第10話 長兄からの手紙
セシル・テオドールは非常に困っていた。
昨日、珍しく長兄から手紙が届いた。内容はだいたい以下の通りだ。
『侯爵子息の婚約者候補となったのは事実か。周囲からも問い質されて迷惑している。早急に連絡するように』
実務家の彼らしい端的で装飾のない文章だったが、普段よりも荒い筆致からは、困惑や怒りなどの感情が滲み出ていた。
婚約者候補の件についてアルベルトは内密だと伝えた上で発表したが、どこからか漏れ出したようで噂は広まりつつあった。人の口に戸は立てられぬ、とはまさにこのことだ。
家族に対してどう釈明すれば波風が立たないのか、全く見当がつかない。断罪回避のための嘘の婚約者候補なんですなどと言って理解してもらえるはずがない。
返信のために取り出した紙を見つめたが、当然、そこに答えが浮かび上がってくることはなかった。
一日経っても良案が思いつかず、重い頭を机に預けて授業が始まるのを待っていると、ヒューゴに声をかけられた。ルカの件で話して以来の会話だ。
「ルカのことですが、休暇中に話してみようと思います」
彼から報告があるとは思っていなかった。前回のやりとりからして、もう関わらないでほしいと思われても仕方ないと半ば諦めていたのだ。
「一緒に帰省するのか」
「ええ。……どこかでちゃんと向き合わなきゃとは思っていたので」
「そうか」
幼馴染ルートの進展を確認できて安堵しつつ、同時に自分も帰省しなければならないということを思い出してしまった。説明を求める兄の眉間に刻まれた皺が生々しく想像できて暗澹たる気持ちになる。かと言って帰らないという選択を取ると、より怪しまれるだろう。堪らず溜息が出る。
「どうされたんです?」
「いや……お互い頑張ろうな」
「はあ……?」
自業自得とは言え、自分の平穏な生活を犠牲にしてまで後押ししてやったのだから、ヒューゴにも何かしらの成果を掴んでもらわないと困る。俺は完全なる自己都合でヒューゴを応援した。
週末、ルカの件の報告と実家の件の相談をするためにヴァイスシュタイン家を訪れた。侯爵家では婚約者候補について既に暗黙の了解となっているらしく、堂々と通えるようになったのはありがたいが、複雑な気分である。
いつもの応接間に通されて少しの間待っていると、ベアトリクスとアルベルトがやって来た。早速、報告を始める。
「ヒューゴはルカと帰省するようです」
「そうなんですね」
ベアトリクスは胸をなで下ろしたようだ。王子の好感度上昇イベントを避けられたことに安心したのだろう。一方、アルベルトは訝し気だ。
「何か重要なのか、それは」
「いえ……。ところで、お二人は休暇はどのようにお過ごしになるのですか?」
少々強引に話の舵を切る。幼馴染ルートについては現状これ以上介入できないので話すこともないし、追及されると面倒だ。
「わたくしはおそらく母と別荘に行くことになるかと……」
「私は都に残る。別荘に行ってもやることがないからな」
ベアトリクスは避暑地に行くとは思えないほど憂鬱そうな顔をしている。彼女の母親と直接会ったことはないが、話に聞いている通りの性格なら夏の間中一緒にいないといけないのはなかなか辛そうだ。
原作だとアルベルトも別荘に行くはずだが、そうとも限らないようだ。もしかしたら、別荘行きは主人公がアルベルトルートを選んだ場合のみで、そうでなければ原作でも都に残るのかもしれない。避暑地でゆったりくつろぐ彼を想像するのは難しかった。
「セシル様はどうされるの?」
「私は、帰省しなければならないかと」
理由は別だが俺も彼女と同じく憂鬱だ。理由の根源であるアルベルトを恨めしく見やる。今週何回目かわからない溜息が出た。溜息排出量コンテスト、今週のチャンピオンはこの俺だ。
「帰りたくないのか?」
「どこぞの誰かの所為で例の噂が実家にも届いたらしく、説明責任を問う手紙が先日届きましてね。どうしたものかと!」
当て擦るように言い募る俺に対して、彼は呆れたように返した。
「家に何も言ってなかったのか? 人には忠告しておいて」
確かにヴァイスシュタイン家のことばかり気にかけて、自分の家についてうっかり抜け落ちていたのは認める。だが、噂が広まるにしてもあまりに早すぎないか?
