第28話「欲望って奴は見境ない②」
「はぁ〜っなんだか私今、人生で初めて...心も体も満たされた、そんな気分!」
「実は私ね、ずっとやってみたかったんだ『電車ごっこ』!」
「あぁ...さいですか」
さかのぼる事十分程前、経由駅一駅を挟んで最寄り駅に着くまでの電車内、僅かな間。
僕は白石穂乃美に────逆痴漢された。
それはとても正気の沙汰とは思えなった。
電車の揺れ動きに合わせて体を──主に下腹部を、押し当てては、その反応を楽しむ様に口角を上げて微笑を浮かべていた彼女。
生まれて初めて玩具を手にした時の様な恍惚の表情。
決して感情で笑っているのではなく、神経の反応や身体の仕組み、そんな原始反射的、生理的微笑の様だったと思う。
やがて電車が最寄り駅のアナウンスを機械的に告げたタイミング、慌てて身を外へ放り投げる様にして彼女のその万力の様な手中から無理やりと逃れる。
漸く解放された腕は半ばから先の感覚の殆どが冷えて無くなっていて、人差し指はしわくちゃのドライソーセージの様な変貌を遂げていた。
既にして────ライフポイントはゼロ。
それどころかマイナスへと著しく下がり、マイナスすらも振り切って、今も尚下がり続けている。
僕は見誤っていたのだ。
彼女が「ドスケベ」なのは、周知の事実──でこそ無いが、僕個人はそれを良く知っているつもりだ。
──────「つもり」だったのだ。
癖のある性癖、特殊な趣向、変わった嗜好。
どれも個性であり、誰もが大なり小なり少なからず持っている物。
彼女の場合のそれは、少し度の越えた好奇心や興味心の様なものだと、母親による過度な抑制故の暴発の様なものだと位置づけていたのだが、これはともすると──────とんでもない化け物が誕生してしまったのではないか?
と、そんな危機感と共にようやっと理解出来た。
目の前で破顔一笑、大きく幸せそうに笑い、揺れてはいけないスカートをふわふわと揺らしながらどこか異国のお姫様めいて、くるくると回る彼女を見て改めて、その見識と認識を正しく定義し直す必要があると気づく。
「まさか...白石が素でノーパンをやってのける正真正銘のドスケベだったなんて...」
「なんだか心象悪いよぉ〜...全然こんなの」
「──────大した事じゃないのにね?」
「!?今、なんて言った!?」
目を耳を、目の前の全てを疑った。
或いは世界を、当たり前だと思っていた常識をも見直す必要がある。
これが、ノーパンが「大した事」じゃない...だと?
僕の夢、掲げる所の野望『ノーパンしゃぶしゃぶ』において、少なからず性的な要素を孕んでいる事は理解している、重々承知の上だ。
けれど少なからずそこには確かな認識と理解があり、センシティブな物をそのまま直接的に楽しむのではなく、あくまでもその「過程」に重きを置いている。
心理的・情緒的な嗜好、性的指向・嗜好の一種。
言うなればフェティシズム。
ある「部分」やシチュエーションへの執着。
環境や状況による恥じらいや憂いを帯びた表情。
そこから由来する不随意な動きや言動。
「萌え」やロマンティックへの強い憧れ。
最も近しい表現としては「クアロマンティック」。
審美的な欲求と言うのが大半だろう。
それが僕の求める物、欲であるのに対して……。
白石穂乃美、彼女の場合…その強すぎる欲は真っ直ぐどストレートに性欲。
性的な満足や性行為を求める事自体は、人間の極自然な欲求、本能に他ならないのだが、過度な抑制により捻れに捻れひん曲がり螺旋状になった彼女の欲は、最早本来の性欲のゴールである「体を繋ぎたい欲求」をも飛び越え、前人未到、僕も未だ知らぬ領域へと今まさに踏み入れようとしている。
だとするならば、この後彼女の誘う場所には一体何が待ち受けて居るのだろうか?
