第19話「ぬいぐるみ」
「そういえばこれ、サメのおかえし」
「──────…へ?」
手渡されたソレを両手で受け取るとまじまじと、まるでツチノコでも見るような神妙な面持ちで見つめ続ける平八重 美里。
「あれ?…リュックに付けてる奴と同じやつだと思ったんだが…すまん間違えたか?」
「…ううん、一緒。」
「耳も翼も角や尻尾だって…全部、私の好きなファンシーダッシーくんだ…」
「それファンシーダッシーくんって言うのか…名前の割に随分と無骨なデザインだ」
ダッシーはケープハイラックス、又はイワダヌキの事。
ファンシーはそのまま空想や気まぐれ、可愛らしいみたいな意味合いだろうか。
そんな可愛らしいネーミングとは裏腹に、白と黒を基調としたボディカラー、その身体からは漆黒の翼が雄々しく生え、額からは二本の小ぶりな角が伸び、口元にはチラリと大仰な牙を覗かせている。
丸々とした耳と短くちょこんとした尻尾だけはケープハイラックス元来のデザインだろうか。
「これ、くれるの?」
「あぁ、平八重みたいに上手くは出来なかったから、六回プレイしてなんとか、な」
「五百円で取れたのっ!?すごいじゃん!」
「いや…その」
「三千円ほど…」
「はぁ!?三千円って五百円を六回って事!?」
「そうだ!つまり回数換算ならおまけも含めて三十六回!なかなかに熱い戦いだったぜ!」
どこを掴んでもするりするりと抜けていく力無きアーム。
出口付近に寄せるどころか上昇中に抜けるアームパワーのせいで持ち上がりもしない。
アームの爪は真っ直ぐな形を採用していて、爪先ですりすりと撫でるばかり。
稀に動いたかと思えば、すってんころりんと初期位置どころかあらぬ方向に転がっていってしまう。
千円ほど使ったところで既に引くに引けなくなってしまいゲームセンターの魔の手、計画的ペイアウトにまんまと踊らされ続け、結局最後には不自然なまでのパワー変動、確率を迎えてのゲットとなった。
「サメのおかえしにしちゃ小さいけどな、気持ちと金額だけは数倍だ!」
体験価値は大いにあったし、心踊るエンタメ性も充分評価に値する。
従って、特に不満という不満もない…事はない。
すっかり寂しくなった財布には、何かあった時用の北里柴三郎が一人寂しく膝を抱えているハズだ。
「もしかして…他の奴の方が良かったか?いや迷ったんだよ、今流行りのちびキャラのぬいぐるみもあったし、ぬいぐるみ以外にもいろいろとあって…」
と既に金銭面において取り返しはつきそうにないのだが、希望があれば次の機会に…などと提案してみる。
「ううん、これでいい。…これがいい」
彼女の反応をみるに自らのチョイスが悪かったのではないか…と不安に駆られ言い訳をねちねちと繰り返していたが、キュッと強くファンシーダッシーくんをサメと同様に抱き締める彼女を見るとホッと安堵の息を吐く。
先程の、サメよりも幾らか強く、今にも中の綿が飛び出して来そうなくらいのちからで締め付けられているダッシーくんは苦悶の表情を浮かべている、気がした。
「吹寄っ…!」
「……その、ありがとっ!」
「大事にするっ!」
回眸一笑、首を傾げて浮き足立つ足を頻りにぱたぱたと小躍りする彼女は、百人中百人は魅力的だとそう答える、確かな魅力があった。
初めて、いやそんな事も無いはずなのだが、久しく見ていない彼女の僕だけに向けられた笑顔に形容し難い、これは喜びに類する感情だろうか?そんなふわふわとした物に包まれると、夏の夜風がより一層と心地の良いものに変わった。
天高く、両手でラグビーボール型の月に重なる様に掲げては、ニコッとダッシーくんとにらめっこをしている彼女。
ぐるり回って見せびらかす様に小躍りする彼女に、なんだが親心の様な物も芽生えてくる。
「あぁ!こちらこそ…って──────あれ?」
「えっなに?まさか、やっぱり返してくれなんて言わないよね」
そんな風に慣れ親しんだ鋭い目を向ける彼女。
まさか、返してもらおうだなんて微塵も思っては居ない。
そのファンシーなダッシーくんは彼女の為に取った物であり、既にしてその所有権は彼女にある。
僕もダッシーくんも、彼女の手元にある事を強く望んでいる。
けれど、ふと帰りの電車賃の用意を…と差し込んだ二つ折りの財布のポケット、一人寂しく膝を抱えて居たはずの北里柴三郎の姿が、どこにもいない。
「なっない!?」
