第16話「平八重 美里という女の子」
絞られた明かりのみの薄暗い昇降口。
日中のガタガタとした靴箱の開閉音や、ザワザワとした歓談の音の一切を感じない静寂に包まれたそこに、なんだが特別味を感じる。
バタンッバタンと二つの扉の開閉音が遠くから聞こえると、ブロロロー…というエンジン駆動音の後、砂利を踏み鳴らす音が段々と遠ざかっていく。
夏だっていうのにほんのりと肌寒いのは、地中の熱が宇宙に逃げていったからか、或いは気化熱によって体感温度が下がり、僕自身の熱が奪われているからだろうか。
いや後者はぜったいに有り得ない。
だって今の僕はこんなにも高揚し、昂っているのだからっ!
ヒュゥー…と音を立てて頬を撫でる風に数回身震いしたのはきっと、武者震いの類だろう。
「すっかり遅くなった事だし、家の近くまで送っていくよ」
肩にかけたカバンを掛け替えながら、そう横を見やれば、バツの悪そうな微笑みを浮かべる彼女。
例えるなら、布団の中でゲームをしていたのを親に見つかった時の様な、ご飯の前にお菓子を食べている所を見られてしまった様な。
「──────白石…お前ソレ…?」
「えっ?えへへ…──────えっとね」
幼い子供の様に朗らかに笑ってみせた彼女の手の中、立派な胸の膨らみと肋骨下部に隠す様に包み、我が子のように抱き抱えるそれは
「──────貰ってきちゃったっ…!」
件のスキン…ではなく単なる輪ゴム、の入った上品な桐箱。
いつの間にやら回収したのか、長万部先生の許可のもと「輪ゴム」と「小物入れ」として使うから、と頂いた様だ。
長万部先生が言うには
『既に当初の目標である粘膜の接触は達成した、それはもう、私達には必要ない』だそうだ。
その「必要ない」という言葉が、キスを終えて次なるステップへはゆっくりと…という意味なのか、或いは大義名分を得ての更なる粘膜の接触を測る為なのかは、彼女達にしか分からない。
けれども確実に、過ぎ行く季節の様に確かに進んで行けたなら、なんでもいいんじゃないか、と僕は思う
「いつか本当に0.00mmが実現した時に、私はもうずっと前から待ち望んでました〜って自慢出来るかなって」
「それにもしかしたら…コレを使う時があったりなかったり…なんて?」
「白石穂乃美…お前って奴は…!」
照れくさそにそう締め括る彼女を前に生まれたこの感情は一体…?
頬を伝うこれは…──────涙?
指先で拭った大粒のそれは、発生源は紛れも無く僕自身の様で、数回拭ってみてもやはりそれは僕の左目から流れ落ちている。
今朝もいつもどうり適当な挨拶を交わし、同じ教室で同じ授業を受け、同じ生徒会へと向かった彼女。
慣れ親しんだ親友の様な彼女であるが、どこか遠い内面までは踏み込めない距離を感じていた。
それが蓋を開けてみればどうだっ!
彼女も内に「野望」を秘めていたではないかっ!
それも超極大、墓場まで持っていってもおかしくないようなっ!
「白石…僕は君を…今日、経った今から」
「敬意を込めて…ドスケベ清楚と称しようっ!」
「──────えぇっ!ちょっとやっ…やめてよぉ…」
いいや、やめないさ。
僕達の志は既にして同じハズ。
なればこそ
「同好の士よ!いやっ僕よりも遥か…先往く物よ!」
「僕達が旗手となり、ノーパンしゃぶしゃぶを実現させ、華々しい成果をあげようじゃないかっ!」
肩に背負い直したカバンのバランスを取りながら、両の手をいっぱいに広げて彼女へとさし向ける。
親愛のハグ、それでもって僕たちは紛うことなき一心同体となる!
その体制のままジリジリと彼女へと歩み寄るも、じわじわと距離を離される。
この後に及んで遠慮している彼女にこうなればこちらから強引に!と思ったその時
「弓月くん…ここ、駅のホームなんだけど…」
彼女の一言で我に返り、辺りを見渡せば数人の若人がこちらを注視しているが、カメラを向けられて動画を撮られていたり、なんて事はなく安堵の息を洩らす。
それから彼女と連なって駅を幾つか乗り継ぎ、同じ最寄り駅で降り、互いの家までの分かれ道までを他愛のない会話を啄みながら歩く。
差し掛かった分かれ道、見えなくなるまで彼女の背中を見送ったが、心做しか足取りが音を奏でているかのように軽やかに感じた。
一人になり、ふと今日一日を振り返る。
色々とあった。
それは生徒会だけの事ではない。
実は今朝は寝坊しかけて朝食を抜いていたりだとか、寝グセが治らず悪戦苦闘したりだとか、そんな事。
けれど大いに実利のある一日だった。
そんなふうに最終的な一日の採点を終える。
十点満点中十点。終わり良ければ全て良し。
思考をぐるぐると回し独りごちながらとぼとぼと歩けば良く見覚えのある我が家へと辿り着いていた。
「残す所はあと…あいつだけだ…」
そう、頭の中組み立て中のパズルの欠けた部分、赤髪の良く似合う女の子を思い浮かべる。
「う〜ん…もしかしたら長万部先生より、難解かも知れないな…」
シャワーを浴び、夕食を済ませてから自室で勉強と日課の筋トレをし、終えたなら『野望』の準備を、と思っていたのだがほんの数分の休憩を想定して横たわったベッドの上、次第に瞼は重くなり、気がつけば朝までの約八時間、しっかりと眠ってしまっていた。