それこそ、ドラゴンカー〇ッ〇〇位の物が出て来ても彼女ならば...と納得してしまうかもしれない。
けれど、ふと彼女に対して放った僕の発言。
「肯定してやる!」という一言。
不意にかつ突発的にその時、その日の事を思い出したと同時に、ある疑念も生まれる。
「白石…、ならなんで当初ノーパンしゃぶしゃぶに難色示したりしたんだよ?...それならそうと最初から協力してくれれば...」
「だっ…だって!こんなの、私だって本当は…秘密のままお墓まで持っていくつもりだったんだよ?」
「でも…弓月くんがあの日、私の全部を肯定してくれたから──────」
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駅を出てから、一定の距離を常に保ち彼女の家へと向かっている道中。
付かず離れずのそんな距離感を保ったまま、僕の呆れ声の問いかけに、耳をすませばようやく聞こえる程の声量で返す白石。
彼女の言う「あの日」とやらは、もしかしなくても田村くんが届けた落し物が何者かによって盗まれ、長万部先生と田村くんの関係が大きく進展したあの日の事だろう。
そしてその盗んだ犯人は彼女、白石穂乃美であり、盗まれた物───0.00mmと毛筆で書かれた桐の箱。
そこに入っていた物は長万部先生の長年、積年の積もり積もった劣情の集大成、既成事実作りの為の代物「輪ゴム」。
「本当はあの時、全部終わったって、生徒会も、学校も辞めようと思ってたんだ」
先程までの晴れ晴れとした笑顔から一転、悄然とした表情で俯く彼女。
「なっ!?…なにもそこまでの事じゃないだろ…」
「いや……まぁそこそこ十二分か…」
彼女のその発言を受け、先程の問いかけを後悔する。
自責の念と共に血の気が引き、血圧が急激に下がっていくのを感じる。
何か、何か気の利いた事でも言わなければ、と慌てて開いた口からは、否定とも肯定とも取れる胡乱な発言が口をついてでてきていた。
返答の無い俯いたままの彼女の視線はすぐ真下、開粒度アスファルトの凸凹としたその何処か一片を映しているはずなのに、掛かった前髪から覗く瞳はどこか遥か遠くを見ている様で、或いは何も映していない、そんな朧気な目をしている。
見れば、腰前で合わせた両の手のひら、指先をいじいじと頻りに動かしては、震える指を強く抑えている。
「白石…」
「全部、自分の事なのにね。もう自分じゃあ抑えれそうになくて、盗んだ物を返して、ちゃんと謝って、皆の前から消えて無くなろうって、そう思ってた」
枯れて絞れた声を振り絞るように、そうぽつりぽつりと話す。
同じようにぽつりぽつりと、水はけの良いアスファルトの上をわずかばかりの涙で濡らしてみせる彼女。
「でもっ…!」
途端、溜め込んでいた感情が内部破裂を起こしたかのように声を上げる白石は、いつになく真剣な表情で、真っ直ぐにこちらを見詰めている。
「弓月くんはそんな私を嫌な顔ひとつせず受け入れてくれた!…私の全部を知っても何も変わらずに接してくれてる!」
「こんなダメな私と、私の中の秘めた物を全部肯定してくれるって…その一言が、すっごく嬉しかった」
「それは……」
悲しそうに笑う彼女の顔を、上手く直視出来ない。
嫌な顔は…多分していたと思うが、どうやら彼女にはそう見えていなかったらしい。
嫌、と言うよりは驚きによるドン引きという表現に近いが、開いた口が塞がらないというのが最も正しいだろう。
もっというなら未知の生物に対する畏怖の念の様なモノ、と言うのが正直なところだ。
白石穂乃美は清純無垢な優等生、その正体は自分でも歯止めが効かない程のドスケベで…。
けれど───それが一体なんだと言うんだ。
「それは…そうだろう?だって白石は、白石なんだから」
「──────ッ!?」
彼女がどんな邪な思いを胸の内に秘めていたとしても、白石穂乃美という人物が、僕や平八重、生徒会にとって大切な人だという事は変わらない。
きっとそれは、長万部先生や田村くん、その他大勢の彼女を知る人達だって同じだろう。
その素顔を知って、驚く物は少なからず居るだろう。
されど、決して彼女を嫌いになる者なんて、一人だっていないはずだ。
こと『ノーパンしゃぶしゃぶ』においても、彼女の存在は無くてはならない。
旗手として周りを先導する、いわば仲間なのだ。
「だから、そんな事で泣くなよ」
やや離れた位置の彼女へと歩み寄り、その小さく震える肩口にそっと手を触れる。
「言っただろ?どんな白石だって、白石の全てを肯定してやるって」
すっかり忘れていた…事はそれこそ墓場まで持っていこうと決め、再度、改めて彼女を肯定すると宣言する。
