第9話 銀色のハンカチ
ベアトリクスの誕生会当日、俺は開始よりもずっと早い時間にヴァイスシュタイン邸にやって来ていた。いつもの服でしかもほとんど手ぶら状態である。仕立てた服はアルベルトが管理しているし、セットもあちらでやってくれるらしい。ありがたい限りだ。
部屋に通され、渡された服に袖を通す。白いシャツにネイビーのスーツ。そしてネクタイは琥珀色だった。デザインの良し悪しの判断は付かなかったが、今まで着たどの服よりも肌触りが良く、体に馴染んだ。シャツだけでいくらするのだろうか。想像するだけでも恐ろしい。
髪をセットしてもらい、鏡の前に立つ。「まるで自分じゃないみたい!」とまではいかなかったが、案外悪くない気がする。人目を惹くような魅力はないが田舎者感は拭われ、上品な感じに仕上がっていた。
地味な顔というのは目立った美点もないが、同様に致命的な欠点もないため、細工すればなんとかギリギリ及第点の風貌にすることが可能らしい。これは新しい発見だ。懸念していた服に着られている感じも出ていない。アルベルトは服を選ぶセンスもあるようだ。短所がなくて可愛げがない。
着替えを終え、使用人に案内された部屋では既に準備を済ませた兄妹が待っていた。ベアトリクスが立ち上がって俺を出迎える。
「お待たせいたしました」
「まあ! とってもお似合いですわ!」
「ありがとうございます。ベアトリクス様も素敵ですね。……その、ゴテゴテしてなくて」
何か具体的に褒めたほうがよいかと思い脳味噌を絞ったが、適当な言葉が見当たらなかった。下手くそな褒め言葉にも彼女は微笑みを浮かべてくれる。嬉しくてというよりは、言葉のチョイスがおかしくて笑われたような気もするが。
彼女はシルエットがスッキリした薄紫のドレスを着ている。元来顔立ちが派手な彼女には余計な飾り付けは不要なのだろう。
「セシル、こちらへ」
気が付くとアルベルトがすぐ側に来ていた。声のした方を向くと、彼は俺の胸ポケットの白いハンカチを抜き出した。そして、別のハンカチに差し替える。新しいハンカチも同じく白色だったが少し光沢があるように見えた。
「何か問題でも?」
「こちらのほうが合う」
「そうですか?」
いまいち違いがわからなかったが、服のことに関しては全面的に従おうと思う。首を傾げて見ると光が当たる角度が変わったのか僅かながら色に変化があった。
「これ、少し銀色に見えますね」
「お゛」
突然濁った音が聞こえて、発信源を探すとベアトリクスが顔を覆って打ち震えていた。本番が近づいて気分が悪くなってきたのだろうか。
「大丈夫ですか?」
「ありがとうございます」
彼女はかろうじて礼を述べたが、その言葉は俺を通り越してアルベルトへ向いているような気がした。
開始の時間が近付いたので会場へ移動する。招待客はそれぞれ挨拶を交わしつつも、意識は一カ所に持っていかれていた。皆の注目を集めているのは、本日の主役ではなくアルベルトである。予期せぬ人物の登場に落ち着かない周囲とは対照的に、彼はいつも通り感情の読み取れない顔をしている。
参加するだけでこんなに目立つなら、偽りの婚約者候補発表なんて必要ないんじゃないか? 俺はすぐにでも作戦変更を申し立てたい気分になった。
頭の中で帰りたい気持ちと責任感が接戦を繰り広げていたとき、急に会場の空気が変わった。意識を外に向けると燃えるような赤髪が視界に飛び込んできた。この国の第二王子であり、ベアトリクスの婚約者のヴィクトル・ローゼンブルクだ。
時間ギリギリにやってきた彼は無言で席に着こうとしたが、その瞬間アルベルトに気付いたのか動きを止めた。
「何故、お前がいる?」
参加者全員が聞くに聞けなかったことをあっさり問い質したので、会場中が二人の会話を息をつめて見守る。部屋の端にいる人の呼吸が聞こえそうなくらいの静寂を物ともせず、アルベルトはいつものトーンで応える。
「妹の誕生会に出席することの何がおかしいんですか、殿下」
いや、おかしいだろ、あなたに限っては。この場にいる全員の心の声が一致したのを感じた。
王子は訝し気にアルベルトを見たが、彼がこれ以上は口を開かないと見たのか不機嫌そうに腰を下ろした。
全員揃ったところでベアトリクスが開始の挨拶を始めた。俺はこっそり王子を観察する。
彼は赤く、長い髪を後ろで結んでいる。目は鮮やかな青色で、隣に立つと俺が白黒に見えそうなくらい暴力的な彩度の持ち主だ。確かにゲームのパッケージの中央に置くに相応しい容姿をしている。
彼は、機嫌が悪いのを隠そうともしておらず、周りもそれに委縮しているようだった。そんなに嫌なら来なければいいのにと思ったが、体面を保つためには来ないわけにもいかなかったのだろう。あからさまな態度を取る王子は、権威ある者というよりは寧ろ癇癪で場をコントロールしようとする幼児のように見えた。
