第25話 剣技会
剣技会当日は天気に恵まれた。天高く馬肥ゆる秋とはまさにこのことだ。俺はベアトリクスと円形闘技場の観戦席に並んで座って大会の開始を持っていた。
「それで、渡せたんですか?」
ベアトリクスが興味津々に訊いてきた。
「まあ、一応……」
俺はぼやけた返事をしながら数日前のことを思い起こした。
剣技会が近付いてもハンカチを渡そうとしない俺にアルベルトは遂に痺れを切らした。「婚約者殿はいつまで私を焦らすつもりなんだ?」と迫られ、俺は渋々ハンカチを引き渡したのだった。
「全く、人には殿下に渡すよう指示したくせに自分はこれなんだから」
「あんな不格好なの渡したくなかったんだよ」
ベアトリクスの指導も虚しく、刺繍の出来は散々だった。あんなものなんかより市販のハンカチを渡したほうが何倍もマシに違いない。
「わかってないですねえ。不器用な受けが一生懸命作ったものだからこそ、攻めは感動し、そのさまを見て我々は悶えるのです」
「我々ってなんだよ。君だけだろ」
今更だけどベアトリクスの中で俺はそっち役で確定なのか。逆だったらいいのかと言われるとそれはそれで嫌だけど、複雑な気分だ。そもそも俺も男同士の関係というものを易々と受け入れ過ぎではないか。偽りの婚約者候補とはいえ、今更ながら流されすぎな気がしてきた。
無駄話をしているうちに開始のファンファーレが鳴った。それを合図に出場者が現れる。鎧の類は身に着けていない。中世の軍服っぽい感じだ。
真剣じゃないにしても、防具がないのは普通に危険だと思うのだが、そのあたりはゲームの仕様なのだろうか。試合のシーンでみんな鎧だと折角のスチルが台無し、みたいな事情があるのかもしれない。
剣技会は一日かけたイベントだ。午前の予選は闘技場を何分割かして複数の試合が同時に行なわれるが、午後からの準々決勝以降は一試合ずつになる。本選から観戦する者も多いらしく、予選が始まろうとしている今の時点では客席に空きも多かった。
「あ、出てきましたよ!」
ベアトリクスが声を上げる。まだ試合も始まっていないのに、彼女はオペラグラス片手に興奮している。試合会場の方へ目を向けると目立つ銀髪がすぐ視界に飛び込んできた。少し離れたところに燃えるような赤髪も見つかった。
「王子のハンカチは見えるか?」
「うーん。胸に何か刺してるのはわかりますが、流石に刺繍の部分は見えないですね」
そりゃそうか。ここから見てわかるはずもない。ルカが誰にハンカチを渡したのか、王子がベアトリクスのハンカチを使ってくれたのか。現時点では確認の取りようがなかった。
ベアトリクスは、一週間ほど前に王子にハンカチを渡すこと自体には成功している。何度も断り続けるのは流石に体面が悪いと周囲の人間が彼を諭したことで面会が成立したらしい。ハンカチを渡したらしかめっ面で受け取られた挙句、人に作らせたのか? と疑われたと彼女はぼやいていた。
「原作だと決勝は王子とアルベルトが戦って、王子が勝つんだっけ」
「そうですね」
「ご都合展開だな」
会場内ではたまに歓声が上がったりしている。俺は競技のルールをよく知らないが、どうやら技が決まったりする度に盛り上がっているようだ。
そんな中、応援の声に紛れて観客席の一部で悲鳴が上がった。なんだろうと思い目を凝らすと王子が審判に止められていた。勝負が決まったのに手を止めなかったらしい。相手は倒れていたが、すぐに立ち上がった。大きな怪我はなさそうだ。
「ヒューゴです……!」
ベアトリクスがオペラグラスを覗きながら小さく叫んだ。
「殿下のお相手、ヒューゴだったみたいです」
彼女は僅かに青い顔をしている。会場に一瞬不穏な空気が流れたが、すぐに他の試合の活気に飲み込まれていった。しかし、俺の心には依然、その小さな不穏はとどまり続けた。
その後は予選も、お昼を挟んでの本選も滞りなく進み、試合は残すところ一戦となった。予選の時とは違い、客席はほとんど満席になっている。
「シナリオ通りになりましたね」
「そうだな」
決勝には王子とアルベルトが残っていた。このイベントは概ね原作通りに進みそうだ。
「剣技会って終わった後にハンカチを渡した相手との好感度上昇イベントはないんだっけ?」
確認のため隣に小声で聞く。ノートは持っているがここで開くわけにはいかない。
「そうですね。一応、ハンカチを渡した相手と勝負の結果について話すシーンは挿入されますけど、そのとき表立っては好感度メーターに動きはなかった気がします」
ハンカチを渡した時点で好感度の処理は終わっているということだろうか。
「ヒューゴが予選で負けるのもシナリオ通りだよな」
「そうです。ルカがもしヒューゴにハンカチを渡していたら、負けたヒューゴを慰めるシーンが発生していると思います」
「王子に渡していたら、この後二人は落ち合う可能性が高いということか」
