第35話 ルカの話
二月末の学園はどこか閑散としている。それもそのはずで、卒業を控えた三年生たちは受けるべき授業が終わっており、新生活に向けた準備のため殆ど登校していない。寮生達の中には既に部屋を引き払った者も出てきている。
寂しさの中に新たな季節を迎える期待が混じる空気の中、寮に向かって歩いていると声を掛けられた。
「セシル様……ですよね?」
振り返るとそこには天使が立っていた。すわ、お迎えかと一瞬怯んだが、よく見なくてもそれはルカだった。相変わらず宗教画から抜け出してきたかのような風貌をしている。
「そうですけど、何か?」
「あの、お話を……いや、お礼かな? とりあえずお時間ありますか?」
「ありますけど……」
彼はよかったと微笑んだ後、小さくくしゃみをした。いや、くしゃみまでかわいいのかよ。
「すみません」
「いえ、立ち話もなんだしどこか入りましょう」
彼に感謝されるようなことはしていないと思うのだが。疑問を抱きつつ、どこか話すのに適した場所がないか考える。しかし、俺に宛はなかった。この一年間のほとんどを作戦遂行に費やしてきたため、あまり友達がおらず、皆が放課後にどういうところで駄弁ったりしているのかをよく知らなかった。
改めて学園内での思い出の薄さに少しぞっとする。その分、別のところが濃かったわけだが。
自室に来てもらうのもいかがなものかと悩んでいると、ルカから食堂へ行きましょうと助け船が出た。食事時以外に行くという発想がなかった。他に案もないのでありがたく乗っからせてもらうことにした。
食堂は前世でもよくある学食スタイルだが、貴族たちが通う学園なので無駄に一流シェフが料理を手掛けている。昼はもちろん、寮生なら朝・晩もお世話になるのだが、放課後の中途半端な時間帯も開いているとは思っていなかった。今の時間、厨房は夕飯に向けての準備で忙しく、軽食や飲み物のみ注文できるようだ。
中は混んではいないが、小腹を空かせたらしい男子生徒や、話し込む女子生徒など、利用者はそれなりにいた。俺たちは、二人して特に空腹ではなかったので飲み物だけ取って適当な席に着いた。ルカは温かいお茶が入ったカップを両手で包み込んでほっと一息ついている。かなりマイペースなように見受けられる。
「それで話とは?」
「そうだった! あ、失礼しました、こんな話し方で」
「いや、楽な話し方で大丈夫です。私も堅苦しいのは苦手なので」
何年この世界で暮らしても階級制度には慣れない。未だに階級が上だとどうなのか、年齢が上だとどうなるのか、嫡子かどうかで変わるのか、みたいなのが直感的に把握できないでいる。
「あの、先日、ベアトリクス様が謝罪に来られました」
「そうですか」
ルカに謝罪しに行くつもりだという話はベアトリクスから事前に聞かされていた。謝罪するのはこちらが許されたいだけの自己満足ではないか、今更会いに行って不快な思いをさせるのはどうなのか、などと彼女は長らく悩んでいた。しかし最終的には、何もなかったことにするのは不誠実だという結論に至った。罵られる覚悟で謝りに行くと言っていたがちゃんと成し遂げたようだ。
「ベアトリクス様の嫌がらせには確かに困ってはいたけど、そうなるのも当然だと感じてました。自分の婚約者に近付く人がいれば疎ましく思ってもおかしくない」
「……いや、そう思うことは許されても、それと実際に何かしら行動を起こすのは話が別だと思いますけど」
困っていた、程度で済ませるのか。流石にメンタルが強いな。そうでなきゃやっていけないような立ち位置にずっと置かれていただけある。
「セシル様はベアトリクス様の肩を持たないんだね」
厳密に言うと嫌がらせをしていた時代のベアトリクスは“彼女”ではないから肩を持たないのは当然なのだが、正直に言うわけにもいかず俺は返事を濁した。
「ヒューゴはあなたのこと信用できないって言ってたけど、やっぱり僕はそうは思わないな」
彼はこちらを見透かすように言う。ただのかわいらしい男の子だと舐めてかからない方がよさそうだ。
「ベアトリクス様の謝罪が私と何の関係があるんですか?」
「あなたのおかげかなと思ったんだけど、違うの?」
「違いますよ。どうしてそう思ったんですか?」
俺の質問にルカは小首を傾げた。動作のひとつひとつがいちいち可憐だ。
「ある時から、僕の身の回りの様子が変わり始めました。ヒューゴは積極的になったし、殿下はしばらく閉じこもっていたけど、最近は活動的になったみたいだ。嫌がらせはいつの間にか止んでいたし、誰に対しても冷たかったアルベルト様はひとりに対しては柔らかい表情を向けるようになった」
俺はルカの淡々とした言葉に心臓が冷えて縮む思いがした。彼は俺が運命を捻じ曲げた可能性に気付いているのか……?
