第26話 暖色の秋
秋もすっかり深まり、街路樹は赤や黄に色づいて葉を落とし始めている。落ち葉は風が吹くたびに転がって道の端を競走していた。
暖色に染まった街を歩くアルベルトの冷えた銀髪はいつもより一際目立って見える。一方の俺は、背景に溶け込んで自分を見失いそうだ。仮に俺に天敵がいたとしても、今の状態だったら捕食される危険性がないほど完璧に擬態できている。
またひとつ風が吹いた。頬に触れるひんやりした空気に冬の気配を微かに感じる。
風が吹くごとに秋が押し出されて、冬が近付いてくるようだ。行き交う人々の中には既に厚手のコートやマフラーなどを身に着けている者もいる。
無意識に鼻を啜ると、寒いか? と問われ流れるように手を握られた。彼の温度が自分に移るのを感じて、思ったより体が冷えていたことに気付いた。少し疲れたし、暖かいところで休憩したい。
「どこか入りましょう」
「そうだな」
近くにカフェがあったのでそこに入ることにする。
アルベルトとは、誕生祝いにレストランへ行って以来、時間を作っては特に宛もなく王都を散策するようになっていた。
一緒に知っていこう、と自分から言ってしまった手前断りづらく、既に片手で足りないくらいの回数になっている。侯爵子息って忙しいんじゃないのかよ。学園内で会うよりは集まる視線が多少マシなので助かるけど。
アルベルトは注目されることに慣れているかもしれないが、俺にとっては悪意の有無を問わずなかなかのストレスなのだ。
カフェの入り口の立て看板には本日のオススメという文字の下にホットココアが描かれていた。飲食店も冬支度が進んでいるようだ。ご丁寧に湯気まで描写されているそれを見て、以前から気になっていたことがあったのを思い出した。それを確かめるチャンスかもしれない。俺は悪戯心を隠し持って中へ入る。
店内は、コーヒーの香ばしい匂いが漂っていた。前世からコーヒーに関しては味が好みだからと言うよりは眠気覚ましになるから、という理由で飲んでいたが、挽きたてのこの香りは好きだった。匂いに誘惑されたものの、今日は初志貫徹で行く。
席に通されメニューを見ているアルベルトに提案する。
「今日はホットココアにしませんか?」
「何故?」
「入口にオススメって書いてあったので」
彼は少し思案した様子だったが、そうしよう、と言いホットココアをふたつ注文した。俺の思惑には当然気付いていないようだ。
しばらくして、白いマグカップが二人の前に置かれた。カップいっぱいに注がれた温かい茶色の液体からは白い湯気と甘ったるい匂いがほかほかとたち上っている。丸っこいカップを両手で包むと指先がじんわりする。そのまま一口飲んだら、見た目通りの優しい味がした。
アルベルトはココアを飲まずにこちらを見つめている。
「飲まないんですか?」
「飲むよ」
「温かいうちに飲んだ方が美味しいですよ」
「ああ」
「冷めたら膜が張っちゃいますよ」
「……」
そのまま二人は見合っていたが観念したのか、アルベルトはカップに口を付けた。ところが。
「っつ……」
小さく声を上げて彼はすぐにカップを置いた。どうやら俺の予想は当たっていたらしい。つい堪え切れず喉の奥から笑いが漏れ、すぐに俯いたが誤魔化しきれなかった。
「笑うな」
「……っすみません」
なんとか息を整える。顔を上げると深々と眉間に皺を寄せるアルベルトがいて、笑いの第二波が押し寄せたがすんでのところで抑え込んだ。横隔膜がひくついて痛い。
この顔に猫舌はちょっと似合わないな。
「いつから気付いていたんだ?」
「初めの頃から、食べ物や飲み物になかなか手を付けないのには気付いていたんですけど。やたら警戒心が強いのかと思ってました。でも、もしかしたら、と思って」
単に猫舌なだけだった。また少し笑いが溢れそうだったのでココアを飲んで取り繕う。
「訊けばいいだろう、わざわざ試すようなことを」
「そちらこそ飲む前に言えばよかったじゃないですか。別に恥ずかしいことでもないのに」
思春期特有の謎の見栄を張るから、ついこちらも揶揄いたくなってしまったのだ。アルベルトは不貞腐れたようにこちらを睨みつけている。
「熱いものが苦手なんじゃない。冷めた料理に慣れているだけだ」
「なんですか、その言い訳は」
