10話「平八重 美里の独白」
なんだか妙に──────気分が悪い。
その一部は季節性の鬱の様な物でもあると思う。
けれどもなんとなく、それが何なのかは漠然とだが理解している。
証明何てものは到底出来なくて、どんなに実績のある医療機関であろうと技術や知識に優れた凄腕の名医であろうと……それは決して叶わない。
繰り返し手の甲を摩る。
右を左で数回、左を右で数回。
そうやって何度も繰り返す内に、頭の中は反芻思考の様な物でいっぱいに、又それとは少しだけニュアンスの違った物でも半数が埋められいっぱいいっぱいになった頭を数回大きく揺らす。
赤くなったまま熱の引かない頬を指先でつねり、痛みに変わるまでのその僅かな感覚を確かめると、長く大きく吸い込んだ息を短く吐き出す。
「はぁ…なんであんな空前絶後の珍妙にして滑稽で品性下劣な変態男なんか…」
ふと閉じた瞼の裏、夕日で赤く色付いた赤宍色を背景に浮かぶのは…いつだって…。
「もうっ!!」
『かんっぜんに──────騙されたっ!!』
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中学から高校に上がるタイミングで、親しい友人関係の一切がリセットされた。
小学校から中学校と地毛である赤髪は良く目立ち、それだけで憧れや羨望を生み、次第に極自然と周りに人が集まっていた。
誰とだって親しく分け隔て無く、中々に居心地の良い学校生活を送っていたと思う。
特に意識した事はないが、私は勉強というものにつまづいた事がない。
それは、決してとりだてて勉強が得意なんていう訳ではなく、一般生活を送るに当たって、進路を選ぶに当たって特に困らないと言った意味であり、その道を極めたという訳では当然無いのだが……。
周りの友人達はそうではなかった。
進学をせず働くもの、自分のもちうる学力から一段二段と下げ余裕を持たせた進学先を選ぶもの、また進学先が同じでも不合格となり受け皿の様な高校へと泣く泣く進む者……。
離れ離れになってもまた!皆で集まろうねっ!
なんて最後に話したっきり、今の今まで一度だって会う機会は無かった。
高校からの学校生活は小中と比べて一変した。
赤毛という事がアドバンテージとなる事はなく、それどころか「不良」だの「ヤンキー」だの、散々な言われようで、ほんの些細な事ではあったが、嫌がらせの様な事をされた事もある。
出る杭は打たれる、とはよく言ったもので、このずっと産まれてから慣れ親しんだ家族お揃いの赤髪が、人を寄せ付ける魅力だったハズのそれが、周りと私を隔てる高い壁の様な役割に変わり、孤独を助長する呪いとなり、私を苦しめた。
それでも、私はこの髪が好きだった。
念入りな手入れは欠かさない。
お小遣いで買ったそれなりの値段のシャンプーにリンス。
ブランド物のドライヤーにブラシ。
陽の光を受けると透けて朱色に見えるそれが私の自慢だった。
けれど、それは入学して間もない時、朝髪を乾かすのに手間取り、ほんの少しだけ遅刻しそうになった時に起こった。
「だからっ!地毛だって言ってるじゃないですかっ!」
「ダメだ。黒染めスプレーで染めて授業を受けるか、帰って染めてから来るか、それが出来ないなら来なくていい」
生徒指導の長万部先生……ではなく、たまたま居合わせた学年主任の男性教師が開口一番、私を見てそう言った。
「なんで今更…入学式だってこの髪色だったんですけどっ!」
「ダメだと言ったらダメだ。聞き分けなさい、ここはもう義務教育じゃあないんだ。嫌なら今すぐにでも」
「辞めればいい」
「〜ッ!?」
舐め回すように上から下まで値踏みする様な視線が、ねちっこくてまとわりつく様なその表情が、気持ち悪くて、限界だった。
──────どうして私ばっかり…。
「わかったっ!わかったわかった…わかったっ!!」
「こんな所、こっちから辞めてやるからっ!!」
負けたくなかった。
積み重ねて来た今までの全てが、産まれてきた事すらもが否定された気がして。
でも一刻も早く、その軽蔑する様な視線から逃れたかった。
踵を返す足が不随意に震える。
早鐘を打つ心臓は張り裂けそうだった。
ここで逃げたらきっと、私はこの先ずっと抗う事なく逃げ続ける人生なんじゃないかと、不安でいっぱいだった。
でも、それを踏まえて尚どうにも立ち向かう勇気とやらは湧いては来てはくれなかった。
──────その時だった。
「赤髪…それって地毛?」
「そうですけど……誰ですかあなた?」
彼、吹寄 弓月と出会ったのはその時が最初。
締め切られる校門を既の所で滑り込み、現れた彼は突拍子もなく、そう一言だけ発した。
「吹寄!お前は…生徒会としての自覚があるのかっ!」
なんて、シュンとした表情で怒られている姿をなんとなく覚えている。
私にはもう全て関係の無い事だ…とその場を後にしようとしたその時、指先まで力なく垂れ下がっていた腕を、ふいに力強く引っ張られた。
「君も、遅刻しちゃうぜ!早く行こうっ!」
「え……でもわたし……」
不意に加えられた力のせいで、激しくよろめいた。
「吹寄。そいつはダメだ染髪で校則違反、学校へは入れられない」
そんな冷たい言葉、もう聞きたくなんてないのに。
「そうなの?」
「……うん」
「へぇ〜そうなんだ…でも先生、彼女地毛だって言ってますけど」
なおも強く握られた手を振り払おうと力を入れても、彼のより一層と強く引く力には叶わず、その場に留まる他無かった。
「不良生徒は皆そう言うんだ!言葉遣いも悪いし…とにかくダメなモノはダメだ」
何度目か、そんな聞き飽きた否定の言葉が耳を貫いて心にまで達しようとする。
無理やりにでもこの握られた手を振り払って、逃げ出してしまいたい、そんな気持ちに包まれる。
「生徒会で、地毛についての議題が上がった事があります。ご存知ですよね?」
私が外へ外へと引くその手を離すことなく相手へとにじり寄ると、彼はどこか怒った様子で、けれども丁寧な言葉遣いは崩さず食い下がった。
「その時には確か、地毛であれば髪色は問わないと。それに外国人からの子だって金や茶髪の子いるじゃないですか」
「だからなんと言おうとダメだと…」
「生徒指導の長万部先生も交えて、決まった事なんですけどね」
「……ッ!」
それが決定的だった。
彼も、生徒指導の長万部先生とやらも全くもって知りはしないが、彼の発言と、生徒指導の名を聞いた学年主任の男性教師はバツの悪そうな顔をした後、顎先だけで中へと促すと、もうそれ以降何も言ってきはしなかった。
「あいつ、ガマガエルみたいだよな!」
「が……ガマッ?!」
まだ目と鼻の先、声の届く位置に本人がいるというのに、そう言ってのける彼は破顔一笑、走り出しながら大きく笑ってみせた。
あの日、足先までが僅かに残り開かれた鉄製の校門のレールを跨いだその時、運命が私を強く引き戻したんだ。
そして、これは私の忘れもしない思い出。
きっと生涯、お墓まで持っていく人から貰った言葉の一つ。
『君のその髪、夕日みたいできれいだなぁ!』
その日からというもの、どうにも私は──────気分が悪い。




