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第6話 監視対象

 薔薇の旬が終わりつつある頃、ヴァイスシュタイン邸の庭園に俺とベアトリクス、アルベルトは再び集まった。今日は風が強く、薔薇は重そうな頭を揺さぶられている。そのまま落ちてしまいそうで少し心配になるほどだった。テーブルクロスも音を立ててはためいている。


 もうかなりの回数ここに足を運んでいる。そろそろ屋敷の使用人たちに怪しまれてもおかしくない。ヒューゴを説き伏せる際に名前を勝手に使ってしまったのもあるので、今回のお茶会でアルベルトを協力者に引き込んでおかないとかなり厳しい。

 

「今日は何の用だ?」


 紅茶に手も付けずにアルベルトが切り出す。本題に入る前に一口飲む暇もないのだろうか。急かされているのかと思い、彼の方を見やると思いのほか瞳は静かに凪いでいた。機嫌は悪くなさそうだった。特別良さそうにも見えないが。


 ベアトリクスが妙なことを言った所為で多少身構えていたが、とてもじゃないが俺との間に恋愛フラグが立っているようには思えなかった。彼女の記憶も曖昧なようだし、そもそもモブが主人公と同じセリフを言ったところでルートに入るようなことはないのだろう。


「本日は兄上にお願いがございまして……」


 ベアトリクスはアルベルトと俺の様子を交互に窺いながら話し始める。なんだその期待しているような顔は。どう見てもフラグは立っていないだろう。作戦に集中しろ。


「お願い?」

「はい」


 アルベルトは冷たい表情を崩す素振りすら見せないが、一応聞く姿勢は取ってくれるようだった。


「ヴィクトル殿下との婚約破棄交渉に協力していただきたいのです」

「……正気か?」


 彼は訝し気にベアトリクスを見た。ベアトリクスはその視線を真正面から受けても動じなかった。前回とは別人のような態度に目を見張る。この短期間にそこまで関係改善できたのだろうか。

 ベアトリクスの方を窺い見るとバッチリ目が合った。場違いなほど爛々と光る瞳を認めて察する。関係改善云々じゃないな、これは。BLの芽を見逃すまいとすることに気を取られているだけだ。いい加減にしてほしい。 彼女からの視線を遮るように俺は紅茶に口を付けた。ベアトリクスは特に気にせず話を続ける。


「正気です。そもそもこれまでが正気ではなかったのです。兄上も元々は婚約には反対の立場だったでしょう」


 アルベルトは幼い頃から側近候補として第二王子と関わっていた。権力のバランスを考えるのなら同じ家から婚約者も出すのは当然避けるべきだ。そんなことは当時十一歳だったアルベルトですら理解していた。それでも、王子とベアトリクスの母親同士が婚約を強行したため、他家からは囲い込みだと白眼視されることとなったのだ。


「王族との婚約は他のそれとは訳が違うと理解した上での発言か」

「もちろんです」

「……」


 沈黙する三人の間を風が通り過ぎた。ベアトリクスの長い髪が乱される。彼女は髪を少し抑えたが、その手は震えていた。ずっと机の下に隠されていて気付かなかったが、最初から震えていたのかもしれない。BL方面へ妄想を飛ばしていたのも緊張を和らげるためだったのだろうか。……いや、それは流石に良い方向に捉えすぎか。


 まあ、どんな形であれ彼女は頑張ったのだから、ここからは俺が引き継ごう。


「アルベルト様、微力ながら私はベアトリクス様に協力することにしました。ここのところ、こちらへお邪魔していたのもそのためです」

「何故?君には何のメリットもないだろう?」


 それはそうだ。普通に考えて悪役令嬢に手を貸して、婚約破棄を手伝うなどそれこそ正気の沙汰ではない。俺だって彼女の生死がかかっていなければそんなことしなかっただろう。


「以前にもお話ししましたが、昔、私は高熱にかかりました。熱が下がった後、自分が生まれ変わったような感覚がするという話を周囲にしましたが、誰もまともに取り合ってくれませんでした。熱で頭がやられたのだと。私は次第に話すのをやめました」


 多少脚色しているが、記憶が戻ったときに譫言で変なことを言って家族を混乱させたのは事実なのでまるっきり嘘ではない。


「突飛な話をしているのは重々承知です。だけど、私は自分が信じてもらえなかった分、彼女を信じたい。メリットは確かにないかもしれません。それでも彼女の人生を変えるお手伝いをしたいのです」


 アルベルトは放置していた紅茶にようやく手を付けた。一口飲んで微かに息を吐く。俺は彼の返事を祈る思いで待った。


「少し考えさせてくれ」


 そう一言告げると、彼は口を閉じてしまった。

 これ以上下手なことを言うと聡明なアルベルトに対しては逆効果になりかねない。ベアトリクスの方に視線を投げると彼女は頷いた。同じ意見のようだ。


「兄上、お時間いただきありがとうございました。重ね重ねご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「アルベルト様、本日はありがとうございました」


 礼を述べて、席を辞そうとしたそのとき。


「今日は私が送ろう」


 アルベルトの発言に風が止んだ。あるいは風を感じられないほどに俺の身体機能が停止してしまったのかもしれない。




 俺はアルベルトについて庭園を出る。ベアトリクスはレース前の競走馬の如く興奮しきった様子で俺たちを見送った。予想だにしない展開に頭がついていかない。関節がキシキシとぎこちなく動く。今すぐに体中に油を差さないと故障してしまう。


