第33話「僕たちの夏休み④」
──────こんなはずじゃ、なかったのに。
今朝はいつもより早起きして、と言うよりあまり眠れずに彼は誰時、早鐘を打つ胸を抑えながらベットから身を転がした。
朝食はなるべく軽めに、酢漬けにした胡瓜とチーズのサンドイッチを食べ、乾いた喉を白湯で潤すと「ふぅ…」と一息つく。
それからシャワーをたっぷり一時間以上かけて浴びて丁寧に毛先まで乾かすと、ちょっとだけ前髪を微調整───極めて慎重に。
自室のローテーブル前に腰掛けると、化粧品を濡れても大丈夫な防水性のある物に一部切り替えて、失敗しない様にこれも時間をかけてじっくりとおめかしする。
仕上げに母親に高校入学に際してもらったブランド物のティントリップで唇を大人っぽく、くすんだブラウンレッドに染め、調光機能の付いた卓上化粧鏡の前、確かめる様に数回唇を鳴らす。
「よしっ!」
一息気合いを入れて立ち上がるとクローゼット前「むむむ…」指先を顎先にあてがい、首を傾げ十分程考え込む。
お出かけ先がプールという事もあり、夏らしく可愛らしくなるべく動きやすい着脱の容易な物を選ぶべき…、だとは思うのだが、最終的に今日は何となく「私っぽくない」洋服を選んだ。
枝毛一つとない自慢の赤毛をアップにまとめ、髪を帽子のアジャスター部分からふわりと出す。
次いで目下、着替えや貴重品などの荷物を詰め込んだ今様色のロールトップ式ドライバッグを見やる。
小さく折り畳まれた大胆なビキニスタイルの水着。
友人とのショッピング、その場の勢いも相まってオフショルダー部分の可愛さに惹かれて夏目前、春休み中に買った物。
ものの…後からその大胆さに気づき、中々に着る機会がないかもなぁ…と、クローゼット奥深くにしまってあったモノを引っ張り出した。
「ちょっと、気合い入りすぎかなぁ…?」
昨晩、いや一晩中これで行くか考えた。
あてがって実際に着てみて、得心する理由を強引に見つけて決定し、眠りについた。
けれど今一度、不安を払拭する為にあてがってみると、やっぱりなんだか、気恥ずかしくなる。
なんだか背伸びしているみたいで、頑張ってる感というのか、必死さというのか、そんなモノが見え透いている様でなんだか惨めな気持ちになる。
「ううん、このくらい背伸びしなきゃきっとダメだよね…」
けれど、やはり強引に自分を納得させる様に反芻思考にケリをつけ、モヤモヤとした栓のない懊悩に蓋をすると、再度カバンに詰め直す。
そうこうしている内に待ち合わせ時間までは一時間とあと少し、慌てて残りの身支度を済ませ、自室から玄関までの階段を滑るように降りる。
「じゃあ、行ってくるからね」
両親共に既に仕事で家には誰も居ない。
声をかけたのは玄関脇、多段ステップラックの上、飾られた大小様々なぬいぐるみ達。
その中から、最も最近手に入れた「ファンシーダッシーくん」のぬいぐるみを選んで胸の内ぎゅっと強く抱きとめると優しく数回撫でる。
「あの日」から、出かける毎に行う恒例行事。
こうすると心はザワザワと浮いてしまうのだが、身体は羽のように軽くなる。
恒例行事を終え玄関を勢い良く飛び出すと、やたらと軽くなった身体を跳ねさせる様に両足交互に力いっぱい踏みしめる。
「楽しみだなぁ!プールっ!」
