第23話 歪な空気
アルベルトの案内で別の応接間に入ると、そこには一目でアルベルトの父親とわかる男性と黒髪に赤い目の派手な美人が待っていた。この女性がベアトリクスの母親でヴァイスシュタイン卿の後妻であるイザベラなのだろう。その華やかな面立ちは確かにベアトリクスと似ているような気がする。
二人の向かいのソファに俺とアルベルトも腰を下ろしたが、誰も話そうとしない。なんだか歪な空気が流れている。俺は前に座っている二人をそれとなく観察する。ヴァイスシュタイン卿は銀髪に紫色の目、冷えた相貌から体格に至るまで何もかも息子とよく似ている。アルベルトと出会った当初の俺なら、瓜二つだという感想を持ったかもしれない。ただ、彼の眼差しには温度がない。冷たいとかではなく、あらゆるものに興味がないのか温度自体が存在しないかのようだった。
一方、イザベラがこちらに向けてくる視線は雄弁だった。侮蔑を含んだそれは不快ではあるが、寧ろ、態度がわかりやすくて助かるくらいだ。嫌悪されるのに慣れているわけではないが、こちらに瑕疵があってのことでなく向こうが一方的に敵意を向けてきているだけならば、たいしたダメージにはならない。
彼らの様子を見て、俺はこの空気の正体に気付いた。アルベルトも含めてこの三人からは同じ匂いがしないのだ。一緒に暮らしていたら、血が繋がっていようがなかろうがどこか似通ってくるものだ。それが全く感じられない。
住まいを同じくしていても生活を共有しているわけではないことが言葉を交わさなくても伝わってしまうほど、彼らがそれぞれ放っている空気感はチグハグだった。
これ以上、無言で睨みあっていても仕方がないので部外者の俺から切り出すことにした。
「この度はお時間をいただきありがとうございます。テオドール家三男のセシルと申します。ご挨拶が遅くなり申し訳ありませんでした」
「……」
ヴァイスシュタイン卿は反応を示さない。この人こんなんで社会人としてやっていけてんのか? おそらく俺のことを取るに足らない相手だと見なしているからだとは思うが、その不躾な態度に不快感より心配が勝った。
植物の方がまだ表情豊かだなと思っていると、イザベラが俺の挨拶を鼻で笑った。
「あなた、どうやってこの堅物のこと籠絡したの? 一体何を使ったのかしら?」
そう言って、扇子で口元を隠しながら品定めするかのように俺に視線を這わせる。気分の良いものではないが、疑いたくなる気持ちもわからなくはない。正直なところ何が彼の琴線に触れたのか、俺も完全に理解しているわけではない。少なくとも見た目でわかる部分ではないのは確かだ。
彼女の視線を甘んじて受け止めていると、アルベルトが凍てつくような声で反論する。
「そんな下品なマネをするのはあなたくらいのものですよ」
「誰が下品ですって!?」
彼女はアルベルトに食ってかかった。これ以上煽るとその場のものを引っ掴んで投げつけそうな勢いだ。彼女の手元には高級そうなティーカップがある。あんなものを投げつけられたらたまったもんじゃない。逆上されるのを防ぐため、俺はアルベルトの腕に触れる。
「アルベルト様」
「……」
宥めるように名前を呼ぶと不服そうではあるが、油を注ぐ前に口を閉じてくれた。イザベラのことはヴァイスシュタイン卿が制してくれるのを期待したが、彼は微動だにしなかった。職務怠慢だろ、これ。
アルベルトが止まったのを良いことに彼女はさらに言い募る。
「随分と手懐けられているじゃない? 何か弱みでも握られたの?」
折角怒りを抑えたアルベルトのこめかみに青筋が浮かぶのが見えた。勘弁してくれ。挨拶くらい何事もなく穏やかに済ませたい。一触即発の空気の中でヴァイスシュタイン卿の乾いた咳払いが響いた。
「挨拶は終わりか?」
「え? は、はい」
一応、挨拶自体は済んだと言えなくはないが、婚約者候補の両親への挨拶ってもっとこう、雑談したりするものではないのだろうか。俺が困惑していると、彼はアルベルトに向かって言い放つ。
「跡継ぎとしての責任は果たせ。それ以外は期待していない」