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「一体どうしちゃったんですか白石せんぱいっ!」
迎えた翌日、生徒会室には平八重 美里の小鳥のように甲高い声が響きわたる。
「え〜っと…どうしちゃったんだろ、ね?弓月くん」
こちらへと目配せを向ける白石 穂乃美は困った様子で助けを求め、胡乱げな表情を浮かべている。
「どうしたもこうしたも、白石がノーパンしゃぶしゃぶに乗り気になった、それだけの事じゃないか」
「弓月くん言い方…」
「だっかっら!それがおかしいっつってんの!」
白石の訂正を求める声をかき消すように我鳴る彼女の怒声。
怒声といえば少々恐ろしい物を感じるが、何せ背格好も何もかも小さな彼女の事だ、ハムスターか何か小動物の威嚇にしか見えない。
「そ…それに──────長万部先生は一体何やってるんですかっ!?」
口調と言葉使いを何とかチューニングしながら、人差し指で勢いよく指して見せた先、珍しいカーテンの締め切られた室内の隅っこ、雄々しく成長中のサンセベリアの前、ひとつの椅子に二人重なり合う様に腰掛ける長万部先生と田村くんの姿。
「なにって、なぁ?」「う…うん」
「ふっ『ナニ』だよ平八重」
「僕が言ったんだよ、生徒会室を好きに使ってくれ…って」
「は…はぁ!?」
何が何なのかはさっぱり分からないが、二人仲睦まじくお喋りをしては、時折キッスもしてみせる。
勿論バードキッスではあるのだが、教師と生徒という関係も相まって背徳感を強制的に味あわせられるのはなかなか慣れそうにない。
「なっ!何して…えっ!?」
「二人は付き合ってるんだよ、二年も前から」
驚愕に目を見開き、感情の追いつかない彼女はこっちとあっち、交互に激しく首を振ったと思えば「…マジ?」と小声で耳打ちをしてくる。
同じく「マジ、大マジ」と端的に返してやると目眩でもしたのか後ろ向きにフラついてそのまま机に項垂れた。
「凄いよねぇ…なんだか映画やドラマみたいだよね」
なんて、目の前に座る白石に喋りかけられて頭を上げると、その視線は、白石穂乃美の両手に包まれた小さな箱へと向かう。
「あれっ?あったんですか?その桐箱」
「あっ!…うん、あった、あったんだよ!」
「白石…ソレ持ち歩く必要あるのか?」
「う…うんだって」
「いつ必要になるか…分からないでしょ?」
しまった!という顔を一瞬浮かべた白石、けれど彼女の趣味嗜好に関しては僕しか知らない。
中身が既に周知されているとはいえ、彼女がどういった目的でソレを持っているかまで、思考を巡らすのは到底不可能だろう。
という事を彼女も理解しているのか、既に隠す気も無いようで机に出して愛でている。
その後特に追求も疑問もなく平八重の興味は直ぐに無くなり、やはり気になるのは先程からカーテンを巻き付け、中からなにやらちゅっちゅくリップ音のようなものを奏でる二人の様だった。
「先生!本当にどうしちゃったんですかっ!いい加減正気に戻って…」
「ええいっ!邪魔をするなっ!この放課後の僅かな時間…私にとってそれは何よりも大事な物なんだ!」
平八重が強引に開け放ったカーテンの先、蕩けきって放心中の田村くんと尚もピッタリと身を寄せる長万部先生。
再度強引にカーテンの中へと戻ると、再びラップ音、もといリップ音が生徒会室にこだまする。
「なっ…!なんなんですか一体…皆どうかしてるっ!」
「先生あいつバカですよっ!?やることなすこと…饒舌二枚舌のペテン師野郎だし!」
「僕は嘘なんてついたことないだろう」
「うるさい嘘つき!ペテン師!詐欺師っ!」
「長万部先生も可笑しくなっちゃってるし、おまえ!一体皆になにをしたっ!」
「なにも特別な事なんてしてないさ…強いて言うなら、皆の内に秘めた本当の自分、パッションをほんの少し刺激した、それだけの事…さ」
などと、終始彼女との言い合いで生徒会の会議の様なものは終わりを迎えた。
名残惜しそうに手を取り合いとても見ていられない甘々さを見せつけ別れる長万部先生と田村くん。
どうやら、今日は別々に帰る様だ。
我々もさっさと帰ろう、昨日は随分と遅くなったからな…と思い生徒会室の鍵を閉めて職員室へと向かう。
普段一緒に帰っている白石は「健全の皮を被ったちょっとえっちなドラマがあるから」と足早に一人そそくさと帰ってしまった。
鍵を返却し、今日こそはノーパンしゃぶしゃぶの細かいディテールを決めよう!とワクワクしながら急ぎ昇降口へ向かう。
ふいに、裏面からパタパタと小さな小動物のような足跡が聞こえ振り返る。
「ねぇあんた…ちょっと面貸しなさいよ」
声のする方、振り返った先には、誰もいない。
と思いやや下方へ視線を移動させると背中にファンシーなキャラクターグッズのあしらわれたリュックを背負った小さな女の子がそこに居た。
身の丈の半分程の大きさのリュックには半ば背負われたような形で、緩くダボついた制服には着られているといった方が首肯出来る。
最早本体がどれなのか不明な彼女、夕陽を受けて朱色に輝く赤髪の女の子。
生徒会書記兼会計である平八重 美里が、その小さな体躯をいっぱいに広げ、アリクイの威嚇の様なポーズ、仁王立ちで僕の前へと立ち塞がる。
「今から…時間ある?」
「え、なに?──────果たし合い…?」