「あの後、いろいろ調べさせてもらった」


 アルベルトが徐に口を開いた。


 まずい、どの件だ?必死に頭を回転させる。もしかして、ヒューゴへの聞き込みの際に勝手に名前を使ったことだろうか。背筋が急激に冷えるのを感じる。


「愚妹が愚劣にもベネット子爵子息に愚行を重ねていたことは把握していた」


 何回「愚」って言うんだよ。愚の骨頂とでも言いたいのか。確かにそうだろうけども。ひとまず、ヒューゴの件ではなさそうで安堵する。


「ただ、あの高熱以降、取り巻きとすら疎遠になったにも拘わらず嫌がらせが止んでいないことに対して疑問を持っていなかったわけではない。アイツはひとりで嫌がらせをできるほどの胆力は持ち合わせていない」


 嫌っているとはいえ、違和感に気付く程度には妹のことを理解していたらしい。


「現場を押さえて軽く絞ったら、彼をやっかんだ者がベアトリクスの名前を使って勝手に嫌がらせをしていたことがわかった」

「そうなんですか」


 半年前にはいじめをやめていたのに彼女の状況が全く好転しなかったのは、他人の手によっていじめ自体は続いていた所為だったのだろうか。


「ヴァイスシュタイン家の醜聞をこれ以上広げずに済んだこと、感謝させてくれ」

「私は何もしておりません」


 実際に対応したのは彼だし、俺が何も言わなくてもそのうち自分で動いていただろう。


「ベアトリクス様にはお話しされたのですか?」

「言う必要はない。あいつのためにやったのではないのだから」


 素直じゃないな。アルベルトルートは作戦にあまり関係ないので、ベアトリクスから詳しく聞いていなかったが、もしかしてツンデレ枠のキャラクターなんだろうか。

 長年、疎んじていたのだから仕方ないのかもしれないが、妹に対する不器用さに年相応の若者らしさが透けて見えて、少しおかしく思った。


「では、私に言う必要もないのでは?」


 アルベルトは足を止めてこちらを振り返った。俺はつい浮かんでしまった笑みを抑えるのに必死で彼の顔をまともに見れなかった。ここで怒らせたら折角の作戦がお陀仏だ。


「君は……」


 思わずつぶやいたような言葉の後半は風に負けて届かなかった。


「何か言いましたか?」

「いや……」


 聞き返したが、答えはもらえなかった。彼はそのまま無言で歩みを再開する。俺に伝えたいことはもうないらしい。


 今なら多少のお願いは聞いてもらえるだろうか。彼の気持ちを利用するようで忍びないが、今日話すことができなかった、協力してほしいもうひとつの事項についてここで伝えてしまおう。


「あの、もし、感謝していただけるのであれば、ひとつ私からお願いがあるのですが」

「……なんだ?」

「私と親しくしていただきたいのですが、」


 アルベルトはすごい勢いでこちらに振り向いた。それに気圧されて、一瞬言葉が途切れた。


「……あの、表面上」

「表面上?」


 こちらを睨みつける彼の瞳は冷たさを取り戻していた。折角先程まで若干ではあるものの軟化した態度を見せていたのに怒らせてしまったらしい。美形はキレると怖いと言うが、今まさに実感した。確かに怖い。


「今後もこちらに伺うことがあると思うのですが、ベアトリクス様に会いに来ていると噂されると非常に困ります。どちらにとっても良いことが何ひとつない」


 俺は言い訳をするように続ける。


「今回アルベルト様に協力を仰いだのは婚約破棄にあたっての強い味方が欲しかったのも理由のひとつなのですが、できればこちらへ足を運ぶ口実になっていただけないか、というのもありまして」

「ベアトリクスではなく私に会いに来ているということにしたい、と?」

「……その通りです」


 なんだか教会で懺悔する罪人のような気分になってきた。懺悔など前世でも今世でもしたことはないが。もういっそすべて吐き出して楽になってしまおうか。


「あと……」

「まだあるのか?」


 彼の声には怒りを通り越して呆れが混じってきた。呆れられるに値する些末な存在であることは認めるから慈悲が欲しい。


「ベネット子爵子息の様子を探りたくて彼の幼馴染に聞き込む際に、アルベルト様に探るよう頼まれたと、勝手にお名前を……」

「拝借したのか」

「……その通りです」


 頭上から大きな溜息が聞こえた。俺に対しては鉄仮面をつける価値も無いと判断されたのか、先ほどから彼はわかりやすく感情を滲ませていた。


「他には?」

「以上です」


 罪を吐き出した俺は裁きを待った。隠し事が減った分なんだかスッキリしてしまった。懺悔に救いを見出す者の気持ちがよくわかる。我々は罪を抱え続けられない矮小な人間なのだ。

 ぼんやり思考を飛ばしていた俺にアルベルトは判決を告げた。


「今後は私も同席する」

「へ?」


 すぐには言葉が理解できず、素っ頓狂な声をあげる。


「君たちは監視していないと何をしでかすかわかったものじゃない」


 そう言うと、アルベルトは圧倒的に力の差がある非力な獲物を追い詰めるかのように、じっくりと余裕をもって距離を縮めてきた。後ずさることもできず俺は立ち尽くす。


――君は“私”に会いに来るのだろう?


 彼はまるで脅しをかけるように俺の耳元で囁いた。同時にまた強風が吹き込んだが、今度は彼の言葉をかき消してはくれなかった。

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