三人が一斉に振り向いた。伯母は椅子に腰かけ、練は野菜を切り、東吾はフライパンで調理をしている。
「ごめん、うっかり寝過ごした」
「里樹、起きて大丈夫なの?」
「この通り、お昼ご飯は僕たちが作っているから、里樹さんはゆっくりしていてくれてよかったんですよ」
「用意ができたら起こしに行こうと思ってたんっすよ」
口々に言う彼らに、里樹は謝る。
「ごめん……」
「そんなに謝らなくていいっすよ。もうすぐできるんで、里樹さんは座っていてください」
「そうよ、座りなさい」
「ああ、うん」
里樹は椅子を引いて、どさりと腰を下ろした。伯母が、心配そうにこちらを見る。
「ホントに起きて大丈夫なの?」
「もうなんともないよ。びっくりさせちゃってごめん」
練がくるりと振り返って言った。
「さっきはホントにびっくりしました。里樹さん、顔色が真っ青だったし。
疲れがたまっていたんですかね。僕たちがいろいろ迷惑かけちゃったから……」
「そんなことはないよ」
東吾も、コンロの火を止めてこちらを見た。
「今までずっと、気が張ってたんじゃないっすか? 鞠子さんが戻って来て、ほっとして、急に気が抜けたとか」
そういうわけではないのだが、彼はうまいことを言ってくれると里樹は思う。
「ああ、そうかもね」
伯母の顔を見ると、彼女は笑顔を返してくれた。
ダイニングルームに移動して、昼食になった。練が作っていたのは具だくさんのサラダ、東吾が作っていたのは肉野菜炒めだ。
「おいしそうだねえ」
里樹が作った、作り置きの総菜なども並ぶテーブルを見回していると、東吾が言った。
「なんか雑な料理ですいませんけど」
「そんなことないよ。ホントにすごくおいしそう」
「やっぱ料理って性格が出るっすね。見てくださいよ、これ」
そう言いながら、東吾は練が作ったサラダを指す。一人分ずつガラスの器に盛りつけられたそれは、きれいに切られた具材の一つ一つが、見栄えよく丁寧に並べられている。
まんざらでもなさそうな表情で、練が言った。
「ドレッシングは、この前里樹さんが作ったやつをマネしました」
「どれもとてもおいしそうね。さあ、いただきましょうか」
伯母の言葉で、食事が始まった。
食べながら、東吾が言った。
「なんなら夕食も俺らで作りますから、里樹さん、今日は一日ゆっくりしていてください」
「いや、そんな」
「たいしたものは作れないけど、昼も鞠子さんにアドバイスをもらいながら冷蔵庫のものでなんとか作れたし、味の保証はできないけど、そこは我慢してもらって」
だが、里樹は言った。
「炒め物もサラダも、すごくおいしいよ。でも、本当に僕はもう元気になったから」
練と東吾は、疑わしそうな目で里樹の顔を見る。すると、伯母が言った。
「もとはと言えば、私が転んで怪我をしたせいよね。本当にごめんなさいね」
「いや、そういう意味じゃ……」
伯母は続ける。
「体力には自信があったんだけれど、私ももう年ね。怪我の回復にも昔より時間がかかるようになったみたい。
だから、みんなにはもう少しの間迷惑をかけると思うけど、動けるようになったら、たっぷり埋め合わせをさせてもらうわ。
だから里樹も、今日は二人に甘えさせていただきなさい」
「あ……うん」
なんだか微妙に話がすり替わっているような気もするが、意地を張るほどのことでもないので、そうさせてもらうことにした。
昼食後、里樹は自室に戻った。子供の頃から使っている部屋には、勉強机や本棚が昔のままあって、学生時代の参考書や辞書もある。
本棚に近づき、実に久しぶりに国語の辞書を手に取る。気になっていたあの言葉を調べてみようと思ったのだ。
その読みの言葉は、辞書には一つしか載っていなかった。
け・とう【毛唐】 毛唐人。(毛深い外国人の意) 欧米人を卑しめて言った言葉。
その一文を凝視したまま、里樹は考える。
意味がわからない。いや、言葉の意味はわかったけれど、父はなぜ、その言葉で自分を罵倒したのだろう……。
それはともかく。考えながら、ベッドに腰を下ろす。
思えばここに来てから、完全なオフというのはなかった。ショッキングな出来事もあったものの、みんなで力を合わせて乗り越えてきたし、肉体的にはそれほどハードなこともなかった。
それでも、急に慣れないことをして、気づかぬうちに精神的な疲れが溜まっていたのかもしれない。
だから、フラッシュバックもそのせいで……。
里樹はベッドに仰向けに寝転がる。天井には、玄関ホールやダイニングルームよりは小ぶりだが、それでも十分に美しいシャンデリアが下がっている。
この部屋は、伯母が使っている主寝室の隣にあり、ほかの個室と同じようにバス、トイレ完備の、日本家屋とは一味違った、ゆったりとして美しい、趣のある部屋だ。
子供の頃から慣れ親しんできた部屋だが、普段はマンション住まいの里樹は、あらためて優雅な部屋に感心する。
さすがはアイルランド人の伯父が建てた洋館だ。
……え? 里樹は、はっとして、今横になったばかりのベッドから起き上がった。




