第17話「平八重 美里という女の子②」
夏の香りがする。
どこかで炊かれている蚊取り線香の匂い、雨上がりのアスファルトや揮発性の草木の匂い、暖かな風がそれらを乗せて鼻先へとやってくる。
僕はこの匂いが好きだ。
幼い頃僕はこの匂いを総称してカブト虫の匂い!と言っていた。
懐かしいなぁ、あれは近所に住んでたフィリピン人の友人、ミランダ君と一緒に虫取りに行った時のこと…──────
「さっきから…なんの話し?」
「お前が何も話さないから気を回してだなぁ…」
よく整備された川沿いの並木道、連なって歩く二人から伸びた影を見ながら駅まで向かう。
彼女、平八重美里からの果たし合い、もとい強引なお誘い。
『ちょっと面貸しなっ!』なんて古の不良の様な誘い文句で有無を言わさず彼女の向かう先へとついて行っている。
僕達が通う高校からの最寄り駅、いずみ中央駅。
そこから二俣川駅まで向かい、乗り換え、海老名行きへと乗れば僕と白石の家からの最寄り駅であるさがみ野駅へたどり着く。
そこでは降りずに、更にそのまま乗っていると終点である海老名駅に到着した。
「平八重の最寄り駅はいいよなぁ、大型ショッピングモールがあって映画館もあってなんでもあるし」
「そう?毎日見てると、変わり映えなくて飽きるわよ」
「贅沢な奴だなぁ、さがみ野駅なんてパチンコ屋にゴリラがよじ登ってるくらいのもんだよ」
「は?なにそれ…ちょっと気になるかも…」
などと他愛も所在もない会話を幾つか啄み、彼女の後ろ、迷子にならないようピッタリとくっつき虫の様に向かった先は…。
「ゲームセンターか…もう随分と来てなかったなぁ」
「あんた普段真面目だもんね、こうゆうところ遊びになんて一人じゃ絶対ないでしょ」
彼女の言う通り、決して意図して真面目に生きようとしてきた訳ではないが、幼い時に夢を見つけソレを啓示かのように崇拝し、没頭し、年相応に遊ぶ事を自ら封印してきた。
と言っても特段我慢の様な物をしていた訳ではない。
ただ一つの目標に向けて楽しみながら努力を重ね、今に至る。
その中で遊びと言うやつとはどうも縁遠くなかなか機会にも恵まれなかった、というそれだけの話だ。
「またなんでゲームセンターなんだ?」
「…別にいいでしょ、黙って着いてきなさいよ」
あーい、と間延びした返事で返すとギロッと鋭い眼光で睨まれたがやはり小動物、実に愛らしい。
開け放たれた両開きのスライドドアから店内へ入れば、一瞬で肌を冷やすほどの冷房の風と、耳をつん裂く様な音にやや狼狽える。
「なにあんた、もしかして…ビビってんだ!」
そんな心境を察したのか嫌な顔でからかわれる。
ケタケタと珍しく良く笑う彼女を前に、からかわれた事への気持ちは直ぐ様霧散していき、目の前のカラフルに光り輝くアーケードゲームの筐体に目を奪われる。
一際気になったのはやはりプライズゲームの筐体。
やたらとデカい、ともすると平八重 美里の全長よりも大きいサメのぬいぐるみの入ったクレーンゲーム。
「こんなの、本当に獲れるのかよ…」
どうせ持ち上がった所でアームの力が抜けて、期待心だけ揺さぶって搾取しよう、そんな腹積もりなのだろう。
と、ゲームセンターにおいて不釣り合いな思考を巡らせていると、おもむろに平八重は硬貨を五枚入れ込む。
「お〜最初から五枚とは、随分強気だな」
「一回追加で出来るからね、それに、こうゆうのは取り方ってのがあるのよっ」
言ってかちゃかちゃと小慣れた手つきでレバー操作をしてみせる。
ゲット判定の出口はサメの頭部がギリギリ入る大きさ。
奥側に尾先があり頭部が出口付近にある初期位置。
彼女の操作するアームが頭の先、丁度ヒレの辺りに引っかかる形で持ち上がるとそのままゲット出口に、なんて事はなくやや前進したものの形そのままに落下した。
「あちゃ〜…今のは惜しかったな」