発表の場が敷地内である以上バレるのは避けられないから、侯爵家の面々には事前に伝えておいた方が良いと考えたが、都からまあまあ距離のあるテオドール家にはしばらくは知られないだろうと高を括っていたのだ。
「アルベルト様が内密に発表すると言うから……」
痛いところを突かれたのでつい拗ねたような物言いになってしまった。
「世の中、口の固い人間ばかりではないだろう。話が漏れることくらい当然想定しておくべきだ。まあこの件のおかげで噂の発信源がわかって、信用できない人物の特定ができたが」
なんでもないことを言うかのようにアルベルトが宣った。
コイツ、わざと口が軽そうな奴を呼んだんじゃないだろうな。普段と変わらぬ悪びれもしない涼し気な表情に苛立ちが湧き上がり、睨み上げる。
「ま、まあまあまあ、セシル様。こうなってしまっては仕方ありません。ご実家には兄上と婚約者候補になったと素直にお認めになるしかないのでは?」
作戦のためでしかない、いつかは破棄するはずの契約なのに素直に認めるとはどういうことなのか。
「ご家族も心配されていることでしょうし、帰ってしっかりお話しすべきですわ」
彼女は尤もらしいことを言うが、この状況を楽しんでいるとしか思えない。その証拠に微妙に上がった口角を隠しきれていない。俺がまた溜息を吐いていると、彼女は一言呟いた。
「いいなぁ……」
「何が?」
俺に問われて彼女はハッとした。どうやら声に出すつもりはなかったらしい。
「いや、きっとセシル様に似て素敵なご家族なんだろうなと思いまして」
ベアトリクスは少し恥じ入るようにして答えた。別にうちは特別家族仲が良いわけではないが、本来であれば、決して帰りたくないと思うような家でもない。
「じゃあ遊びに来ます? 休暇中ずっと別荘にいないといけないわけではないでしょう?」
「え! ……いえ、それは難しいかと」
彼女は誘いを受けて表情を輝かせたが、すぐに曇らせた。
よく考えなくても当然のことだが、第二王子殿下の婚約者でもある侯爵令嬢をそう易々と実家に招待するのはよろしくない。別荘で母親と二人きりで過ごす彼女を案じて、ついまた前世のお節介中年が顔を出してしまった。
「ならばこうしよう」
ずっと黙っていたアルベルトが口を開いた。なんだかデジャヴだ。こういうとき、彼の一声でいつも俺にとって都合の悪い展開になっていた気がする。俺がフラッシュバックを起こしかけているうちに彼は話を続けた。
「セシルの帰省に私も同行する。君のご家族には婚約者候補の件について私から直接話をさせてもらおう。ベアトリクスは私に会うという態でテオドール領に来ればいい」
「はい?」
「兄上……!!」
いや、俺の意思は? 俺の家族の意思は?
ベアトリクスさんは、感激してないで君の兄上の暴走を止めてください。
「手紙の返事は一旦その旨を伝えるだけでいいだろう。私も一筆書くから同封してくれ」
「いや、それは」
「他に何か案があるのか?」
俺が一人で弁明するより、直接アルベルトと兄を会わせる方が話がややこしくなってしまう気がする。絶対に避けた方がいい。
どう反対すべきか必死に考えていると、俺の回答を待たずしてアルベルトが立ち上がった。
「では、中座させていただく。書き終わるまで待っているように」
彼は僅かな反論の余地も与える気がないのかさっさと部屋を出ていってしまった。後にはひとつも手を付けられていないティーカップだけが残されていた。
今回で第一章終了です。第二章もよろしくお願いいたします。
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