15,間違った選択
「わあ……」
「きれいだね」
練と湊は、ぎゅうぎゅう詰めのケーブルカーの窓際に立って、ガラスにへばりつくようにして景色を眺めている。
芽吹き始めた木々の緑の中に、ちらほらと山桜が咲き始めているのが見える。
東吾は、スマートフォンを取り出して写真を撮っている。
ケーブルカーを降りると広場があり、すぐ目の前に小さな神社がある。
「せっかくだから、お参りして行こうか」
ここにも茶店などがあり、人波は、山頂に向かう人たちと、その場にとどまる人たちに別れる。
四人は、ぞろぞろと神社に向かって歩く。
賽銭を投げ、縄を揺すって鈴を鳴らし、二礼二拍手してから里樹は手を合わせる。
―― 伯母さんが、ゆっくり静養して元気になりますように。三人が充実した楽しい学生生活を送れますように。
当初、フォレストハウスを切り盛りすることは、自分にできるかどうかとても不安だったのだが、人数が少ないことと、三人がいい子たちなこともあり、この数日で、プレッシャーはずいぶん小さくなっている。
今は、むしろこうして彼らと過ごすことが楽しい。なんなら、この生活がずっと続いてもいいくらいだ。
前に練と湊が並び、里樹と東吾はその後ろに続いて、ゆるやかな登山道を登り始める。
練と湊は、楽しそうに話しながら歩いている。
登り始めて間もなく、背後でキャッキャと子供のはしゃぐ声がしたかと思うと、小さな男の子が四人の横を走り抜けて行った。
「シュンちゃん、走ったらダメ!」
そう言って追いかけるのは、小学校低学年くらいの男の子だ。すぐに追いつき、小さな男の子の手を握る。
「お兄ちゃんと手をつないでってママが言ったでしょ」
たしなめる兄を見て、弟はうれしそうに笑っている。見ていると、すぐに二人の両親らしい男女が近づいて来た。
「ほらほら、ほかの人の迷惑になるだろ」
そう言って、弟の頭を撫でる父親。
「すいません」
立ち止まって見守る里樹たちに、笑顔で頭を下げる母親。楽しそうに会話しながら、彼らは登山道を進んで行く。
「僕たちも行こうか」
里樹の言葉に振り返った練と湊に笑顔はない。今のはちょっと、残酷だったのでは……。
そう里樹が思っていると、東吾が言った。
「おいおい、お前ら二人には、優しくて頼りになる兄貴がいるだろうが」
「それって、東吾さんのことですか?」
無表情に尋ねる練に、東吾は言った。
「里樹さんだよ」
三人が里樹の顔を見る。里樹はあわてて言う。
「いや、そんな。東吾くんだって」
「ははっ、そうっすか?」
そして東吾は、練と湊に向かって明るく言った。
「な、やっぱ俺と里樹さんも一緒に来てよかったな。さあ、行こうぜ」
歩き出しながら、里樹は思う。本当に、さっきのシーンを二人だけで見せることにならなくてよかった。
それに、やっぱり僕なんかよりも、東吾くんは優しくて頼りになる「兄貴」だ。
僕だったら、こんなふうにうまく空気を変えることができるかどうか……。
東吾は、ときおり周りの景色を指差したりしながら、さかんに二人に話しかけている。
二人にも表情が戻ってきたようだ。
練は、目の前の幸せそうな家族の光景に、いとも簡単に打ちのめされていた。
あの日、自分が選択を間違ってさえいなければ、当たり前に手に入っていたはずの幸せが目の前にあった。
仲のいい兄弟と、彼らを愛おしそうに見つめる両親。けれども、自分の手で台無しにして、二度と戻らない温かく平凡な幸せ。
航が死んだ後、母はショックで倒れた。憔悴しきった母は、眠ることも食べることもできず、葬儀の後、入院したのだ。
母の両親はすでに亡く、父の両親と母は、あまり折り合いがよくないことは、子供の練の目にも明らかだった。
祖父母は、大卒で一流企業で働いている父と、バーで働いていた母の結婚を最後まで反対していたらしい。
母が入院したとき、祖父母は練に「しばらくうちにおいで」と言った。
今思えば、父一人で、仕事をしながら母と練の面倒を見るのは大変だと思ってのことだったのだろう。
だが、練は断った。
祖父母のことが嫌いだからではない。自分だけが祖父母のもとで安楽に暮らすなんて許されないと思ったのだ。
無理強いはされなかったし、父も「練がそれでいいならかまわない」と言った。
そのせいで父は、疲れて帰ってから練の食事の世話までしなくてはならなくなったのだが、当時の練には、そこまで気が回らなかった。
父に連れられて、病院に母の見舞いに行くと、痩せて青白い顔の母は、練を見て泣いた。
自分が航を死なせたせいだと思い、練も泣いた。
細い腕にぎゅっと抱きしめられ、二人して泣いた。天井も壁もシーツも、何もかもが白い病室は、消毒薬のにおいがしていた。
季節が変わる頃、母は退院した。相変わらず痩せていたけれど、ときおり笑顔を見せるようになり、そんな母を見て、父もほっとしているように見えた。
誰も航について触れなかったが、和室には遺骨と遺影が置かれていて、練が学校から帰ると、いつも母はその前に座り込んでいた。
パートの仕事を辞めた母は、やがて専業主婦として家事をするようになったのだが。