「あなたが現れてから全てが変わった。僕にはそうとしか思えない」
「買い被りですよ。確かに余計なお節介は多少しましたが、ひとりの力でそんなに多くの人が変わることはない」
「そうかな……? まあ、いいや。僕はそうだと思ってるっていう前提で話を進めるね?」
案外強引なところがあるな。ルカの意外な一面を見て少し冷静さを取り戻す。
「僕はヴィ……殿下を救いたかった。だけど、彼のために自分を曲げ続けることもできなかった。僕ってわがままなんだ」
ルカは自嘲するように少し微笑んだ。
「僕は僕のままで殿下を助けたかったけど、殿下はそれを望まなかった。僕は今いる婚約者を退けてまで王族のパートナーとして生きていく覚悟なんてなかったし、殿下は王族という立場を捨てるなんてこと考えつきもしなかった」
ヴィクトルがルカを道具扱いした、と自責の念に駆られていたのはこういう部分なのだろうか。それでも俺が干渉しなければ、二人が向き合うことのできる未来もあったのだろうか。
「だから、今、詳しいことはわからないけど、殿下が自分の意志で歩き始めた様子を見ることができてホッとしてるんです。僕じゃできなかったから」
ルカは少し寂しげに笑った。この人はどんな感情も笑顔で表現してしまうのかもしれない。それは彼の強さなのかもしれないが、置き去りになった元の感情のことを思うと僅かに心が軋む。
「それに僕ってわがままな上に馬鹿なんだ。ずっとヒューゴの気持ちに気付けずにいたし。僕が僕らしくいられる場所はずっと前から近くにあったのに。……ヒューゴの背中、押してくれたのもあなたなんでしょ? おかげで鈍い僕でも気付けたよ。ありがとう」
「……部外者がいらぬ干渉をしただけですよ」
「それでも僕は今、幸せだよ。自分で未来を選ぶきっかけをくれたあなたに感謝したいんだ」
彼は、人が他者に見てほしいと思っている部分を見つけ出すのがうまいらしい。ルカの前だと自分が綺麗な人間かのように錯覚しそうになる。これはかなり危険だ。
彼の感謝に返す言葉を見つけられずにいると、食堂に大きな声が響いた。
「ルカ!」
焦った様子のヒューゴが駆け寄ってきた。ついでに俺の方を睨みつけてくる。
「……セシル様、俺たちにもう関わらないって約束しましたよね?」
ヒューゴの様子は相変わらずだ。今までこの警戒心は過剰だと思っていたが、ルカの横に立つにはこれくらいでちょうどいいのかもしれない。ルカと少し話しただけの俺ですら、彼にありのままの自分を受け入れてもらったような気持ちにさせられた。
その性質をルカはおそらく自覚できていない。人によっては劇薬になりかねないそれが、相手の執着心を煽るのは容易に想像できた。それこそ、ヴィクトルのような人間は過去に他にもいたのかもしれない。
「そういう態度良くないよ。やっぱり良い人だったよ」
「ルカ、でも……」
「僕の言うこと信じないんだ?」
ルカにじとりと睨まれて、ヒューゴは目に見えて慌て始めた。
「そいうわけじゃないんだけど……」
「セシル様がいなかったら僕に告白もしてくれなかったくせに」
「それは……!」
ヒューゴはもはや顔面蒼白になりかけている。ルカはそれを見て楽しそうに笑った。なかなか良い性格をしている。ヒューゴの自信なさげなところも含めて好きなんだろうけど。
これ以上カップルのイチャイチャに付き合わされては堪らないので、俺は退散することにした。
「いいよルカ、私は気にしてないから。今日は話せてよかった」
「うん、こちらこそありがとう」
そう言うルカの顔にはやはり笑みが浮かんでいる。その表情を見て、どうしてもお節介を抑えきれなくなった。
「君は殿下を救えなかったって言ったけど、私はそんなことは無いと思う。君がいたから殿下は変われたんだ」
人を救う方法は寄り添うことだけじゃない。ルカとの関わりがあって、別れがあったからこそ、ヴィクトルは変化を受け入れることができたんだ。
ルカは顔いっぱいに驚きの表情を載せた後、今度こそ一点の曇りもない満面の笑みを見せてくれた。俺はようやく安堵して、彼らに背を向けて歩き出す。
「セシル様!」
振り返ると、ルカが大きく手を振っていた。
「セシル様は余計って言ったけど、あなたのお節介、僕は素敵だと思う!」
そう言い切る彼の眩しさに、この世に彼に敵う者はいないのかもしれないと思わされてしまった。俺の負けだ。ルカの言葉に俺は片手を挙げて応えた。




