第8話 仕立て
セシルには服がなかった。
いや、正しくは都会の上流貴族の誕生会に着ていくような服の持ち合わせがなかった。最近まで借金返済に追われていたテオドール家は、未だに質素倹約の癖が抜けていない。故に、手持ちの服のほとんどが年の離れた兄たちのおさがりであり、少し流行遅れの着古した服しか持っていないのであった。
流石にそれではまずかろうと思い、ヴァイスシュタイン兄妹に相談したら、後日ヴァイスシュタイン家に来るようにと言われた。服を貸してくれるのかと思い、指定された日時に出向くと門で待っていたアルベルトにそのまま馬車に乗せられ強制連行されたのだった。
というわけで俺は今仕立て屋にいる。侯爵家御用達の店の服などいくらするのかわかったもんじゃない。無駄な出費は御免蒙りたい。
「あの、そんなにかしこまった場ではないんですよね?」
ありもので済ませるのは諦めるから、せめてもうちょっとランクを下げてくれないだろうか。
「侯爵家跡継ぎの婚約者候補の恰好がみすぼらしくては格好がつかないだろう」
「そうかもしれませんが……」
「費用は私が出すから気にするな。作戦のための経費だ」
「はあ……」
借りをつくるのもできれば避けたいんだけど。名門貴族様からすれば服の一着くらいたいしたことはないとでも言いたいのか?
あれよという間に採寸が開始された。俺は完全に借りてきた猫と化す。いや、ひたすら計測されているのでどちらかというと市場の魚か。
いくらいい服を用意したところで、こちら側のポテンシャルが低すぎて服に着られているみたいな状態になりそうだ。高級な店に慣れておらず不安が膨らんでいく。それに思っていたよりも細かく採寸されているのも気がかりだ。
「あの、気の所為だったらいいんですけど、ひょっとして、オーダーメイドの服にしようとしてます?」
「いや?今回は当日まで時間がないからな」
今回“は”?今後を匂わせる発言に引っかかったが一旦ホッとする。自分には吊るしのスーツでも充分すぎる。
「セミオーダーだよ」
「え゛」
当然、と言わんばかりにアルベルトは言い放った。
それもオーダーメイドだろうが。出かかった言葉をすんでのところで飲み込んだ。このナチュラルボーンボンボンめ。そもそもお前の金じゃなくて家の金だろ。自分で稼いでから言えよ。俺は、深夜ひとり取り残されたオフィスで食べるカップ麺の味を思い出して、苦虫を噛み潰したような気持ちになった。
アルベルトは俺が採寸される様子を無感情に眺めている。正直あまりいい気分ではない。たまに店の者と何か話しているので、どんな服が良いか考えてくれているんだろうけど。
俺はヴァイスシュタイン兄妹のような何を着ても似合う美形ではない。選ぶのはさぞ難しかろう。せいぜい悩むがいいさ。
半強制的に慣れない状況下に置かれ、かつ、脱出する術も持たない俺は少し胸がすく思いがした。諦めて適当な服で済ませてくれたらなお良いが。
ようやく採寸が終わると、次々と運ばれて来るスーツを着せられては脱がされ、着せられては脱がされを繰り返した。さらにいろいろな布を体に当てては、アルベルトと店の人が話している。前世も今世もファッションに興味がない俺にできることは何もない。この居心地の悪い場所から一刻も早く逃れるため物言わぬマネキンに徹するのみである。
無を極め悟りを開くのではないかと思われた頃、着て来た自分の服を着せられた。どうやら終わったみたいだ。突っ立っていただけなのに異様に疲れた。試着室から応接間のような部屋に案内され、お茶が出される。俺はソファに沈み込んでカップに口をつけた。
「わざわざご足労いただかなくても、我々の方から参りますのに」
向かいに座ったシックなスーツの男が口を開く。おそらくこの店の主なのだろう。上品だが抜け目ない感じの人だ。探るような目でこちらを見てくる。
「……余計な詮索は不要だ」
「これは出過ぎた真似をいたしました」
男はもう一度興味深そうに俺を眺めたがそれ以上の言及はしなかった。
