2話「二度目の懇願」
ノーパンしゃぶしゃぶとは。
普通に生きていたなら、きっと生涯耳にする事も、口にする事もない言葉。
1980年代後半から1990年代のバブル期にかけて、東京・新宿などの歓楽街で生まれた飲食店、エンターテインメントレストランの一種である。
ミニスカートを着用したスタッフが接客、調理をこなし、わざわざと高所に置かれた皿などを取る事で生まれる視覚的『喜び、悦び、歓び』をメインのパフォーマンスとしたモノ。
幼い頃に見た、父親の書斎に隠すでもなく置いてあった男性週刊誌の見出しに太字で書かれたその魅力的な文字に、意味こそ理解していなかったが、妙に心惹かれたのを覚えている。
そんな心惹かれる文化も、大きな事件があり、過剰な接待の発覚であったり、癒着の象徴であったりと紆余曲折、諸々を経て需要はやがて無くなり、今では影も形も名前すらも目にしなくなった。
そう、僕、吹寄 弓月は喪失したのだ。
いつか夢にまでみたそれは…はるか昔とまではいかないが、僕が生まれる以前にとっくのとうに既に消滅していたのだ。
──────嘆かわしい、度し難い、許せないっ!
ノーパンに恥じらう女の子も!
もみじの様に耳先までを赤く染め上げた女の子による桃色の薄切り肉の調理も!
その文化の片鱗すらも、既に失われてしまったのだ!
「嘆かわしい…あんまりにも可哀想だ」
胸に手を当て大袈裟に天を仰ぐ。
「夢を見せた癖に、与えてはくれないだなんて……」
目の前の同志諸君へ重力そのまま勢いよく手を振り下ろす。
「そうは思わないか同好の士よっ!!」
雄弁に、切り口鋭く声高に吠えた僕の目の前、ロの字形に並べられたデスクには生徒会メンバーの二人、白石穂乃美と平八重美里が腰掛けている。
先日の生徒会で共有した『秘密』もとい『野望』
逢えなく二人の反対意見に飲み込まれみっともなく呻く事しか出来なかったが、帰路に着く道中、改札を潜る瞬間、シャワーを浴びている間、食事の合間、布団に潜りうつらうつらとしている時でさえ、やはり強すぎるこの思いは一向に冷める様子がなかった。
人生を賭した野望、強すぎる情熱、冷めることのない劣情。
そうしてやはり、決定的に思ったのだ。
諦めるという選択肢はハナから存在すらしていなかったのだと。
そんな強い決意を胸に、再三再四彼女たちへのプレゼンテーションを試みている。
そんな現在──────。
「昨日聞いたんだけど…そんで昨日より三割増しでキモイんだけど」
「…キモイんだけど」
携帯片手に、ファッション雑誌を退屈そうに読みながら、こちらを一瞥することも無く言い放つ平八重 美里。
「きっ…きもい…だと!?」
「うん、きっしょい、きっしょい、ちょーきもい」
三回っ!?三回も繰り返した!?
眼光鋭く、まるで路地裏のドブネズミでも見るかの如く、今にも唾でも吐きかけそうな程冷たい目で!!
この文武両道たる生徒会長、吹寄弓月に向かって!?
「どうしてそこまでのーぱん?…しゃぶしゃぶ?にこだわるの?……そんなに、その…見たいの?」
言葉にする事ですら恥ずかしがるだなんて。
まるでノーパンしゃぶしゃぶが欲に塗れた下賎な言葉だとでも言いたいのだろうか。
或いは彼女が花も恥じらう乙女、そんな象徴だからだろうか。
真意は不明だが、やたらもじもじと、瞳をうるうると震わせて、ほんのり紅潮した顔を見せる白石 穂乃美。
その姿にはさすがにこちらも、ほんのりと劣情にみまわれる。
「みたいに決まってるだろうっ!いやっ違う……正確には、それはあくまでも副産物に過ぎないのだ!」
そう『ノーパン』である事が、ノーパンしゃぶしゃぶの魅力ではないのだ。
『ノーパンしゃぶしゃぶ』の魅力、醍醐味とは──────
──────「ノーパンである事を恥じた女子のその赤ら顔にあるのだっ!」
恥ずかしそうにスカートの裾を抑えて無駄な抵抗をしてみたり、どこか落ち着かない憂いのある表情でもじもじとしてみたりと、ノーパンである事によって生まれる感情、所作それに類するその物全てが須らく魅力であり醍醐味なのだ!
「見えるか見えないかは瑣末な事…大事なのは、そこに生まれる感情なの…さ」
そう締めてキリッと決める僕。
「…………死んだら?」
そんな僕へ、たった一言生を終えろと平八重美里。
「う〜ん…ちゃんと聞いてもなんだかよく分からないよ」
その隣のカマトトぶった白石穂乃美。
「何故、何故だっ!何故理解してくれないっ!」
「お前たちはそこまで愚かじゃないだろうっ!?」
僕は憂いている!
日本の未来、若者の野心の無さに!