冗談混じりに返しつつ、アルベルトの言葉に僅かに寂寞を感じる。俺はヴァイスシュタイン家の冷え切った食事風景を垣間見た気分になった。
「……温かいものにも慣れていきましょうね」
俺の思い過ごしかもしれないが、彼が密かに抱える寂しさの一端に触れた気がして、つい年下の子供を諭すような口調になる。それを聞いたアルベルトはこちらをさらに強く睨みつけた。
「君はたまに私のことをすごく年下の子供だと思っていないか」
一瞬ギクリとする。中身が三十歳を超えているのだから彼を子供扱いするのは本当はおかしくないのだが、そんな突飛な状態にあるなどとアルベルトは思ってもみないだろう。彼からすれば自分よりも二歳年下の少年にそういう扱いを受けているのだから酷い違和感を持っても仕方がない。
「どうした?」
「いえ……」
実際のところ、今の俺は何歳というべきなんだろうか。精神は間違いなく成人男性だが、肉体は十五歳である。あまりにも歪だ。
俺が彼に対して投げかける、父性とも取れるような人生の先輩としての言葉が、この肉体を通すことによってねじ曲がって伝わっているのではないかという心配は以前から頭の片隅にあった。
本来、恋愛対象として見られるべきでないのに、そう錯覚させているのは不誠実を通り越して、詐欺ではないだろうか。
「もしも、私がアルベルト様よりもずっと年上だったらどうします?」
動揺したからかつい口が滑ってしまった。そんな突拍子もないことを質問されても困るだろう。
「どうもしないが?」
「どうもしないとは?」
「何歳の君でも、私にしてくれたことを同じようにされていたら、同じように好きになっていた」
こちらをまっすぐに見つめて、恥ずかしげもなく告げられた言葉に俺は息を呑んだ。
こんなのは仮定の話でしかない。実際におっさん相手だったらそうはいかないだろう。それでもカップを握る手よりも頬の方が熱くなったことに気付かないでいられるほど鈍感にはなれなかった。
「もちろん、中身だけでなく容姿も好ましく思っている」
彼はこちらに構わず続ける。
「君のおかげで私は秋が好きになった。黄色や茶色に染まる木々に君の姿を見るから」
そう言って、目を細めて窓の外を見やる姿に、無鉄砲に恋をする若者の姿に、戦慄に近いものを覚える。
「あなたは俺をどうしたいんだ……」
「私を好きになってほしい。今よりも」
視界の端で黄色の葉が地面に落ちるのが見えた。
店を出ると、太陽がまさに沈もうとしているところだった。一日の長さは変わらないはずなのに日が短くなるとどこか物足りなさを感じる。
「暗くなる前に帰ろう」
「……そうですね」
アルベルトは学園の方に向かって歩き出した。寮まで送っていくつもりらしい。別にここで解散でいいのに、と思ったが口に出すことはできなかった。夕日に照らされた足元から名残惜しげに影が長く伸びている。俺はそれを振り切るように一歩踏み出した。
アルベルトに変な質問をしてからどうも心に落ち着きがなかった。平常心を取り戻そうと奮闘しているうちに自分の部屋の目の前まで辿り着いてしまった。建物の前で別れようと思っていたのに。
「すみません、こんなところまで送っていただいて」
そう言って振り向くとアルベルトの顔が眼前に迫っていた。思わず目を瞑って固まっていると、頬に彼の唇が触れた。
驚いて触れられた方の頬を手で覆う。誰かが見ていたらどうするんだ。頭に血を上らせながらも、廊下に視線を走らせる。近くに人影がないことに一旦安堵しかけていたら、空いているもう片方の頬にもキスが降って来た。
「熱いな」
「何してるんですか!」
こんなところを見られたら面白おかしく脚色されて一気に浮ついた噂が広まってしまう。これ以上話の種になるのは勘弁願いたい。
「君が慣れろと言ったんだ」
「はい?」
「熱いものに慣れろと言っただろう?」
カフェでのやりとりを思い出す。猫舌を揶揄われたのがそんなに嫌だったのか?
「そういうのを根に持つところが子供っぽいんですよ」
「大人な君は子供の私がするかわいい悪戯くらい見逃してくれるんだろう?」
「子供はこんなことしない!!」
俺は叫びながら、勢いよく扉を閉めた。今日はダメだ。なんか、こう、色々ダメだった。なくした平常心を探すのを諦めて、そのままベッドに飛び込んだ。




