5話「すえた臭い」
「私は絶対絶壁にっ!!ノーパンしゃぶしゃぶだなどとふざけた出し物…許しはしない……」
「──────不適切にも程があるっ!!」
それから、一体どれくらいの時間が経ったのだろうか?
廊下にうずくまり、時間経過と共に増す痛みに涙を浮かべながらも、廊下をカツカツ、ゴッツゴツと踏み鳴らしながらその場を後にする彼女、蕪木 甜歌の後ろ姿を見送ったのが、随分と前の事。
しばらく動けずにそうしていると、始業開始五分前のチャイムがけたたましく鳴り響き、既にして昼休みが終わった事を悟らせる。
あぁ…──────すまないクイニーアマン。
君を楽しむのは、クイニーなアマンを享受するのは、暫くの間…お預けみたいだ。
得意の妄想の御業で、手近に転がる甘いばかりの菓子パンをほんのり健康的な小麦肌の美少女に見立ててキャッキャウフフ。
そんな妄想に耽っていると…
ガラガラ──────ッと重く年季の入った扉の不快な開閉音に気づき、反射的に丸まったダンゴムシの様な体制を何とか急ぎ中腰にまで戻し、俯いた顔を力づくで振り上げると、慌てた様子の白石穂乃美の姿がそこにあった。
「──────…一体、なにがあったの弓月くんっ!?」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
昼休みを終了間際、生徒会室前で偶然出会った彼女、白石 穂乃美と生徒会らしからぬ余裕の無さで足を競歩の要領で繰り出し、滑り込む様に教室へと身を潜らせ二人揃って間一髪、事なきを得た。
尤も彼女一人であれば余裕を持って自席に着席し、教科書とそれから必要な文房具を用意し、前もっての復習なんかも出来たはずだ。
それというのは、痛みの名残を残した腹部を抱え、息絶え絶えに競歩のペースを保てなかった僕の半ば介護の様な役割を引き受けくれたからに他ならない。
一コマ五十分の授業を二回、欠伸を噛み殺しながら六限まで何とか終えると、その頃にはすっかりと腹部の内蔵にまで達した不快感は無くなっていた。
ホームルームを終えた放課後、特に示し合わせた訳では無いのだが長年の習慣化か、席を立ち上がると自然と白石 穂乃美と合流し二人連なって教室を後にする。
喧騒激しい教室から遠ざかるにつれて、コツコツコツコツと二重の足音がリノリウム製の廊下に反響する。
「にしても…」
「昼休みに生徒会室に来るだなんて、白石は勤勉だなぁ」
「そんなことないよ〜。静かで一人になれる所が好きなだけだよ。ほらっ生徒会室って鍵も着いてるし空調も効いているでしょ?」
「ん?あぁ、確かに人に見られたくない事をするにはうってつけかもな。大声でラブバラードなんか歌ってみたり、あられもない妄想に耽ってみたり…なっ!」
「う…うんそうだね。でも、防音は然程でもないから、それはやめておいた方がいいよ?」
追随する様に、妄想も程々にね?なんて忠告を受けたが、こればっかりは息を吐くのと同じくらいには体に染み込んだ原始反射的な物の為、到底かないそうにないなと、一考するも直ぐに諦める。
暫くそうして他愛も無い会話を啄みながら連なって歩いていくうちに、二重だった足音はやがて三重に、遠くからややテンポの違う足音がコッツコツと小気味よく聞こえてくる。
「白石せんぱい、おつかれさまです!」
破顔一笑、健気で可愛らしい後輩そのものの体現とも言える身振り手振り、素振りで現れたのは、生徒会書記兼会計の平八重 美里。
小柄でありながらその胸には巨大な双丘…など当然ついているはずも無く、あっちもこっちもちっちゃな年相応とは程遠いあどけなさを残す彼女。
ブカブカと、ややサイズ感のあっていないその制服は、きっと両親が彼女の成長を見越して、期待を込めてワンサイズ大きめを頼んだであろう事は、火を見るより明らかであり、自明だ。
「美里ちゃん!おつかれさま〜」
後ろからやって来た彼女に、白石は振り向きざまにそう返し、両の手でもってあつい握手を交わす。
「今日はなんだか風が心地よくて、授業中落ちてくる瞼を上げるのでいっぱいいっぱいでしたよ〜」
「わかる!寝不足って訳じゃないんだけど、どうにもお昼のあとって眠気に襲われるよね」