ひとりごちりながら、アスファルト照り返す陽光を一身に受け、けれども意に介さず、待ち合わせ場所である彼の家へと急いで向かうのだった。
♢
「美里ちゃーん、プールの中とっても冷たくて楽しいよ〜」
持参したケープハイラックスを模した騎乗浮き輪の上、後部座席で楽しそうに笑うひとつ上の先輩である白石 穂乃美。
それと、前席で子供の様にはしゃぐ空前絶後の変態野郎…吹寄弓月。
「鼻の下伸ばしやがってぇ〜…」
バイクの二人乗りの形、身体をゼロ距離に寄せあう抱き着いた形。
腰に回された白石穂乃美の腕にドギマギしながら、背に当たる極大の双丘にスケベ顔で意識を集中させ鼻の下をだらしなく伸ばしている。───気がする。
目的──ノーパンしゃぶしゃぶ──以外にさして興味のない彼が、そんな劣情を抱いていない事は、自身で良くわかっているつもりだ。
なので、これは八つ当たりのようなもの。
そこに居るのは、自分だったハズなのに…と。
素直になれず、ツンケンといつもの調子であしらった自分が招いた結果だとは分かってはいるが、後悔先に立たず、覆水盆に返らず、後の祭り。
そんな言葉が頭を過ぎるばかり。
「うっうぅ…」
不随意に込み上げる涙を嗚咽のみにとどめ、既で堪える。
直したばかりの化粧。
涙こぼれよう物ならアイラインやマスカラが落ちてパンダの様になってしまう。
そんな事を考え続け、最早自己解決の糸口が見えなくなったタイミング。
「これからまさに一致団結、一同協力して文化祭を迎えると言うのに、これじゃあいけないな平八重?」
良く通る宝塚女優の男役の様な凛とした声音の持ち主に、不意に裏面から声をかけられる。
生徒会顧問の長万部先生。
プールサイド、膝を抱える私の隣に浅く腰掛けた彼女は学校指定の競泳水着というシンプルな格好でありながら、楚々とした美しさ、かつたおやかさも感じる。
「長万部先生…私…」
弱々しく零した歯切れの悪い言葉。
けれど、それだけで全て分かったかのように長万部先生はこちらを一度見ると、直ぐに正面に向き直した顔で、やおら、ゆっくりと口を開く。
「あと何回、こうして顔を合わせられるか分からないんだ。一回一回を後悔なく、憂いを残している余裕なんて無いんじゃないか?」
「わかってます…わかってるけどっ!」
「なんだか上手くいかなくて、皆の卒業が近くなって来たから、こうやって遊べる時間を大事にしなきゃいけないって…分かっては、いるのに…」
彼ら、吹寄弓月と白石穂乃美が卒業したら生徒会には私一人になる。
当然として、代わりに誰かが入っては来るのだが、それは私が居心地が良いと感じているこの空間とは全くの別物だ。
喪失感というのか、ぽっかりと大きな穴が開く感覚。
それは少し先の未来の話なのだが、一日一日とすぎる度に強い焦燥感に襲われ、時折苦しくなる。
そんな思いからか、最近はいつもより気が立ってしまっている気がする。
「長万部先生…私、どうしたらいいんですかね…?」
藁にも縋る思い、震えた唇で隣に座る彼女にそう問いかけると、考え込む様にして深く頷いてみせる長万部先生。
決して彼女に明確な答えを貰おうなどと思って口にした訳ではない。
思考のクッション代わり、壁打ちの要領で問いかけてみた。
何か…自分の考えから逸脱した、起死回生の一途が得られるのでは…と。
──────思っていたのだが…!!
