第32話 思い上がり
俺はこれまでヴィクトルのことをゲームの駒のように、攻略すべき敵キャラのように扱ってきた。アルベルトを通して彼の話を聞くまで、その傲慢さを自覚できていなかった。だから彼の行動を見誤った。どうせシナリオ通りに動くだろうとどこかで高を括っていたのだ。
ヴィクトルにとってルカは自分を人間として扱ってくれる唯一の存在だったのかもしれない。それを間接的とはいえ、俺が奪った。ベアトリクスとアルベルトが彼から遠ざかる原因をつくったのも俺だ。あるべき世界線を歪めて必要以上にひとりの人間を傷つけた。その責任はとらねばならない。
――俺のやるべきことはなんだろう。
「第六回作戦会議を始めます……兄上は?」
「今日は二人で話したいことがあると言って外してもらった。今までだっていないことは何回かあっただろ?」
年が変わってすぐ、俺はまたヴァイスシュタイン家の応接間に来ていた。
「何を引き換えにしたんですか?」
「引き換え? 何もしてないけど」
ベアトリクスの質問の意図が汲み取れず、眉をひそめる。
「えー! 私がセシル様と二人で話したいことがある、って言うとめちゃくちゃ渋られるのに! ハンカチに刺繍するのを見張ることを条件に了承させたり、いろいろ大変なんですよ?」
「だからあのとき、いつも以上に押しが強かったのか……」
「あ! 内緒だったんだった」
剣技会前のやりとりを思い出す。あのとき、確かにアルベルトは妙に都合よく不在だったが、仕組まれていたとは思わなかった。困った兄妹だな。呆れたがおかげで少し力が抜けた。本題に入ろう。
「今日は王子の件について、だ」
「婚約解消の交渉に向けてですか?」
「いや、違う」
「じゃあ和解ですか?」
「それもあるが……」
ただでさえ達成の可能性が見えない条件がある中で、やることを増やすのを忍びなく思い一瞬言葉に詰まる。しかし、気付いてしまったからには何もせずにはいられない。
「彼を必要な限り支える義務が俺にはある。だからそれについても今日の議題に挙げたい」
「あの、全く話が見えないのですが……」
ベアトリクスは大きく首を傾げた。確かに、それはそうだ。
俺は、アルベルトからヴィクトルの話を聞き、今更ながら過度に彼を傷つけてしまったのを実感したことまで説明した。
「つまり殿下の人生を歪めてしまった責任をとりたい……と?」
「概ねその通りだな」
ベアトリクスの要約に俺は頷いた。俺の返事を聞いて、彼女はどう返すべきか思いあぐねているようだったが、やがて決心したように切り出した。
「あの、これは絶対私が言うべきことじゃないと思うのですが……誰かが言わないといけないと思うので言うんですけど」
「なんだ?」
「お節介が過ぎるのでは?」
予期せぬ強い言葉に俺は怒る前に呆気にとられた。
「は? 俺は真剣に考えたうえで言ってるんだけど」
「それは、そうなんですけど、何人の人生背負う気でいるんですか? 既に私の人生も背負った気でいるじゃないですか」
「一生背負う気はないよ。問題が解決するまでだし」
別に死ぬまで面倒を見るつもりはない。ただ作戦によって拗れてしまった関係を修復したいだけだ。
「そもそもなんですが、この作戦は私が殺されるのを防ぐためのものなんだから、その責任は私にあるのではないでしょうか?」
「でも、それは“ベアトリクス”の罪であって“君”の罪ではないだろ」
「それを言ったら確実にセシル様の罪ではないです」
正論で殴られて黙り込む。なんだか今日は防戦一方になっている気がする。
「あなたは巻き込まれただけなのに、途中で手を引くこともできたはずなのに、縁もゆかりもない私のために頑張ってくれた。苦手な嘘だっていっぱい吐いてくれたし、……なんか成り行きで兄上の婚約者にもなってくれた」
「“候補”な」
「私、自分の人生のことなのに、何もできてない。私が生きていくために歪めてしまったものの責任は私が取りたい」
彼女がここまで自分の考えを話してくれたのは初めてだった。ちゃんと彼女の気持ちを受け取りたくて俺は居住まいをただした。
「私、まだちゃんと言ってなかったことがあるんです」
「何?」
僅かに震える指を叱咤するように、彼女は膝の上で握りこぶしをつくった。
「前に過労で死んだって言ったと思うんですけど、あれ半分は嘘なんです。過労も原因ではあるんですけど本当は自殺なんです」
重い響きを持つ言葉に引っ張られて、俺の心も沈んでいく。
「ほとんど眠れなくて、それでも朝は来るから仕事に行かなくちゃ行けなくて。こんなに辛いのになんで仕事しなくちゃいけないんだろうって思って、駅で電車を待っていたら、ふと、ここで死ねたら仕事に行かなくていいって思っちゃったんです。……気付いたら線路に飛び込んでました。やってしまったと我に返ったときには体中に衝撃が走ってました」
そこまで話しきると彼女は強く目を瞑った。彼女を今もなお苦しめているのは痛みなのか、それとも後悔なのか。
「高熱から目覚めて、今の自分の名前と顔を知ったとき、ルカが王子ルートに入っていると気づいたとき、これは罰なんだと思いました」
「罰?」
「ええ。前世で死んだときにいろんな人に迷惑をかけてしまったから」
彼女が当初からベアトリクスの罪を背負うことへの抵抗がなかった理由がようやくわかった。それを知ったところで俺からすると理不尽だという考えに変わりはないが。
「でも、死ぬことだけは受け入れることができなかった。自分が死んだ瞬間を覚えているからこそ、それを二度も味わわなければならない恐怖にずっと怯えていました。体を少し押されただけでも死の瞬間がフラッシュバックするんです。なんとかならないかとひとりで足掻きましたが、何も良い方向になんて進まなかった。そんなときにノートを見つけたんです」
俯いて語る彼女はもはや罪を告白する罪人のようだった。
「もう誰にも迷惑を掛けたくなかったのに、あなたに縋ってしまった。無関係なあなたは、それでも、私を助けてくれた。ひとりのときは何も変わらなかったのに、あなたを頼ってから目に見えて状況が変わり始めた」
「それは君が頑張ったからだよ」
聞く側に徹していたが、堪え切れず口を挟む。俺の言葉に顔を上げた彼女は、心配していたよりはずっと意志の強い表情をしていた。
「……いいえ。私気付いたんです。ひとりでは何も変えられないって。前世でも今世でも、私がやらなきゃいけなかったことって、迷惑を掛けないことじゃなくて、正しく人を頼ることだったんです」
もうとっくに彼女は彼女なりに自分の答えを見つけていたのだ。
「セシル様、私の人生の責任は私に取らせてください。殿下のことは私に任せてください。その代わり、あなたには隣で見守っていて欲しいんです」
そう告げる彼女の瞳には弱さや迷いは見当たらなかった。
何故、俺はひとりの人間の人生を背負いきれると思ったんだろう。まだどこかでゲームをプレイしている気分が残っていたのだろうか。この世界は例え、ゲームの中だったとしても、シナリオ通りの部分があったとしても、ひとりひとりの人間が自分で考えて行動した積み重ねで出来ているんだ。
俺は改めて自分の思い上がりを恥じた。




