第4話 フラグ成立……?
初邂逅時にいきなり無礼をかましたので、呼び出すのは至難の業かと思われたが意外にもその人は侯爵宅の薔薇庭園に姿を現した。侯爵子息アルベルト・ヴァイスシュタイン、ベアトリクスの兄である。
彼は、庭園に現れてから一度も言葉を発していない。呼吸すらしていないのではないかと疑うほどに沈黙している。見た目だけでも冷めた印象を与えるのに、彼の態度が冷淡さを何倍にも増幅させていた。今を盛りと色とりどりに咲き始めた初夏の薔薇も、彼が触れると片っ端から凍えて散ってしまうのではなかろうか。
「セ、セシル様! こ、こちらわたくしの兄のアルベルト・ヴァイスシュタインでございますわ!!」
ベアトリクスは凍えた沈黙を突き破るためになんとか声を発したが、まるで極寒の地にいるかのように歯の根が合っていない。比喩表現のつもりだったが、もしかして物理的に冷たい人なのか?もしそうなら、夏場は重宝されることだろうよ。先行きを案じて俺はやや現実逃避気味に思考を飛ばした。
「あ、あぁ、あ、兄上、こちらはわたくしの友人のセシル・テオドール伯爵子息でございます!!」
彼女は震えを誤魔化すためか仕切りに指を組み替えている。これでよく半年も悪役令嬢できたな。周囲の人間も、もっと怪しむべきじゃないか?
「アルベルト様、ご挨拶出来て光栄です。先日の大変不躾な物言いについてはご容赦いただけると幸いです」
横でパニックに陥っているベアトリクスのおかげで俺は落ち着いて挨拶することができた。
「ああ、こちらこそよろしく頼む」
鋭く揺るぎない視線が返ってきた。先程から視線を忙しなく四方八方に飛ばしている妹とは対照的だ。彼は何ひとつよろしいことなどないような空気を醸し出しながらも、右手を差し出してきた。友好の証というよりは、相手に隙を見せないために刷り込まれたほとんど無意識の処世術のように見える。俺も手を差し出す。握り返した彼の手は意外にも温かかった。
――ちゃんと人間だったのか。
そんな当たり前のことに感慨深くなってしまうくらいには、彼はつくりもののように見えた。
形式上の挨拶を終えた後、再び静寂がその場を支配した。ベアトリクスはなんとか沈黙を埋めようとして、頭に思い浮かんだ話題を片っ端から引きずり出してはテーブルに散らかしていた。俺も無残に散らばっていく話題をなんとか拾い上げて整理してやろうとするが、三人目がハナから拾う気がないためそれも徒労に終わった。
「よいお天気ですね!」
彼女は目を瞑って言った。もはや現実を直視したくないのだろう。どうやら今ので手札を出し切ってしまったらしい。どこの国に天気の話をする兄妹がいるんだろう。あまりにも限界過ぎる。
俺は文字通りのアイスブレイクを諦めて本題に入ろうとした。しかし、それは色の感じられない声によって遮られた。
「堂々と浮気相手の紹介でもしたいのか? 血は争えないな」
そう言い放つとアルベルトは紅茶を口に運んだ。カップを置く音がいやに大きく聞こえる。
アルベルトとベアトリクスは腹違いの兄妹である。アルベルトの実母である前侯爵夫人は彼が五歳のときに亡くなった。その直後にやってきた後妻の連れ子がベアトリクスだった。ベアトリクスはどう見てもヴァイスシュタイン家の血筋と思われる銀髪を受け継いでいた。アルベルトが生まれてから一年も経たないうちに生まれているにもかかわらず、だ。
この事実は、ただでさえ複雑な関係をより複雑にし、口さがない者たちにとっては面白おかしい噂の種となった。都から少し外れた場所で育ったセシルの耳にも届くほどだったのだから、王都で如何様だったかは察するに余りある。
厳格な性質である彼にとっては例え幼少期であろうとあまりに耐え難い経験だったのであろう。いや、幼かったからこそ彼をより酷く傷つけたのかもしれない。でも、だからといって、傷ついた人間には一方的に他者を傷つける権利が与えられるのか?