「お──────いっ!吹寄!こっちまで来てくれっ!!」
遠く、反対側を白石穂乃美と二人で悠然と浮き輪で泳ぐ彼らに手招きと共に声をかける長万部先生。
彼女の口元に手をあてがい、懸命に制止するも時既に遅し、人力とは思えないスピードでこちらへと進んでくる。
何かを察したのか、浮き輪の後部座席からするりとプールへ「とぷんっ!」と音を立てて滑り落ちた白石せんぱい。
彼女はゆらゆらと水面を漂いながら笑顔でこちらへと手を振っている。
「どうしました?長万部先生?」
「長万部先生も良かったら乗っていきます?後ろ」
寸刻と立たず到着した彼はちょいちょいっと自らの後ろ、後部座席を指さして見せる。
なんだかバツが悪くて、元いた場所で再度身体を丸め膝元に顔を埋める。
「あぁ、乗せてくれ」
「と言っても私じゃなく、平八重をだがな」
「なっ…!?長万部先生!?」
想定外の言葉に、思考の全てが後追いで、身体がバッと勢い良く不随意に動き、立ち上がる。
「平八重?もちろん構わないですけど…これは元々彼女の物なんで」
そういうと、身体を前面に寄せ動かし、後部座席に充分な広さを確保する彼。
「長万部先生わっ…わたし乗りたかった訳じゃ…!」
そう言い切る前に、遮るように長万部先生はしなやかな筋肉でもって私の身体を一気に持ち上げる。
「えっ!?ちょっ!?長万部先生!?」
突然の浮遊感に若干の恐怖を覚える。
けれどそれよりも、この先に待ち構える展開が、容易に想像出来てしまい、更に狼狽する。
「まっ…まさかっ!?」
「という訳で吹寄!いくぞっ!」
軽々と、同い年の子達に比べて軽めとはいえ四十キロ前後、揺り籠のように段々と遠心力を加えるように揺らし、引き絞ったタイミング、再度先程よりも強烈な浮遊感。
二メートル程、宙に浮かび上がる私。
「へっ!?へええええぇ──────!?」
恐怖、その一言。
眼前にはゆらゆらと揺れる水面がすぐ目の前。
落ちたらまた…と不安に駆られ落下目標地点を見ると、手を広げて待ち構える吹寄弓月。
「─ッ!!」
「好きなんだろ?吹寄の事が」投げ入れられる寸前、長万部先生が極限まで絞った声で耳打ちした言葉が頭の中の殆どを埋める。
付け足すように言われた「なら、砕けない程度に当たってこい!」とその言葉が否応なく彼への想いを改めて実感させる。
時間にしたら一秒か二秒かそこら。
けれど、やけにゆっくりと感じる体感で嫌と言うほど目の前の彼を不随意に見つめてしまう。
「うっ…受け止めてっ!!」
あとは目を瞑り、結果を待つばかり。
「はいっ!ばっちこいっ!」
快活で力強い彼の返事が耳に届くと、長かった浮遊感はおわり、強い衝撃と共に水面に打ち付けられ…はせず固く、暖かい物に包まれる。
「後ろが嫌って言うなら、前なら良いんだろ?」
いつの間にやら後部座席へと移動していた彼の両腕の中、抱き抱えられる様な形。
ぽんっと軽々と前席へと整える様に置かれる。
「べっ…つに、そういう訳じゃ!!」
この後に及んで強がってしまう私の言葉を遮る様に、背中を優しくペチッ!と叩く彼。
「なっ!なにすんのよっ!」
「さぁ進むんだ平八重っ!お前は僕の後継、次代の生徒会長。そして今は…この船の船長だ!!」
「船じゃないしファンシーダッシーくんだしっ!」
ツッコムと、なにがおかしいのか間抜けな表情で笑う彼。
次いで、彼の両手が肩口に乗せられると、少しずつ進み出した浮き輪の動きと共に、やけに芝居じみた口調で大きく口を開く。
「生徒会書記兼会計兼…「船長」平八重!!」
「端から端まで、何周だって泳ぎ回ろうじゃないかっ!!」
「〜〜〜///!!」
こっちの気持ちを知ってか知らずか、底なしに明るく豪快に笑う彼を前に、気づけば心の中の澱のような物は見当たらなくなっていた。
「さっ!出発に際しての合言葉を船長の口から頼むぞ!」