ベアトリクスが挨拶を終えると、食事が運ばれてきた。
会場には食事の邪魔にならない程度に爽やかな花の香りが漂っている。テーブルに飾られたラベンダーの香りだ。今日の主役のドレスの色に合わせたのか、紫色のそれはさりげなく食卓を彩っていた。演出に派手さはないが、気品は感じ取れて俺は素人ながらに感心した。
これを彼女が取り仕切ったのなら随分センスが良いように思われるが、十年以上侯爵令嬢をやってきた元のベアトリクスの記憶がそうさせたのだろうか。普段、死に怯えたり、兄を前にしてテンパったり、腐女子の性を抑えきれず興奮したりする彼女しか見ていなかったので、令嬢としての姿を初めて垣間見た気がした。
静かな空気の中、一同は運ばれてくる料理を淡々と処理している。たまにベアトリクスが全体に向けて話を振ったり、気を利かせた者が話題を出したりしたがほとんどの時間は静寂だった。気まずい雰囲気は、次第に落ち着かないものへと変わっていく。皆、違和感に気付き始めたのだろう。王子も怪訝そうな表情を見せ始めた。
ベアトリクスは今日、王子に対してほとんど話しかけていない。これまでの彼女を知る者からするとこの状況は異常である。隙あらば気を引こうとしていた姿はそこにはなかった。
さらに不可解なことに、一緒にいることすらほとんどなかったヴァイスシュタイン兄妹が、僅かながら会話を交わしているのである。決して仲睦まじいとまでは言えないものの、これまでの険悪さが消え去った彼らの様子に全員が戸惑っていた。
これまで姿を見せなかった兄の参加、ベアトリクスの王子への態度、例年よりも小さい規模での開催。今日の誕生会にはいくつものイレギュラーが重なっている。そして、目立つような行動を取っていない俺に対してもまばらに視線が向けられるようになってきた。他は見知った顔なのにひとり異物が混入しているという状況に疑問を持つ者も出始めているようだ。
デザートが運ばれてくる頃には、部屋中に膨れ上がった疑念が爆発寸前まで達していた。
「本日は兄より皆様へお話がございます」
ベアトリクスの声に皆の動きが一瞬止まる。そして、会場中の視線が一気にアルベルトへと向かった。誰かがフォークを置く微かな音が響いた。
「公にするよりも先に、この場を借りて発表しておきたいことがあります」
立ち上がって話し始めるアルベルトの一挙手一投足を全員が注視している。早くこの違和感を払拭してほしい、この会の真の開催目的を教えてほしい、という皆の思いが手に取るように分かる。
一方、俺はどうにかして発表を止められないかと往生際の悪いことを考えていた。突然野犬の群れが現れて場が無茶苦茶になり、会が中止になったりしないだろうか。
「私の婚約者候補が決まりました」
来い、早く来い。野犬。この際、猫でもいい。
「ここにいるセシル・テオドールだ」
やって来たのは十数人の視線の群れだった。針の筵とはこのことだ。犬も猫も来てくれなかった。
アルベルトは俺の手を取り、立ち上がらせる。
「ご挨拶を」
「……テオドール家三男のセシルと申します。どうぞお見知りおきを」
舐められるような挨拶をしたらアルベルトの不興を買いそうなので、必要以上の言葉は排し簡潔に述べた。
あまりにも文脈の欠けた報告に招待客たちは取るべき反応を見つけられずにいるようだ。会場内の空気は硬直している。王子も先程までの不機嫌をどこにやったのか、こぼれそうなくらい目を見開き固まっていた。アルベルトは表情に出なさ過ぎだがヴィクトルは表情に出過ぎだ。そんなことで一国の主が務まるのだろうか。
そんな周囲の反応をまるきり無視して、アルベルトは自然な仕草で俺の腰を抱き、少し引き寄せた。突然のことに驚き思わず彼の方を見上げる。俺の表情から反抗心を読み取ったのか、まわりに聞こえないように耳打ちしてきた。
「動くな」
低く短い命令に体が凍りついた。腰に手を添えられているだけだが、自分より体格の良い者にパーソナルスペースを唐突に侵されるのは恐ろしい。思わず、強盗に銃を突き付けられた人質のように手を挙げそうになる。
演技とは言えそこまでするか? するなら打ち合わせのときに言っておいてくれ。
作戦のために肉体的反抗は諦めたが、脳内では文句を垂れ流す。そうでもしないと気を保っていられなかった。
彼は動揺する俺に構わず話を締める。
「まだ内密のことではあるが、日頃より良くしてくださっている皆様には先に伝えさせていただいた」
以上、とばかりに彼は全体を見渡すと、固まっている俺をエスコートして席に着かせ、自分も席に戻った。
「ということですので、皆様今後ともよろしくお願いいたします」
そう告げたベアトリクスは今日一番の笑顔を見せた。