女子二人、黄色ともピンク色ともとれるきゃっきゃとした鈴の音を転がした様な弾んだ歓談を盗み聞き、もとい傾聴しながら三人足並み揃えて向かうは生徒会室。
「平八重、僕にはおつかれさまですの一言はないのか?」
二人の会話の続きを聞くことに徹していたが、やや遅れて気づく。
彼女の「おつかれさまですっ!」の親しみの情を孕んだ愛らしい一言が、白石を名指したものであり、僕がその範囲に含まれていなかった事に。
「あぁ…居たんだ。おつ」
「なんだその扱いの差はっ!僕は生徒会長だぞっ?!」
「だって〜生徒会長さまはきっと素晴らしいお方でしょ?授業なんてきっとちょちょいのちょいだろうし、特に疲れてなんてないかなぁって」
「くぅ!生徒会入部最初期にはあんなにも健気でせんぱいせんぱいってひよこの様に着いて回ってたっていうのに…」
「いったい誰が彼女をこんな思春期の娘の様に変えてしまったのかっ!?」
「うるさいなぁ…職員室近いんだから静かにしてよねっ!」
「あぁ…!多感な時期、年頃の気難しい娘を持つ父親の気持ちが少しだけ理解出来た気がする!」
「…………変えたのはお前だばーか」
ボソッっとくぐもった声こそ聞き取れなかったが、馬鹿の二文字だけは微かに拾えてしまった。
「なんだっ!?また悪口か?あんまりお口が悪いと議題にあげるぞっ!?」
「それにこの僕を捕まえて馬鹿だなどと…──────」
「もうっうるさいうるさいうるさ──────いっ!」
「あっち行ってよねっ!しっしっ!」
蓋のされていない臭いものの様な扱いに、さしもの僕も少々傷を受け、これ以上は火に油を注ぐだけだと割り切り口汚い言い合いを終える。
長い廊下は既に最奥のほんの手前、突き出し型の職員室の表記があるプレートのひとつ前、生徒会室の表記をみとめると迷わずその重い扉を開け三人順繰りに身を潜らせる。
「うっ…これは!?」
扉をくぐった先、廊下の外気と内気の入り交じった匂いから一変、なにか食べ物や飲み物が腐って酸っぱくなったような、あるいは汗や古い雑巾などが放置されて独特の酸味と古さを帯びた不快な悪臭が室内に充満していた。
「げぇ〜なんかすえた臭い…」
「なんだよ…こっちを見るなこっちを」
「どうせなんか食べ物でも放置したんじゃないの!?なんか、肉が腐った様な匂いするし…」
室内は空調が効いているとはいえ、カーテンの開け放たれたままの為、日射しによって何か食べ物、もしくは生乾きの雑巾なんかが熱で匂いを発しているのか、兎にも角にもどこか生臭い室内に一瞬踵を返すという考えが浮かぶ。
「窓開けよ窓!ねっ!」
白石の一言で散り散りに室内全ての窓を開け放ち、外気を取り入れる事で、空調の恩恵たる涼しさと引き換えにその悪臭は直ぐに無くなった。
「それにしても、そろそろ本格的に合同の出し物決めないとじゃない?」
「そうだね。夏休みには準備期間に入りたいから、今週中には…ね」
「だから何度もノーパンしゃぶしゃぶだと…」
「あー…それもういいから。顧問の先生だってそんな出し物じゃ稟議書通せないだろうし」
「それに風紀委員長さんに真っ向から敵対されちゃうとねぇ〜…」
その点について、勿論考えていない訳では無い。
当然として、公序良俗、コンプライアンスに引っかかる事は理解している。
従来の、それこそ元祖大元のノーパンしゃぶしゃぶであれば、到底実現しないだろう。
けれどもどんな事柄にも抜け道はあり、まだ道半ば、完全な対策は出来ていないものの、実現にたるだけの用意がある。
今日はそんな事を議題に、彼女達と忌憚ない意見を交換しようというのが集まった理由な訳だが……
ふと、ここに足を運んだもうひとつの用事を思い出し自らの席の物入れに手を差し込む。も、スカスカっと空を切るばかりの手のひら。
先日確かにここに入れたはず。
持ち込まれ、受け取り、しまったはずの、あるはずのソレが、影も形も全くもって見つからない。
「……ない」
「なに?社会通念?」
「いやっ、それは当然持ち合わせている…」
「じゃあ一体なによ?…交際経験?」
「違う!ない…ないんだよ!」
「預かったはずの落し物…──────0.00mmって書いてあった箱が!」