「────あぁもうッ!!」
「しっ…」
「出発進行〜──────ッ///!!」
「ヒッ!?」
掛け声を合図に信じられない速度で進み出す浮き輪に思わず前傾姿勢で固まる。
見れば、頻りに力強く足をパタパタと動かす彼と、更に後方、水中から白石せんぱいが浮き輪を押し泳いでいる。
「三人揃って遊ぶの楽しいね〜!」
「そっ…そですね…」
一周を一瞬で終え、二周三周と衰えのない速度に身体は段々と慣れ、なんだか気持ちが良くて楽しくなってくる。
「あっ…あはは!あはははっ!」
込み上げた笑いは、どうにも自分では制御が効かず、ここ最近覚えがないくらいにお腹から声を出して笑った気がする。
それを受け、更に加速した浮き輪…もとい船はこの後更に十周程して、二人の体力が尽きた頃にようやく止まった。
その後も泳ぎを教わったり昼食を食べたりと一日中身体がふやけるまで遊び尽くし、体力が回復した頃を狙って二人に再度催促すると一致団結、同好の士三人揃っていざ大海原──屋内プールだが──をただ真っ直ぐと、けれど確かな勢いを持って、船は突き進むのだった。
♢
「夏休み終盤、きっと明日からまた揃って集まれるタイミングはなかなかないだろう」
「お前たちの夏休みは没収したハズだったんだがな」
「バイトだってあるし家の事も色々あるんだから仕方ないじゃん!」
「あっあと白石せんぱいと夏祭り行く約束もあった!!」
「おいそれ…僕誘われてないんだがっ!?」
「だってまだ先の事だし、誘ってもどうせ「忙しいから〜」って言って来ないでしょ」
「行くっ!行くに決まってるだろ!高校生にとっての夏祭りがどんなに貴重な経験か…何を隠そう僕は遊びと無縁のこの数年、夏祭りだけはご褒美として毎年欠かさずにいっているのだからっ!」
「なんか弓月くんにしては、意外だね?」
「そうでもないさ、その目的はテキ屋巡りや体験という事も一つあるが、やはり」
「浴衣の下には下着を履くのか履かないのか。ノーパンかどうかを確かめにっ──────うっ!?」
「吹寄っ!あんた絶対に連れてかないからねっ!」
「ごめんねぇ〜一人で沢山仕事させちゃって。おじい様もお父様もお母様も、どうしても色々と連れて行きたいみたいで」
「なに、構わないさ。半分本気、半分冗談…でこそないがプライベートを充実させる事もまた、より良い生徒会活動の為と思えば、な」
「というわけで次に顔を合わせるのは始業式。そして始業式が終わったなら直ぐにでも準備を始めて、今度こそ、僕たち生徒会に九月下旬の文化祭が終わるまで休みはないからな」
「うっ…一ヶ月も休み無しかぁ」
「でもきっと頑張った分だけ、良い物になるよね」
プール上がり、塩素臭くやけに重い身体を引っ提げた帰り道、いつもどうりの他愛もない会話を啄む、大事な時間。
三人連なって、とぼとぼと正門を出た頃、どこか遠くで、エンジン始動音と砂利を踏み鳴らす小気味の良い音が聞こえると、仄暗くなった遊歩道を街灯がタイミング良くパッと照らす。
目線の僅か先、長万部先生のバックハザードの明滅が、道路反射鏡に僅かばかりに反射して見える。
きっと田村くんを送って帰るのだろう。
あぁ、こんな日がずっと続けばいいのになぁ、なんて物思いにふける暇も無く、その後あっという間に駅に着き、二人と別れた。
この、寂しさと充足感の混在した不確かな気持ちを大事にしたい。
そう、一人歩く家までの距離、強く思う。
だからこそ、必ず『ノーパンしゃぶしゃぶ』は成功させなければならない。
彼の野望であり、今や私たち生徒会を学校をも巻き込んだ夢のようなモノ。
上手くいったなら、この私たちの仲はより一層と深く固いものになる。
そうしたらきっと卒業してもまた、皆に会えるハズだ。
そう思い思考を切り替えると、決意新たに歩幅を一層と大きく、歩き始めるのだった。