ヴァイスシュタイン家くらいになると商人のほうから訪ねるのが普通なのか。じゃあ何故今日は自分から出向いたんだろう。家の人に知られたくなかったのだろうか。そういえば、アルベルトが婚約者候補の件について両親にどう説明したのか聞いていない。まさか内緒にしているわけでもあるまい。
男がわざとらしいくらい当たり障りのない話を続けていると、先程、採寸を担当していた者のうちのひとりが部屋に入ってきた。オーダー内容の最終確認のようだ。スーツの色は最終的にネイビーに決定したらしい。それ以外のことはよくわからなかったので、俺は目の前のお茶の消費に終始した。
集合時間は午後イチくらいだったのに、帰る頃にはすっかり夕方になっていた。たった一着の服を買うためだけにこんなに時間をかけるとは。普段おさがりで済ませてしまっている俺からすると未知の世界だった。
帰りの馬車の中で他に話すこともないので、先程気にかかったことを聞いてみる。
「婚約者候補の件、ご両親は何かおっしゃらなかったんですか?」
「父には好きにしろと言われた」
「えぇ……?カモフラージュのための嘘だとお伝えしたんですか?」
「いや?今の時点でベアトリクスの婚約破棄の意向を伝えるわけにはいかない。邪魔立てされたら困るからな」
「そんなあっさり通るものなんですか?」
仮に政治が絡まなくても家族の話の中では重大な部類だと思うんだけど。何の意見も出ないのはおかしくないか。
「跡継ぎとして機能していれば後はなんでもいいんだ。子供が勝手に持ち出した口約束の婚約者候補など後でどうとでもなると思ってる」
アルベルトは投げやりに言う。頬杖をついて外を見る瞳に西日が差して微かに揺れたように見えた。その表情に既視感を覚える。
「あの人は、自分自身と仕事以外興味がないんだよ」
こちらを向いたときにはいつもの隙の無い表情に戻っていた。先程の既視感は幻だったのかもしれない。
「お母上には?」
「言っていない」
「え!?大丈夫なんですか、それ」
一般論で他人の家族についてとやかく言うのはよろしくないと思うが、それにしてもヴァイスシュタイン家は色々問題を抱えていそうだ。
「自分の娘の誕生会で他人が目立つようなことなど到底許せるような人間じゃないからな。事後報告だ」
「流石にそれはまずいのでは」
「夫を寄生先にし、次は娘に寄生しようとしか考えていないんだ。前妻の子の婚約者など興味がないだろう。誕生会まで秘密にできれば後はどうとでもなる」
そういうタイプの人って自分が重要な話を聞かされてなかったと気付いたとき、ものすごく怒らないか?まあ事前に言ったら言ったで妨害して来るのかもしれないが。
父親に跡継ぎとしての機能以外必要とされていないアルベルト、母親に生き方を縛られ寄生されるベアトリクス、どこまでもアンバランスで対照的な兄妹だと改めて思う。
「つまらない人生だよ」
アルベルトの口から小さなつぶやきがこぼれた。つい漏らしてしまったようなそれは他人に聞かせるための言葉ではなさそうだった。
つまらないのは両親の人生か、自分の人生か。彼が指しているのはどちらだろう。
一瞬、彼が人間ではなくただの器に見えた。そこに入っているのは、ただ無力感だけだ。そんなのは、大人だって言い負かしてしまうような未来ある若者には似合わない。
つい、今世での立場を忘れ彼の肩に触れる。
「どんな人生になるかはあなた次第ですよ」
今触れているのは器じゃない。ちゃんと意思をもった人間なんだ。
「……私の一存で変わることなどない」
「そうでしょうか?少なくとも私から見ればあなた自身は既に変わったと思いますが」
「そんなことはない」
馬車が揺れる。それでも俺は彼の肩から手を離さない。
目は合わないが伝わると信じて構わず続ける。
「いいえ。少し前までだったら、妹のために動くことなんてありえなかったはずだ」
「あれは家のためだ」
「だったらもっと早く動けたでしょう?」
説教臭くなるのは中年の悪い癖だと自覚しつつ、若者にお節介したくなるのは避けられない性らしい。
「ちゃんと変わってますよ」
返事は返って来なかった。その代わり、肩に触れていた俺の手に彼の手が重なった。振り払われるかと思ったが、そのまま動かない。西日に染まるその手はやはり温かった。