「まぁ見てなさいって」
続けざま、再度同じ箇所を捉えたアーム。
持ち上がる挙動も同じ、またしてもほんの少し前進して落下する。
「あと三回だぞ、お小遣い無駄使いしたらダメだからな!」
「あんたは私の母親か!」
などと会話を挟みつつも三度目のプレイ。
再度同じ場所を掴み前進、また少し進んだだけか、と思ったが今度は大きく前進し、サメの頭部が出口に乗り上げる形になった。
「おい!いけるっいけるぞ!」
「ちょっ…うるさいっ今集中してるから…」
迎えた四度目、五度目のプレイでは尾先を掴み頭を僅かに進めサメの身体の約三割が出口に乗り上げる形になった。
「なんだ?なんか緊張してきたんだが…」
「うん…泣いても笑ってもこれがラスト…」
ラストプレイ、高校生にとってはそれなりに大きい五百円というお金を費やしたこの百三十センチ余りのサメのぬいぐるみ。
必要か?と問われれば決してそういう訳では無いのだが、何故だろう、今現在僕はものすごくこのサメのぬいぐるみを抱きしめたい。
「もっと前の方がいいんじゃないか?」
「でも頭から落とさないとだから、持ち上がらないとだし…」
などと作戦会議をしてる間にレバー操作の制限時間を迎える。
あっ!?と意図せぬタイミングで下降を開始してしまったアームにもはや祈るばかり、二人両手を合わせ目を瞑り、静かな駆動音の終わりを待つ。
ウィ──────ン
ウィ──────ンッ
ガコッ!──────
──────コングラッチュレーション♪
鼻につく機械音声の後辺りの筐体の全てをカラフルに彩る演出が視界を覆う。
「おいっ!平八重、やった!やったぞ!」
「えっ?!うそっ?とれたっ?!」
「ほらっ!この通り!実に立派なサメさんだ、よく頑張ったな」
出口のパネルを強引に押しのけ、デカすぎるソレを捻り出す時、なんだが出産時みたいな事を言いながら彼女に差し出す。
受け取った彼女はギュッとサメのぬいぐるみを我が子のように思い切り抱きしめ顔を埋めると、差し出された手を合わせ二人ハイタッチで祝う。
「だから言ったじゃない、取り方がある〜って!」
「とか言ってお前後半祈ってたじゃん、ミスってたし」
「うっうるさいっ!取れたんだからいいでしょっ」
ぷりぷりと身を捩らさて怒る挙動に付随してサメの尾ヒレも揺れ動く。
一頻り堪能し終えたのか、差し出されたソレを真似して抱きしめてみる。
ポリエステル綿のぎっしり詰まったソレは柔らかくふわふわで、力を入れれば押し返す弾力性も併せ持つ。
抱きしめぺったりと凹んだ形も直ぐ様形を元に戻る。
これまた真似して顔を埋めてみれば、ほんのりホコリ臭くはあるものの新品特有の化学的なプラスチックの様な香りと石油系の匂いがした。
「あぁ、幸せだ…ありがとう平八重」
そう言ってお母さんの元へおかえり、とぬいぐるみを手渡そうとするも、差し出された手のひらで制止される。
「え?なに…?くれるの?僕に?」
ということは僕は経った今からお父さん?などと詮無い思考はさておき、彼女は僕の為にコレを取ってくれた、という事なのだろうか。
「うるっさいなぁ…欲しそうに見てたじゃない」
「………今日はこの後。嵐でもくるかもな」
「どういう意味よっ!」
まったく!と言いながらぷいっと顔を背けた彼女は決して怒っている訳ではなさそうで、態度、所作ではそう見せても、横顔から覗く口元はほんのりと笑っている気がした。
「なぁ、ちょっと適当に見て待っててくれよ」
「…?うん、わかった」
そう言って彼女と別れ向かった先、お目当ての白と黒の可愛らしい、彼女のリュックに沢山ついている悪魔の様なぬいぐるみを見つける。
「確か、重心の重い方を寄せてから後方を持ち上げて…」
きつく結ばれた財布の紐を緩めると、全財産三千円、早速五百円での勝負を仕掛ける。




