18,湊の告白
物心がついた頃から、家の中には張り詰めた緊張感と重い空気が充満していた。何が発端なのか湊には知るよしもないが、家族は父親の暴力によって支配されていた。
外ではエリート商社マンで人当たりもよい父は、家の中では態度が豹変した。
年の離れた姉は、中学生になった頃から、父を嫌ってしばしば家に帰らなくなった。
そのことが父の怒りに火を点け、母と湊に向かう。
姉が家に寄りつかないのは、父の暴力が原因にほかならないのに、それが気に入らないと言って母と湊を殴るのだ。
もとより、姉の所在がどうであろうが、父は何かと理由をつけては暴力を振るうのだが。
母が説得しても、姉は家に戻らない。たまに帰って来るのは、家に父がいない時間で、着替えを取りに来て、すぐにまた出て行ってしまう。
美しく早熟な姉は、どうやら庇護してくれる男性がいるらしかった。
学校には通っているようだったが、中学を卒業する頃には、まったく帰って来なくなった。
年が離れていることもあって、湊は、姉とはほとんど話したこともなかった。
姉だけが父の暴力から逃れていることを、うらやましいとは思ったが、ずるいとは思わなかった。
自分だって、ほかに頼れる人や居場所があったならば、同じことをしたかもしれない。
だが、湊はまだ幼く、まして母を置いて一人で逃げることなど考えつきもしなかった。
そんな湊にも、成長するにつれて、父に対する憎悪や反抗心が芽生えてきた。
どう考えても、母にも自分にも非はないし、この状況は理不尽過ぎる。
とは言え、父に真正面から反撃するには、まだ湊の体は小さく華奢だった。
それなのに、そのときは突然やって来たのだ。
二階の自室にいると、階下からガタガタと物が倒れるような音がした。
部屋から飛び出して階段を駆け下りている途中で、父の怒鳴り声が聞こえた。
「お前はぁ!」
母が危ない! 湊は足を速める。
リビングダイニングの床にうずくまる母に、父が覆い被さるようにして、長い髪をつかんで揺さぶっている。
何があったのか、母のすぐそばの床には、料理と割れた食器が散らばっている。
「やめろ!」
思わず叫んだ湊を、母を揺さぶる手を止めた父が振り仰ぐ。
「なんだと?」
立ち上がりながら、父は近くに落ちているゴルフクラブに手を伸ばす。
いつものように素振りでもしていたのだろう。父は会社の得意先と、よく接待ゴルフに行くのだ。
だが、父がゴルフクラブに触れる寸前、湊はそれを素早く奪い取った。
とっさに体が勝手に動いたのだ。そして、考えるより前に、渾身の力を込めて、それを父の頭目がけて振り下ろしていた。
「この野郎……」
痛みに顔を歪め、頭を押さえながら、父はこちらに向かって手を伸ばす。
殺される! そう思い、湊は必至にゴルフクラブを振り下ろす。何度も、何度も。
「湊!」
母の声に我に返ったときには、父は動かなくなっていた。
「あ……」
湊は血に濡れたゴルフクラブを放り出し、その場にへたり込む。母が駆け寄って来て、膝をついて彼を抱きしめた。
「湊、ごめんね」
「お母さん……」
「お母さんが悪いの。全部お母さんのせいよ」
「違う……」
ガクガクと体が震え出して止まらない。母が、その体に回した腕に力を込める。
「お母さんがいけないの。湊、ごめんね」
母の声も震えている。湊の目から涙がこぼれ落ちる。
どのくらい時間が経ったのだろうか。母が体を離し、湊の両肩に手を置いた。
頬には内出血の痕があり、ブラウスのボタンが取れてしまっている。
「湊。これからお母さんが言うことをよく聞いて」
母は、じっと湊の目を見て言った。
「今夜遅くなってから、お父さんを庭に埋めましょう」
「……え?」
「お父さんは行方不明になったことにするのよ」
「でも、僕が……」
母は、首を横に振る。
「いいえ。お父さんは突然いなくなったの。
何日か経ったら、警察に捜索願を出すことになるでしょう。でも、何か事件にでも関わっていない限り、警察は積極的に探したりはしないというわ」
「でも、そんなこと」
「大丈夫、うまくいくわ。私たちは、行方不明になったお父さんを待つかわいそうな家族。
お父さんが暴力を振るうことは誰も知らないし、誰も疑ったりしないわ」
いつも父に怯えながら暮らしていた母は、今は自信に満ち、とても美しく見える。
それと同時に、湊は少し母が怖いと思った。
だが、自分が殺人者として捕らえられるのはもっと怖いし、何より、悪いのは父なのだ。
父の暴力から母を守りたかったし、あのとき、ああしなければ、湊がやられていた。
父は暴力に手慣れているから、湊を殺すようなことはしなかったかもしれない。
急所は外し、痛みと恐怖だけを与える。それがいつものやり方だ。
そしてその先には、さらなる生き地獄が待っていたことだろう。
祖父母の代からの家の敷地は広く、建物こそ新しく建て替えられているものの、張り巡らされた塀と大きく茂った木々は、外からの視線を遮っている。
夜が更けてから穴を掘って遺体を埋めれば、誰かに見咎められる危険はきわめて少ないだろう。
湊は、母の提案を受け入れた。