自分の子供に向けたものとは思えない物言いに、俺は思わず彼を睨みつけてしまった。そこで初めてヴァイスシュタイン卿と視線が交わった。しかしそれは一瞬のことで、すぐに避けるように逸らされた。
「君もヴァイスシュタイン家に嫁ぐつもりなら当家に恥をかかせるような行動は慎むように」
それだけ言うと彼は席を立った。彼の目はもう誰も映していないようだった。イザベラも慌てて立ち上がる。
「旦那様! こんな位の低い田舎者との婚約をお認めになるのですか!? うちの格が落ちます!!」
「お前の意見は聞いていない」
妻の訴えをあっさり切り捨てると彼は部屋を出て行った。歯牙にもかけられなかった彼女は八つ当たりするかのように叫ぶ。
「しょうもない人間にはしょうもない相手がお似合いよ!! アンタの母親みたいなね!」
彼女は捨て台詞と共に音を立ててドアを閉めた。元気いっぱいだな。ベアトリクスよりもよっぽど悪役のポテンシャルが高そうだ。
あと、勢いで誤魔化されそうになったが、アルベルトの母親がしょうもないのなら、その相手であったヴァイスシュタイン卿もしょうもないはずで、さらに言えば彼の現在の相手であるイザベラもしょうもないということになるのではないか?
そんなしょうもないことを考えつつ、険しい顔をしたアルベルトの方へ向き直る。
「無理を言ってすみませんでした」
紹介してほしいと言ったのは俺だ。最終的に解消することになるとしても、婚約者候補ならば相手の両親と会わないのはおかしいという考えに間違いはないとは今も思っている。しかし、彼の他人に見せたくない部分を無理やり暴くことになったのもまた事実だ。
「こちらこそ身内が失礼を。……大丈夫か?」
「耳がキンキンします」
女性の金切り声を久々に聞いた所為でまだ耳に残響がある気がする。アルベルトは俺の様子に束の間拍子抜けした様子だったが、すぐに深刻そうな顔つきに戻った。
「私には気を遣わなくてもいい」
どうやら精神的なダメージを誤魔化そうとしていると思われたらしい。こちらを覗き込む瞳は揺れていた。傷ついたのは寧ろあなただろうに。
「自分が思いやっている訳でもない相手に何か言われてもそんなに傷つかないですよ。あなたの家族をそういう風に言うべきでないとは思いますが」
あんなことを自分の家族に言われたアルベルトの方が、初対面の俺よりも心に来るに決まっている。いくら憎んでいようが近しい人間であることには違いないのだから。
「あと、私はあなたがこの家の跡継ぎだから親しくしている訳ではありませんし、勿論しょうもないとも思ってません」
「……そうか」
作戦というきっかけはあるものの、彼の孤独を救いたいという気持ちに偽りはない。役割としてではなく、ひとりの人間として見ているということは伝えたかった。彼の両親がそうしないなら、その分俺が彼の気持ちに寄り添えたらいい。
「私が君のことを悪し様に罵ったら、君は傷ついてくれるのか?」
「なんですか? その質問」
傷ついてくれるってなんだ? 意図の読めぬ質問を笑って受け流そうとしたが、彼が思いの外真剣な顔をしていたので真面目に答えることにした。
「そりゃ落ち込むし、理由を考えるでしょうね。でも、」
「でも?」
「あなたが私に酷いことを言う想像がうまくできません。だからあまり現実味のある回答ができないです」
結局ちゃんとした答えの出ない不毛なやりとりになってしまったな。仮定の話でしかないのだからしょうがないが、こんなのでご満足いただけただろうか? そう思っていると両手を強く握られた。なんだろうと顔を上げると、そこには熱く、湿度を持った揺るがぬ眼差しがあった。
「私の婚約者になってくれてありがとう」
「……“候補”です」
突然の改まった態度に一瞬狼狽えたが、なんとか返事をする。彼の眉間からはいつの間にか皺は消え失せていた。それに安堵する一方で彼が俺に求めているのは、本当は恋愛感情ではなく父性とかそういう類のものなのではないかという小さな疑念が頭を擡げた。




