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20,湊の母

 東吾が言う。


「俺もそう思う。こうなったら、なるべく早いほうがいいんじゃないか?」


「それなら、お母さんにここに来てもらうのはどう? 部屋で二人で話せばいいよ」


 里樹は湊の顔を見る。それが一番安全だし、妥当なのではないかと思う。


 湊がうなずいたので、里樹は続ける。


「じゃあ、お母さんに連絡しよう。僕が電話をかけようか?」


 すると、湊は言った。


「僕がかけます」



 湊は、電話をかけるために自室に戻った。里樹は、不安げにうつむいている練に声をかける。


「練くん。弟さんのことだけじゃなく、お母さんのことでも、ずっと辛い思いをして来たんだね」


「でも、全部僕のせいだから……」


 東吾が静かに言う。


「もう自分を責めるのはやめろよ。お前のせいじゃないって」


「そうだよ。もう十分苦しんだんだから、そろそろ自分を解放してもいいんじゃないかな」


 二人の優しい言葉に涙がこぼれ、練は目元を拭う。




 部屋に戻った練は考える。たしかに僕は、ずっと苦しい思いを抱えて生きて来たけれど、そんなの、湊くんに比べたらたいしたことじゃない。


 物心がついた頃から、ずっと父親の暴力に怯えながら暮らして来て、どんなに怖かったことだろう。

 

 はからずも父親に手をかけることになってしまって、どんなに恐ろしく辛かったことだろう。


 凄絶な経験と罪の意識と、それをひた隠しにしながら生きなければならない重圧。

 

 まだ高校に入学してもいない、幼さの残る彼が……。




「息子が大変お世話になっております。このたびは、ご迷惑をおかけしまして……」


 深々と頭を下げた湊の母親は、ほっそりとして、面差しが湊とよく似ている。


「いえ、どうぞお入りください。湊くんの部屋にご案内します」



 ドアをノックしながら声をかける。


「湊くん、お母さんがいらしたよ」


 すぐにドアが開き、湊が青ざめた顔をのぞかせた。里樹は、脇によけて母親を通す。


「どうぞごゆっくり」


 


 里樹は、東吾と練が待つリビングルームに戻った。ソファに腰を下ろす里樹に、東吾が尋ねる。


「湊のお母さん、どんな様子でした?」


「うん、落ち着いていらしたよ」


「湊くん、僕たちに話したこと、怒られないかな」


 練の言葉に、東吾が返す。


「今さら怒ったってしょうがないだろ。それに、どっちにしても遅かれ早かれ同じことになっていたさ。


 あんな秘密を抱えたまま生きるのは、湊には荷が重過ぎる」


 里樹は思う。これからどうするかは母子の判断にまかせるしかないが、湊が自分たちに事実を話してしまった以上、さすがにこのまま隠し続けるというわけには行かないだろう。


 もしも秘密を共有してほしいと言われたなら、里樹自身は受け入れるかもしれない。

 

 だが、それは現実的ではないし、湊の苦しみを深めるだけだろう。


 その場合、やはり警察に出頭するということになるのだろうか。どちらにしても、二人にとって、辛い現実が待ち受けていることだろう……。




 部屋に入った母は、机の上に用意されているティーセットに目をやって言った。


「寮母さんの甥御さんだと聞いたけれど、本当によくしてくださるのね」


「すごく優しいよ。里樹さんだけじゃなく、東吾さんも練くんも。


 ほんの何日かだったけど、毎日すごく楽しかった。急にお兄さんが三人もできたみたいで。


 一緒に買い物に行ったり、小此木山に行ったり。僕のこと、心配してくれたり、いろんな話もした。


 だけど、僕は、あんなことを……。みんなを騙していることが、とても辛くて……」


 涙がこみ上げる。


「話してしまってごめんなさい。お母さんが、僕を守ってくれようとしたのに……」


 母は、首を横に振る。


「いいえ、お母さんが間違っていたわ。あなたを守るためだと思っていたけれど、かえって苦しめることになっていたのね。


 そんなこともわからなくて……。私のほうこそごめんなさい」


「お母さん!」


 泣きじゃくる湊に、母は優しく言った。


「せっかくだから、お茶をいただきましょうか。湊、座って」


 二人とも、部屋の中ほどに立ち尽くしたままだった。湊がベッドに腰かけると、母は紅茶を淹れ始めた。

 



 小一時間ほど経った頃、東吾が言った。


「二人は、まだ話し合いを続けているんですかね」


 里樹と練は顔を上げる。


「え?」


「ずいぶん長くないっすか?」


 練が言う。


「でもそれは、簡単に結論が出るような話じゃないし」


「だけど、普通に考えて、答えは一つしかないだろう。それにしちゃ」


 ぎくりとして、里樹は思わず声を上げた。


「まさか」


 今の今まで、そんなことは考えていなかったが、もしや、二人は世をはかなんで……。 


 思いはみんな同じだったようで、三人してバタバタと立ち上がり、リビングルームを出て湊の部屋に向かいかけたところで、階段を下りて来る母子が見えた。


「湊くん!」


 練が駆け寄る。母親が、里樹たちに向かって言った。


「湊と二人で話す場をもうけてくださり、ありがとうございました。この子と話し、自分の判断が間違っていたことを痛感しました。


 みなさんがこの子にしてくださったたくさんのこと、とても感謝しています。

 

 本当にありがとうございました」


 母親が深々と頭を下げると、湊もそれに倣う。


「あの……」

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