14話「雪苺ちゃんという女の子」
私は、盲目的な恋をして来た。
それなりの相手とそれなりの経験を経てきた自覚、自信がある。
けれど、マインドセットというのか、私の恋愛観は『好きでいてくれる人を好きになる』
そんな他力本願、相手だよりの恋愛ばかりであった。
同級生、年上、同業、友人からの紹介。
数多の人と関係を持ったが、自分から好きだと、一緒になりたいと、生涯を共にしたいと、本気になれる恋愛は、私の元にはついぞ一度だって訪れなかった。
赴任先の高校、生徒指導を請け負ったこの学校で私は、規律規範に厳しい模範となれる教師像を自らに課した。
それというのは、どこか諦めにも似た感覚で、「女の子」でいることを止め、これからは「強い女性」で居ようという志しの様なモノだったかもしれない。
放課後の美術室。
下校時間を過ぎても残っている生徒がいると、面目躍如だと、注意しに行った。
陽の光だけで照らされた薄暗い美術室。
注意の声掛けには、薄くはにかむだけで直ぐにキャンパスに視線を戻した。
彼は一人黙々と絵を描く子だった。
中性的で整った容姿、猫の様に大きな目。
甘え上手な性格。
小さく細長く、青白い手は黒鉛で汚れ真っ黒で、小指を立てながら描くクセがあるのか、彼の描く絵には小指の跡がよく残っていたのを覚えている。
『わ、私がモデルをするのか!?』
物腰柔らかな性格の反面、言い出したら聞かない頑固さを併せ持っていた。
コレを描いたら帰るから、という言葉を受け、人物画のデッサンモデルを、なし崩し的にする事になった。
「ん〜かたいなぁ…長万部先生。もっとこう…ニコッと笑ってくれますか?」
「こ…こうか?」
「そうですそうですっ!すっごくいい!」
形だけとはいえ、口を開けて笑ったのなんていつ以来だろう。
と気恥ずかしくなる。
変な汗もかいていたと思う。
記憶に新しい所で笑ったのはいつ以来だったか…等と記憶を探るが、覚えている記憶の中で、笑った記憶なんて物はどうにも見つからない。
「ぼく!今描いていてすっごく楽しいです!」
「やっぱりモデルがいいからかなぁ〜?」
明朗快活、とまでは言わないが破顔一笑、目元をひしゃげて笑う笑顔が似合う子だった。
「田村…あんまり大人を揶揄うもんじゃないぞ」
彼につられて表情筋が緩むのを感じると、慌ててキツく口を結んでは「笑ってください!」なんて再三再四注意を受けたのをよく覚えている。
「でも…だって不思議な位に手が自然と動くんです!シュッとした輪郭は描きやすいし、切れ長の目も筆の乗りが心地よいし、大きな福耳も、高い鼻もツンと尖ったくちびるだって…」
「そしてなによりも」
『長万部先生の笑った顔がすっごく可愛らしいから!』
『絵』が好きな彼だった。
そんな彼が言った言葉。
今も忘れない、忘れられない。
恋に、初めて故意に恋に落ちたあの瞬間の事を。
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「輪ゴムってこれ…雪苺ちゃん、どういう事?」
再びの沈黙、動揺から生まれる理解の遅延故に彼、田村くんが言葉を発するまでの約五分程、眼下に転がるソレ、0.00mmのスキン、もとい輪ゴムを見つめる事しか出来なかった。
「はっ…!たっ田村くん違うの!こ…これには訳があって…」
それは、膝を着いて魂の抜けた様子の彼女、長万部先生も同様な様で、茫然自失、虚ろな目を瞬かせては苦し紛れに弁解に務めている。
「え、白石、0.00mmって…そうなの?」
隣、同じく唖然と口をあんぐりポカーンと開けっ放しの元清純無垢な彼女、白石穂乃美にそう問いかける。
「わっ私に聞かないでよ弓月くん!…でもあれじゃあ『意味』ない…よね?」
餅は餅屋。その手の事に詳しい事が先程判明した彼女に尋ねるも、さしもの彼女のドスケベ辞書にも件のソレについては載っていないらしく、驚愕に身を震わすばかり。
けれどその瞳は爛々と、意味の無いと称したソレを映し続け、キラキラどすけべ色に輝く瞳をいっぱいに見開いてる。
『だっでぇ…既成事実欲しかったんだものぉ〜…』
などと、信じられない発言が横から飛び出した所で、我々二人の興味も既に彼女と彼。
追い縋る長万部雪苺と、たじろぐばかりの田村くんへと移っていった。
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「二年付き合って一度もキスをしていないだ…と!?」
「うん…だって、誰かに見られたりしたらと思うと…」
「困るじゃない…?」
田村くん。
フルネームを田村 翔太くん。
物静かで大人しい美術部員。
整った女の子の様な顔立ちと鈴の音を転がしたような声。
制服を女子の物と取り替えたなら少しボーイッシュな女の子に見えなくもない。いや、大いに見える。ありっ!