「ベアトリクス様はそんな方じゃありません」
俺の言葉にアルベルトの眉間に皺が寄る。これまで微塵も反応がなかった彼の表情にようやく動きが見られた。
「王妃教育ではなく洗脳の講義でも受けていたのか?それとも、テオドール領は噂が届かないほどの田舎なのか?これまでの所業を知った上でそう言ったのなら随分と人を見る目が無いようだ」
彼はまるで立場を弁えぬ罪人を責め立てるかのように畳みかけてきた。
確かに、俺は“ベアトリクス”の過去について詳しくはない。いくら関係が悪くても兄であるアルベルトの方が把握しているに決まっている。それでも。
「過去は知りません。でも、今は知っています」
今を足掻こうとしている彼女は知っているから。
俺だって主人公にはなれなくても、アシストくらいはやってやりたい。
「アルベルト様は死の淵に立たされたことはありますか」
「は?」
急な話題転換に不意を突かれたのか、彼は声を漏らした。強引な流れになってしまったが、このまま本題に入らせてもらう。
「私は十歳の頃、高熱に魘され三日三晩生死を彷徨いました。浮かんでくるのは後悔ばかりでした。あのときもっと親切にできていれば、真面目にやっていれば、そんなことばかり考えました。自分勝手にもやりなおしの機会がほしいと祈りました」
一呼吸置く。いくつになっても嘘は苦手だが、作戦のためにはやり切らねばならない。
「目を覚ますと熱は下がっていました。でも見慣れているはずの自分の部屋がいつもと違うように見えました。私は、これは神が情けを下さったのだと、人生を変えるチャンスをくれたのだと、そう思ったのです」
頭の隅で騒ぐ声がする。前世の記憶が蘇っただけじゃないか、欺瞞だ、と。その糾弾を汚い大人の自分が握りつぶした。
「ベアトリクス様も同じではないでしょうか」
いくら関心がなくても彼女の様子が以前とは異なることくらい、本当は気付いているんじゃないのか。俺はアルベルトの目をまっすぐ見据えた。彼の目にはあの日と同じように複雑な色が浮かんでいる。今ならわかる、彼は迷っているんだ。
「変わろうとしている今の彼女を見てやってください」
どうか伝わって欲しい。最後の言葉は正真正銘の本心だ。口調は乱れたが気にならなかった。
「そんな都合のいいことを信じろと?人間はそんなに簡単には変わらない」
「あなたが他人を信じられなくても、私はあなたを信じます。あなただって変われるはずです」
迷いを見せたのは、本当は信じたいと思っているからじゃないのか?今日、わざわざここに出向く気になったのも、どこかで自分の考えを否定してほしいと思っていたからじゃないのか?
アルベルトは瞳を微かに揺らすと、僅かに目を伏せた。一瞬、その姿が幼い迷い子のように見えた気がした。
庭園に再び沈黙が下りた。さっきの言葉で俺も手札が尽きてしまった。
「……本日はこれでお暇いたします」
俺が椅子を引く音で我に返ったのか、ずっと固まっていたベアトリクスも慌てて立ち上がる。
「お、お送りいたしますわ」
アルベルトは挨拶も返さず椅子に座り続けていた。
庭園を抜けると耐え切れず大きな溜息が出た。いつもより忙しない心臓の音が聞こえる。手は汗で湿っているが喉は乾いていた。そういえばお茶会という態だったのにお茶をほとんど飲んでいなかった。
彼と親交を結ぶどころか、さらに無礼を重ねてしまったような気がする。大人げなく言い返すのが複数回にわたると、流石に少し自己嫌悪に陥ってしまう。
「ちょっと、セシル様! 聞こえてますか?」
「あ、ごめん、何?」
ベアトリクスはずっとこちらに声を掛けていたようだ。
「セシル様、本当はゲームやったことあるんじゃないですか?」
突拍子もないことを言うので思わず面食らう。
「あったらそう言うよ、嘘つくメリットないだろ」
「で、でもさっきの言葉! 『あなたが他人を信じられなくても、私はあなたを信じます』って!確か主人公がアルベルトに言うセリフでしたよ!?」
そんなこと言っただろうか?説得するのに夢中で自分が口にした内容をあまり覚えていない。
「もしかして意図せず言ったんですか?すごい!BLゲームの才能アリですよ!!人間不信のキャラクターもセシル様なら掌で転がし放題ですよ!!」
「誰が欲しいんだよ、そんな才能……」
俺がぼやくと、はしゃいでいたベアトリクスが足を止め、不意に真面目な顔をした。
「どうした?」
「いや、さっきのセリフを言うシーンってアルベルトルートに入るためのかなり重要な分岐だったのを今思い出しまして……」
「……」
次に続く言葉を無意識に予見したのか、急に手の先が冷え始める。
「もしかして、今のでセシル様が兄上のルートに入っちゃったんじゃ……」
嫌な予感が的中して一瞬目の前が真っ暗になった。
大事なイベントの前にセーブができないとか。クソゲーすぎる、人生。




