4話「甜歌ちゃん」
一歩二歩…ずりずりずりずりと、音を立てて後ずさる足が──────、一向に止まらない。
左右に頻りによろめきながら、両の目を瞬かせ、後ろ歩きで千鳥足の様にフラフラフラフラと後退、そしてまた再度、後退。
顔を耳の先まで赤く染め上げ、けれどもその表情からはやたらと青白い物を感じる。
やがて自らがたった今出てきたばかりの扉の前まで辿り着くとピタッ…っとその足を止める。
「きっ聞き間違いだったのなら申し訳ない…」
「君はいま…」
「ノーパンしゃぶしゃぶ……と、そう言ったのか?」
懇願する様な縋り付くような憂いを帯びた表情で耳をピクピクと器用に動かしながら、その答えを急かす様な表情で待つ彼女。
「あぁ、ノーパンしゃぶしゃぶだっ!紛れもないっ!」
お預けされた犬の様な表情でその答えを急ぐ彼女を前に、待たせては悪いと思い簡潔に簡略的にかつ最も分かりやすくたった一言。
シンプルイズベスト、そう、高らかに言い放った。
更に、自ら口にしたその言葉の語感の良さを眼前の彼女にも余すことなく共有したく、こう付け加えてみる。
「──────実に甘美な響きだろうっ?」
「ッ!?」
愕然、唖然、呆然。
心が大きく揺れる様子を表す言葉。
それが彼女には、目の前であんぐりと口を開けたまま呆けた顔で硬直している蕪木 甜歌には、おあつらえ向きの言葉だと僕は思った。
「きっきみは…──────君はそんな冗談を言うような人間じゃないだろうっ!」
悲しみとも怒りともとれる、或いはその二つ共。
もしくは更に複数の複雑な感情を織り交ぜた慟哭が、長い廊下の端から端までを反響する。
彼女のその言葉の真意こそ分からないが、何か誤解が生まれてしまったという事は、この回転の早い頭が早々に理解させてくれた。
「?」
「僕は、冗談なんて言わないが?」
生まれてしまった誤解を解くためにすかさずのキャッチボールを試みる。
何を隠そう、僕は冗談という物が好きではない。
元来この冗談という言葉は、仏教用語で修行に関係のない「無駄な雑談」を指すものであり、僕吹寄 弓月は無駄という物がこの世で一番に嫌いなのだ。
場を和ます為、人を笑わせる為、ふざけた言葉や戯れ。
冗談を良く言ったならそんなものだろう。
けれど、そんな大義名分があったとして、ユニークを用いているとはいえ、やはりそれは嘘に他ならない。
嘘と言うやつに善し悪しなどは決して存在しない。
嘘と言うのは悉く、例外なく、品性下劣で愚かな行為なのだ。
で、あるからして、やはり僕は無駄であり嘘にも紐づく冗談という物を用いる事などは断じてないのである。
「はあぅッ!?」
胸を抑え、もはや言葉ともとれない嗚咽の様な音を漏らす彼女。
その瞳にはうっすらと小粒の水溜りが見て取れる。
「そっそれじゃあなにかっ!?正真正銘、君の意思決定に基づいて、その…ノーパンしゃぶしゃぶだなどと言っているのか!?」
「…?うむ、紛れもない」
質問に対して即座の肯定。
眼前の彼女はそれを受け、雷にでも撃たれたかのように激しく身震いすると、震えながら悶え、掠れ萎れた声で、わなわなと口を開く。
「あ…ははは、なんだわかったぞ!」
「私は何か、酷い勘違いをしていた様だ…!ノーパンしゃぶしゃぶ、字面こそ最悪だが、つまり君が言いたいのは──────!!」
「ノー・パンデミックしゃぶしゃぶ!その略なんだな?」
雄弁に、自信満々に、その小さくなだらかで、高速道路の様に整備された平らな胸を大きく反り、人差し指をビシッと突き立ててみせる。
「ん…?違うが?」
またも即答、今度は否定の意。
「んなっ!?」
最早何度目か、今度は鞭にでも打たれたかの様な衝撃に見舞われる彼女。
なんだか見ていてとっても面白い。
けれどもこれ以上、胡乱なやり取りをしていては、昼休みという物は有限であるからして、それこそ行ったり来たりの問答は無駄に他ならないため、懇切丁寧に、一から十までを簡潔に説明してみせる。
「ノーパンツ。ほんでしゃぶしゃぶ。字面から連想する通りのシンプルな催し物だな」
「よもや本気…なのか?」
説明を受けて尚、なぜか困惑の表情を見せる彼女。
けれども僕は、彼女の先の言葉にひとつ、感銘を受けてしまった事にやや遅れて気づく。
「あぁ…!その発想は無かった……。さすがは風紀委員長だな!」
「!?」
「失われたノーパンしゃぶしゃぶ文化がここで再度始まり……それは次第に人々の心に確かな形を生み…やがてアウトブレイクとなりエビデイクになる……」
「──────そしてやがて世界規模のノーパンパンデミックとなる!」
「この短い間にそこまで見据えていただなんて…」
「甜歌ちゃん、君ってやつは──────生粋のノーパンしゃぶしゃぶマスターだったんだな!」
パイオニアとして、旗手として、僕と並び先頭に立って文化を引っ張っていくのがよもや、風紀委員長たる甜歌ちゃんだったとは!
「甜歌ちゃん…僕は嬉しいよ。君みたいにノーパンしゃぶしゃぶの良さを理解してくれる同志がいるという事が…」
「そうと決まれば時間が惜しいっ!」
「甜歌ちゃん!そのやたらとデニールの高いタイツを脱ぎ、純白のショーツを脱ぎ捨て、更なる高み!ノーパンへとっ──────ぶべっ!?」
舌を頻りに回し、声高に言いかけたその矢先、鳩尾付近に鋭い痛みが走る。
苦悶の表情で奥歯を噛み、痛みの発生源を見れば、彼女の小さなおみ足が、細く健康的な肉付きのあんよが、良く磨かれた濃茶色のローファーの先が、深々とめり込んでいる。
「なっ…なぜ…?」
「うっ…うるさい!馬鹿者っ愚か者っ!!」
「二度と…私の事を甜歌ちゃんだなどと呼ぶなっ!この…──────痴れ者がっ!!」