そんな彼と長万部先生は彼が一年生の頃から内密にお付き合いをしていて、こうして放課後や空き時間、人気の少ない時間を狙っては空き部屋で逢瀬を重ねていたらしい。
「もしっ!万が一があったらと思うと怖くて…まだ、その…実は、キスはした事ないんだ」
頬を赤く染めた彼の姿はまるで乙女…とそんな事は置いておいて、女の子と二年お付き合いをして、接吻に発展しない等と言う事が人類史上あっただろうか?
いや、有り得ない。
女の子と付き合ったならその日のうちに手を繋いで次の日にはハグをして、夜通し通話をして、三日目にはキスをする。
そして一週間後にはもう肌と肌を重ねて…
とまぁ、それはさすがに…と内省しつつもやはり、二年という月日を考えれば、関係保持の為にも有り得てはいけないと結論付ける。
「君…ぷ…プラトニックが過ぎるじゃないかっ!」
「そうだよっ!田村くん、ダメだと思うよっ!」
僕の叱責に便乗する様に白石も後に続く。
いつの間にか長万部先生の傍らに寄り添った形を取る彼女は落ちた輪ゴムを拾い集め桐箱にしまうと、綺麗に再度蓋をする。
「長万部先生を「こう」させてしまったのは、田村くんにも原因があると思うな」
そんな彼女からの非難の目を受けた田村くんも、当人思う所あったようで苦虫を噛み潰したようななんとも言えない顔を浮かべている。
「だってぼく達教師と生徒だし…」
「だからっ…大切に育んで行かなきゃってっ!」
「田村くん…大切にするだけが、愛じゃないんじゃないかな?」
白石穂乃美の、いつになく真剣な表情、そして彼の言葉に返す刃。
生徒会の活動に際しても、ここまで鬼気迫る表情の彼女は見たことがない。
白石穂乃美という人物は、他人の為にここまで熱くなれる人物なのだと、なんだか同じ生徒会として誇らしい気持ちに包まれる。
「時にはそうっ!乱暴に激しく強引に縛り付けて嫌がっても泣くまで…あっ!…えっと、やる時はやるっ!そんな甲斐荘を見せなきゃダメだよっ!?」
慌てて取り繕う彼女への誇らしい気持ちが一瞬にして霧散して言ったのは言うまでもないが、大切にするだけが愛情表現ではない。
という白石の発言には考えさせられる物があった。
「…でも、一体どうしたら…」
思考が迷子になってしまった田村くんはその可愛らしい顔に苦悶を浮かべると、思い悩んだ様子で項垂れてしまう。
幼子の様に泣きじゃくるばかりの長万部先生、雪苺ちゃんも、不安いっぱいの表情を浮かべるばかり。白石へと視線を向けてもブンブンと首をふるだけでにっちもさっちもいかない。
「それなら…」
それなら…と、一つ解決へと向かう糸口があると、思考よりも先に言葉が口をついて出る。
これはほんのその場しのぎに他ならないかもしれない。
けれど、雪苺ちゃんを愚行に走らせた原因は愛情表現の不足。
だったなら──────簡単だ。
『キス、しちゃいましょうよ!』
「今、ここで!」