いつまで愚者でいるつもりだ!自分をさらけ出せ!本当はお前たちだって内に秘めたっ…──────
「愚か者はお前だばーかっ!」
遮るような語気の強い平八重美里の言葉に、思わずグッと息を飲む。
まったく、まったくまったく!
なぜこの素晴らしい文化を理解出来ないのか!
いいさ!いっそひとりでだってやってやる!
僕にはその為の地位と力がある!
その為に今日この日まで研鑽の日々を送ってきたのだからっ!
勉学に勤しみ、スポーツに打ち込み、思い遣りを持ち、底無しの人望得て、今確かな覚悟を持ってここに立っている。
──────とは言ったものの、やはり規模が規模である。
そしてそれを行うのは学校という公共の施設である。
決して僕の所有する財産の一部なんかではないのだ。
だからこそ、やはり彼女たちの協力は必須であり、それは何も彼女たちだけではなく学校全体でもある。
大多数の雑輩なんかは生徒会に、とりわけ僕の意見に疑問すらも抱かないだろう。
けれどもだからといって問題が無い訳ではない。
山盛りだ。
そういった問題に立ち向かう際にも、やはりどうにも、どうしても彼女たちの力が必要なのだ。
「どうか、どうか理解してくれ!お前たちの力は必要不可欠なんだ!」
「ふつうに無理…なんでかって?きもいから」
間髪入れずに答えた平八重の隣、縋る様に白石を見やる。
「白石!白石のおじい様はこの学校の理事長だったよな!?どうにか…どうにかお前だけでも…」
藁にもすがる、とはこういった時に使うのだろう。まさに今、彼女の足に縋り、年季の入ったその焦げ茶色のローファーを舐める勢いで懇願する。
「ちょ…足、足にそんなに近寄らないでくださいっ!」
あと少し、あと少しで舌先が届きそうなタイミング、既で引っ込められた足を名残惜しく見送る。
「わっわたしは無理だよ…やっぱりそんなハレンチなの…私、協力出来ないよ」
「そこをっ!?そこをどうにかっ!足を気が済むまで舐めるっ!だからっ…──────」
人生ではじめて、地に頭をつける。
もっとも産まれてまもない頃を見返せば何度か似たようなポーズは取ったことがあるのかもしれない。
けれどもこれは、確かな意味を込めたものである。
相手に最大限の敬意を込めて、強く願う時の姿勢。
謝罪とも服従とも取れるこの姿勢を、今回人生で初めて、懇願の意味を込めて使ってみている。
「弓月くんっ!?いっいらないいらないいらないからっ!」
「あっ……足なんて舐めなくて良いからね!?」
「じゃ…じゃあ!?」
ばっ!と頭を上げたその瞬間。
視界は真っ暗に、ほんのりと花や果実の様な甘い香りがする空間へ移動していた。
ここはどこだ?
僕は、たった今何かの拍子に命を落として、異世界にでも転生したのだろうか?
だとすれば、それは好機。
ともすれば、異世界でなら容易に新しいノーパンしゃぶしゃぶの文化を築けるかもしれない。
題するなら『異世界に転生したのでノーパンしゃぶしゃぶで無双して、文化を衰退させた人間たちにざまぁしてみた〜だからあれ程言ったのに〜』なんて。
そんな思考は、頬にヒタヒタ、チクチクと何かが繰り返し触れる不愉快な感覚でもって呼び起こされ、バサッっと垂れ幕が落ちたような音で元の世界、生徒会室へと舞い戻っていた。
「あれ、ここは生徒会…少し残念だな」
下を見ればやはり白石穂乃美の使い古された、けれども小綺麗なローファー。
上を見上げれば、真っ赤に顔を染め上げた彼女が何か声にならない声を絞り出している
けれどもそんな事、事ここに至っては問題では無い。
今、もっとも重要なのはやはり、足を舐めまわしてでも彼女をこちら側へ取り込むこと。
「それでは失礼して…」
意を決して、自らのプライドを、築いた矜持を折り曲げ、ワクワクとする心を携え、口を開けると舌先を這わす…──────
──────ガラガラ…
突如として開け放たれたスライド式の木製の扉。
そして、それと同時に静まり返る室内。
──────時が、止まる。
「ぁあの〜…落し物を届けに来たんですけど…」
「──────ひぁ!?」
現れた年相応とは程遠い、幼さの残る男子生徒。
手には何やら小さな箱を持ち、どうやらその落し物を届けに来た様だ。
ことここに至っても、やはり僕、吹寄弓月は頭の回転が早い。
物事を瞬時に理解し分析する事が出来る。
それ故、這いつくばり女生徒の靴を舌を出して追いかける僕とぴょんぴょんとはね周り逃げ回る女生徒、これがどれ程人に見られたなら危ういか、よく理解している。
「………………これ……置いていきます…………」
「っ!──────お取り込み中失礼しましたっ!」
──────ピシャッ!
「あ〜ぁ終わった終わった」
「あ……あ……」
「な…舐めている所…よりかは傷跡浅いんじゃないかな……?」
僕の人生を賭した目標。
『秘密』もとい『野望』。
満を持して火蓋を切ったこの物語はどうやら、幸先最悪な様だ。