お札入れは勿論小銭入れにも、カード入れやフリーポケットにも、彼の姿は見つからない。
血の気が引き、暑くもないってのに嫌な汗が止まらない。
これはもしかしたらゲームセンターあるあるなのだろうか?…気づけば、当初三千円で挑んだ勝負、負けがかさみ、熱くなったその勢いのままラスト一人となった北三郎にまで特攻を強制させてしまったのか。
「なら、良いけどさ、頼まれたって返してなんてやらないけどねっ!」
スポッと音を立てて制服のポケットに財布を沈めると、すっかり近年稀に見る上機嫌になった彼女に、なるべく小さく身体をまとめ、目線も幾らか下になるよう屈んで、情けなくも懇願する。
「あっ…えっとそのぅ一つ相談がありまして…」
「…?だから、返してなんてやらないって…」
「帰りの電車賃だけ、貸してもらえないでしょうか?」
「は…はぁ?」
ぽっかーん…と開け放たれた彼女の口内から覗く小さく尖った八重歯に視線を奪われ、今はそんな場合ではないのだと思考を切り替えろと自分に言い聞かせる。
「ぷっあはははっ!」
次いで飛び出した鈴の音を転がしたような快活な笑い声に、ほんの少しだけ安心した。
「吹寄…あんた、締まらなさすぎでしょっ」
腹を抱えて笑う彼女を前に、自らの熱くなったら見境がなくなるという弱点を自覚し、ひしひしと内省すると共に強い羞恥心に苛まれる。
「もう…仕方ないなぁ…この子の分だけお返しって事で、貸してあげる」
桜のデザインの硬貨を二枚、差し出された彼女の手から受け取ると暫くゲームセンターは控えよう、と心の中そんな風に自分に言い聞かせる。
「平八重、ありがとう」
素直に感謝してみると、平八重はほんの少しだけ意外そうな顔をしてから、すっかり柔らかくなった口角をニッとあげてみせる。
「もうすぐ夏休みなんだから、明日からでもさっそく取り掛かるわよ!」
あっという間に三十段前後の長い階段の中腹にまで降り立っている彼女の後を追い、真っ直ぐに駅を目指す。
「あぁ、ついに始まるんだ!」
すっかりとやる気に満ち満ちて居る彼女に、そして自分自身への鼓舞の意味も兼ねて口に出す。
歩く歩幅が大きくなるにつれて、先を行く彼女へとあっという間に追いついてしまう。
二人並んで丸々と辺りを照らす街灯の灯りの下を歩けば、なんだかデートの終わりの様な寂しい気持ちになる。
「けどさ…結局、私はなにをしたらいいの?」
「そうだなぁ…生徒会としての仕事や手続きは勿論、メニュー作成や導線のチェックやら発注、オペレーションの設定と確認…とりわけ最重要は衣装だな!」
「衣装…なら、もしかしたら心当たりあるかも」
「ほっほんとうか!」
「うん、まだ絶対とは言いきれないけど、用意出来るかも」
「さすが平八重!我が生徒会の未来を担うだけはある!」
「あんたって本当に調子いいんだから」
僕と白石が卒業したなら、順当に行けば彼女が生徒会長を務める事になる。
特に心配などは無い。
今の彼女なら、その人目を引く赤髪すら武器に変えて新しい仲間を集め、業務だってそつなくこなしてくれるだろう。
最早憂いも障壁もその一切は無くなった。
卒業までの僅かな間、僕は自分の長年の夢、野望に専念させてもらう。
「じゃあそうと決まれば早速明日からは準備段階で二人にはノーパンになってもらって…──────ッ!?」
「し…死ねっ///!調子にのんなっこの変態!」
ボゴオッ!と音を立てて振り抜かれた憐れなダッシーくんは彼女の身の丈程のサメのぬいぐるみによってその衝撃を吸収し、なんとか直接の被弾を避ける。
目もくらむ様な衝撃に瞼を瞬かせていると、耳元、覚えのある柔らかな物が微かに当たった感触と、鳥の小さな鳴き声の様な音が鼓膜へそして内耳に直接届き、蝸牛内部のリンパ液を大きく揺らした。
『卒業したら私と──────…しなさい』
「は?」
「おっお前…それってどういう──────!?」
「うっうるさい!ほら、はやく帰るわよ」
「お…おいっ平八重!ちょっと待ってくれ…」
小走りで駆け出す彼女へと向けた手は空を切る。
理解の追いつかない重たい脳を引きずり懸命に追いかけるも、やはり届かない。
ふいに振り返った平八重。
悪戯な表情で舌先を出し、指先で下まぶたを下げて微笑を浮かべる彼女を前に、先程の疑問の全てが、胡乱な思考の全てが、不随意に吸い込まれていくと、なんだかそれだけで、どうでもよくなった。
『吹寄の──────ばーかっ!』