バッと勢いよくかぶりを上げた彼女の頬は涙に濡れしきり、交感神経によって血流の良くなった顔は赤らんで見える。
けれども、今度はまた先程同様、破顔一笑大きく笑ってみせた。
震えの治まった手を胸の前で抱きとめる様にし、声もなくぶんぶんと首を縦に振る彼女を前に、不随意に押し寄せるこの感情の名前を──僕はまだ知らない。
今にも抱き着いて来そうに両手をワキワキとさせている彼女を片手で制止しつつも、とぼとぼとそんな話をしながらもゆっくりとだが足だけは動かし続ける。
駅からは会話をしながら既に十五分程歩いて来ているが目的地はまだ見えない。
気づけば保っていた一定の距離をどちらからともなく詰め、並んで歩く僕ら。既に涙は引いている様だ。
また腕を絡め取られるんじゃ…などと不安に駆られている間にも着々と歩き続け、彼女の様子に気を取られている間に、気づけば既にして彼女の家の前。
荘厳な和風建築の豪邸。
入口に位置する数寄屋門前に到着していた。
「今、開けるね」
慣れたように召し合わせ錠を解錠し、身の丈ほどの大きな扉を内側へ押し開ける。
玉砂利の敷かれた広大な庭には巨大化した盆栽なような樹形の木々が点々と生え、取り囲むように清美に剪定された生垣、時折ちゃぷちゃぷと音を立てるのは小さな池で鯉のようなカラフルな魚が悠然と泳ぎ回っている、日本庭園の様な造り。
和風建築の荘厳な建物をメインに、三階建ての見栄えの良い一軒家が並び、道場の様なシンプルな建物とやけに天井の高い物置小屋が大きな敷地内に点々と存在する。
彼女とは最寄り駅が同じで、家も近所だ。
けれどちょうど道路を挟んで学区が別れている為特に幼い頃から馴染みがあった訳ではない。
高校に入ってから出会い、直ぐに打ち解け、今では無二の親友とも呼べる仲だ。
けれど、彼女の家に来たのは今日この時が初めてであり、建物自体は知ってはいたが、まさかここが彼女の家だったとは思いも寄らなかった。
「こっちは、物置じゃないのか?」
敷地内全域にびっちりと敷かれた砂利を踏み鳴らし、家へ…と向かうのかと思ったが彼女が向かったのは白と黒、シンプルな外装の物置小屋───と言っても一般的な一軒家位の大きさはあるが───だった。
「うん、おじい様の物置だったんだけど、今は自由に使っていいって、今は私のお家」
「白石は見た目通り、正真正銘お金持ちのお嬢様だったんだな」
「そんな事ないよ〜中はちょっと埃っぽいかもだけど…」
聞けば家族と過ごす時間よりも、今はこの物置小屋で一人過ごす時間の方が多いと言う。
決して家族仲が悪い訳では無いが、高校に上がったタイミング、手近に始めれるひとり立ちの用意も兼ねてそうしているという。
「随分と逞しいんだな」
「本当はちゃんと一人暮らししたいんだけど、お母様がダメだって聞かなくて」
これまた慣れた手つきでカンヌキ錠を外しながら物憂げにそう言う彼女の背中は逞しくも、どこか寂しげにも見えた。
ほの暗い室内へと彼女に続いて足を踏み入れると、中はやや埃っぽくはあるが、良く手入れが行き届いていて、外観から想像する見た目より、いくらか女の子らしいオシャレな内装になっている。
二階建て構造になっており、吹き抜けで黒い梁が格子のように張り巡らされシックでモダンな印象を受ける。
寝室もしっかりとある様だ。
「物置小屋とは一体…」
「一人で住むには、ちょっと広すぎるよね?」
「あぁ、我が家よりもずっと広いぞこれは」
きっと不安だったに違いない。
大き過ぎる物置小屋。
一人抱え込み、涙と体液で枕を濡らす夜だってあっただろう。
なら、これからはやはり僕が彼女の唯一の理解者として、その全てを受け入れ「肯定」してやらねばならない。
そんな使命感に僕は強く打ちひしがれ──────
「白石!僕は決めたぞ!もうお前を二度と泣かせたりなんて絶対に……」
「見てっ!弓月くん!これはね!」
「『肥後ずいき』って言って、干したハスイモを乾かした物なんだけど─────」
玄関の様な役割の空間、壁際に吊るされていた茶褐色の枯れ草の様なそれをこちらへと手渡す。
ゴツゴツとした手触りのこけし状、人差し指と親指でようやっと一周出来るサイズ、長さは二十センチ程か。
干し野菜の様な青臭い臭い放つそれは何やら長芋の様にヌルッとしていて、全体的にほんのりと湿っている。
「……これは一体、ナニに使う物なんだ?」
「えっとね…?」
「これは昔の、その男性のブーストグッズみたいな物で…水に濡れると膨らむんだけど…」
『これってばすっごく───具合が良いんだよっ!』




