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17/31

17,過去形

 三人で朝食を再開する。食べかけの料理はすっかり冷めてしまっていたが、練も東吾もこのままでかまわないと言った。


「落ち着いたら、念のため病院で診てもらったほうがいいかな」


 里樹の言葉に、東吾が答える。


「そうっすね。それにしても、あの傷、DVの跡ですかね」


「うん……」


 練が言った。


「湊くんは風の音が苦手みたいだけど、そのことと関係しているんでしょうか」


「そうかもしれないね」


「あの……」


 練が、言いかけて口ごもる。


「何?」


「里樹さんも、そういうのってありますか?」


「ああ、そうだね。やっぱり怒鳴り声とかは、ちょっと苦手かな。


 でも、ここに来る以前のことは、あんまり覚えていないんだよね。両親は亡くなっているんだけど、実は二人の顔も思い出せなくて」


「そうなんですか。変なことを聞いちゃって、すいません」


 里樹はほほえむ。


「いいよ」


 東吾が言った。


「それって、脳が辛い記憶に蓋をしている、みたいなことなんじゃないっすか?」


「そうかもしれないね」


 脳は、勝手に記憶を作り替えることもあると聞いたことがある。ときどき見る、燃え盛る炎を見て泣きながら母を呼ぶ夢も、果たして現実にあったことなのかどうか。




 朝食の後片付けをした後、廊下に掃除機をかけていると、練がやって来た。


「里樹さん」


「うん?」


 練の不安げな表情に、里樹は掃除機のスイッチを切る。練が言った。


「湊くんが……」



 部屋に行くと、湊はベッドの中で横になったまま泣いている。


「火傷が痛むの? それとも気分が悪い? これから病院に行こうか」


 タクシーを呼んで病院に連れて行こう。そう思ったのだが、湊は顔を歪めたまま、首を横に振る。


「違う。ちが……」


 里樹は、思わず練と顔を見合わせる。食事の後、練が様子を見に来ると、眠っているかと思った湊が泣いていたのだという。


 理由を聞いても、泣きじゃくるばかりで要領を得ないので、困った彼は、里樹を呼びに来たのだった。


「どうかしたんすか?」


 東吾も様子を見に来た。そして、湊の様子を見て話しかける。


「なあ、どうしたのか言ってみろよ。みんな心配してるぞ」


 だが、湊は答えない。そこで、里樹も話しかける。


「具合が悪いのなら、なるべく早く病院に行ったほうがいいと思うんだ。


 火傷も、念のためお医者さんに診てもらったほうが安心だし。


 でも、ほかに理由があるなら、どうして泣いているのか話してくれるとありがたいんだけどな」


 湊がしゃくり上げながら言う。


「具合は、悪くない。僕は……あ……」


 まだ話をするのは無理なようだ。とりあえず、急いで病院に行く必要はなさそうなので、少し落ち着くのを待つことにした。


 そばに付いているという練をその場に残し、里樹と東吾は部屋を出る。

 

 東吾は自室に戻り、里樹は掃除の続きを再開した。




 練は、窓辺に移動させた椅子に座り、外を眺める。風は先ほどより弱くなっているものの、空にはどんよりと灰色の雲が垂れ込めている。


 湊のことが心配で、一人部屋に置いて行くことができず、かと言って、そばにへばりついていては彼もうっとうしいだろうと思い、ベッドから離れたここにいることにしたのだ。


 静かになったようだけれど、眠ったのだろうか。湊は朝食もろくに食べていない。


 まだお腹は空かないのだろうか。昼には食べられるようになっているといいけれど……。



 そんなことを考えながら窓の外に目をやっていると、湊が身じろぎする音がした。

 

 目を向けると、ベッドの上で、湊がむっくりと起き上がった。


 練は、そっと声をかける。


「湊くん?」


 彼がこちらを見た。少し髪が乱れている。


「練くん」

 

「うん?」


 練は立ち上がり、静かにベッドに近づく。湊が言った。


「僕、謝らなくちゃ」


「え?」


「僕、練くんに嘘をついていた。それに、里樹さんたちにも」




 寮生たちは、リビングルームのテーブルを囲み、ソファに座っている。

 

 青ざめた顔の湊の横に、心配そうに練が寄り添っている。


 里樹は、みんなの前に紅茶のカップを配り、東吾の隣に腰を下ろしながら言った。


「湊くん、みんなに話があるそうだけど、何かな」


 練にそのように聞き、こうして集まったのだが、湊はうつむいたまま、なかなか口を開かない。

 

 紅茶にも、テーブルの中央に置いたクッキーにも、誰も手を伸ばさない。


 それで、さらに里樹は言う。


「とりあえず、みんな冷めないうちに飲んで」


 里樹が率先して紅茶を飲むと、ようやくみんなもカップを手に取る。

 

 湊が、両手でカップを支えるようにしながら一口飲み、ソーサーにカップを戻してから、おもむろに口を開いた。


「ここに来てから、毎日すごく楽しかったです。ホント、こんなに楽しかったの、覚えている限り、初めてだったかも……」


 彼の言葉が過去形なことに、里樹はかすかな違和感を覚える。


「里樹さんも東吾さんも練くんも、優しくて、みんなホントに大好き。


 でも、僕には、優しくしてもらう資格なんて……」


 湊の目から、涙がこぼれた。

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