試合後の王子の動向を確認できれば、ルカからハンカチをもらったかどうかがわかるかもしれない。
「確認しに行きます?」
「ベアトリクスが?」
「いや、二人で」
「なんでだよ、俺が行ったら変だろ。面識もほぼないのに」
向こうからすると側近候補の婚約者候補でしかない。候補の候補って関係として遠すぎるだろ。そんな奴が試合後にノコノコ現れても邪険にされて終わりだ。
「セシル様、王子が試合直後ってことは兄上も試合直後ってことですよ。兄上を労うついでに様子を見たらいいじゃないですか」
ベアトリクスが子供相手に言い含めるかのように説明してきた。俺とアルベルトの試合後の会話シーンを見たいだけじゃなかろうな。
「……わかった。王子の様子を見るついでにアルベルトにも会いに行こう」
「変に意地張られると意識してるのかなと思っちゃうんですけど。思ってもいいですか?」
「よくない」
ハンカチの行方を知っておきたかったので、渋々彼女の提案に乗ることにした。
決勝戦開始の合図が闘技場に響き渡る。両者が剣を構えた。
冷静に相手の出方を窺うアルベルトと苛烈に剣を叩き込むヴィクトル。お互い一歩も譲らない様子だ。決勝に残るだけあって、その戦いぶりからは彼らが実力者であることがはっきりと伝わってくる。剣が激しく交わり、鋭い音が響くたびに観客の熱は高まっていくようだった。
そんな熱狂の中で、勝負の結末を知っている俺とベアトリクスは場違いにも呑気に雑談していた。
「今更ですけどセシル様は参加されなかったんですね」
「するわけないだろ。見ろよ、この筋肉が不足している情けない腕を」
肘くらいまで袖をまくってベアトリクスに見せる。
「まあちょっと、それで参加されると心配にはなっちゃうかもですね……」
「うちで体育会系なのは二番目の兄だけだよ」
実際にはその機会はなかったが、次兄のブルーノとアルベルトが手合わせしていたらどちらが勝ったんだろう。体格的に兄の方が有利そうだと思っていたが、今日の様子を見るにアルベルトもなかなかの実力者らしい。剣技というルールの下であれば、もしかしたらアルベルトのほうが強いのかもしれない。
一際大きな歓声が轟いた。接戦を制し、王子が勝利をおさめたようだ。喝采が沸き起こる中、俺たちは会場を抜け出し選手控室へと急いだ。
控室の扉の前にルカの姿はなかった。確定ではないが、おそらくルカは王子にハンカチを渡さなかったようだ。
狭い通路で待っていると、しばらくして着替え終わった王子が姿を現した。
「お、お疲れ様です」
どもりながらもなんとか挨拶するベアトリクスを一瞥した彼は苛立たし気に彼女の肩を押しのけた。
「思ってもいないようなことを言うな」
よろけた彼女を一顧だにせず彼は去っていった。俺は慌ててベアトリクスを支える。彼女の顔色は悪く、息を切らして、殆ど過呼吸になっている。肩を軽く押されただけでこんな風になるだろうか。
「大丈夫か? 怪我でもしたのか?」
「だ、大丈夫、です」
「救護室に」
「いえ、じっとしてれば、治ります」
そう言われてしまうとどうしようもなく、彼女を無理やり担いで運びきる自信もなかったので、落ち着くまで背中を擦ることしかできなかった。本人が言った通り、二、三分ほどで発作はおさまった。顔色はだいぶ戻ったがやはり診てもらうべきではないかと悩んでいると控室の扉が開いてアルベルトが出てきた。
彼はセシルたちがいるとは思わなかったようで、少し目を見開いた後、珍しくきまり悪そうな顔をした。
「来てたのか」
「ええ、まあ。お疲れ様でした」
「君にハンカチをもらっておきながら、恰好つかないところを見せてしまったな」
「いえ、これ以上かっこよくなられても困るので大丈夫です」
ただでさえ、なんで侯爵子息はあんな奴を選んだんだ、と周りから反感の目で見られることがあるのだ。今より箔を付けられると、更にこちらの立つ瀬がなくなる。
言ってから返事が無いことに違和感を覚えて、両脇を確認すると二人して固まっていた。何か引かれるようなことを口にしたかと思い、先程の言葉を反芻する。ひょっとして誤解を招いたか? 俺は失言に気付いて焦って弁明した。
「いや、他意は無くて!」
「大丈夫です。セシル様が兄上のことをもうこの上ないほどかっこいいとお思いなのはよく伝わりましたわ」
「違います!!」
ベアトリクスが訳知り顔で頷く。先程まで青白い顔をしていたくせにもう通常運転に戻っている。俺は羞恥で顔が熱くなる。そういう意味で言ったわけじゃないのに!
「ありがとう」
アルベルトが少し照れ臭そうに言った。素直に感謝されると否定するのも悪い気がして、言い訳を重ねられず黙ることしかできなかった。
アルベルトが不格好な刺繍付きのハンカチを普段使いしているのを見かけて、俺が頭を抱えるのはそれから一週間後のことだった。




