第20話 琥珀
アルベルトの誕生会当日、控室。俺は鏡に映った自分を見ていた。
少し暗めのアイボリーのスーツに白いシャツ、琥珀色のネクタイに身を包んでいる。胸ポケットには銀の糸の刺繍があるハンカチ。以前の落ち着いた感じの装いに対して今回は華やかな雰囲気なので、客観的に見て似合っているかの判断がつかない。
鏡と無意味な睨み合いをしているとアルベルトが部屋に入って来た。スーツとシャツの色は同じくアイボリーと白だが、ネクタイは紫、ハンカチは琥珀色の刺繍だ。アルベルトは俺に近づくと、満足そうに目を細めた。遠目だと同じに見えていたスーツだが、並んで見るとアルベルトの方が少し明るい色なのがわかった。
「緊張しているのか?」
「そう見えますか?」
「ああ」
婚約者候補であると公に発表されることが緊張を煽っているのは勿論だが、何より慣れない服を着せられていることが落ち着かなさの一番の要因だった。もう一度鏡を見ると不安そうにしている自分と目が合う。
「私、変じゃないですか?」
「よく似合っているよ。スーツの色も君に合うように調整したし、ネクタイも君の瞳の色だ。何の問題もない」
「……私の目は琥珀と言うよりは黄土色だと思いますが」
どう見てもネクタイの色と比べると俺の瞳はくすんでいて鮮やかさに欠ける。アルベルトは仕立て屋のおべっかを真に受けたのだろうか。
彼は鏡越しに俺のことを見ると僅かに口角を上げた。
「君はちゃんと自分の顔を見たことがないのか?」
「鑑賞に堪え得る顔ではないので」
普通、まじまじと自分の顔を見る人の方が少ないだろう。美形は共感できないかもしれないが。
「君の瞳は光が反射すると琥珀のように輝くんだよ」
「それは欲目では? ……何笑ってるんですか?」
後ろを振り向くと思ったよりも彼との距離が近くて面食らいそうになる。少し見上げると笑みをこぼすアルベルトと視線が交わる。揶揄われたのだろうか。
「私は君よりも君のことを知っている」
「それの何が面白いんですか?」
「嬉しいんだよ」
誇らしげな顔をするアルベルトに釈然とせず目を逸らす。少し俯いた視線の先に琥珀色の刺繍が入ったハンカチがあった。その色に対する違和感は不思議と薄くなっていた。
時間になり、アルベルトに連れられて会場へ入り席に着く。当然のようにエスコートされる側になっていることに今更ながら気が付いた。今後のことについて話し合いが必要な気がする。自分が彼をエスコートしている姿はあまり想像できないが、だからと言って唯々諾々とこの状況に甘んじるつもりもない。
誕生会の規模は直近のベアトリクスのものと大差なかった。成人祝いも兼ねているとはいえ、親しい者だけを呼んだらしい。大規模にしなかったのは本人の意向もあるだろうが、俺にも気を遣ってくれたのかもしれない。とはいえ、周囲から突き刺さる視線は量が少なかろうと痛いものは痛い。
アルベルトが側近の有力候補であるためか第二王子も参加している。その隣にはルカがいた。遠目でなら見たことはあったが、近場で見ると彼の美少年っぷりはより際立つ。金髪碧眼で華奢な雰囲気のルカは宗教画の中にいても違和感が無さそうだが、どこか素朴な愛嬌を纏った人物だった。
アルベルトはルカを呼ぶつもりはなかったが、王子がルカを呼ばないと出席しないと言い張ったらしい。帰省イベントがなかったので王子ルートへ進む可能性は下がったかと思ったが、まだそうもいかないのだろうか。
しかし、ここにいるのが当然だとでもいうような態度でいる王子に対して、ルカは居心地悪そうに見えた。自分以外はアルベルトと近しい者ばかりだし、何より、王子の婚約者であるベアトリクスの兄の誕生会なのだ。もちろんベアトリクス本人も出席している。まともな神経をしていたら参加したくなどないだろう。
「今日は随分と珍しいモノを付けているんだな」
王子の嘲るような声が部屋に響いた。どうやらベアトリクスの安物のガラス細工のペンダントのことを皮肉っているらしい。
嫌っているのならわざわざ話しかけなければいいのに、ベアトリクスが必要最低限を超えて話しかけてこないという状況に痺れを切らしたのだろうか。ここのところ、彼女が会いに来ようとしないのも気に食わないのかもしれない。
自分が相手を軽んじるのはいいが、相手に軽んじられるのは許せないようだ。
「殿下……!」
ルカが堪らずといった様子で声を上げた。王子を止めに入った彼の耳には赤い宝石のピアスが輝いている。一目で高級な品とわかるそれは、誰が贈ったのか問わずとも知れる。確かに、それに比べればガラス細工など粗末なものでしかないだろう。
王子の威圧するような態度にベアトリクスは束の間怯んだ様子を見せたが、ペンダントに触れると落ち着きを取り戻したのか淡々と応えた。
これは、テオドール領の特産品であり、兄が誕生日のプレゼントとして選んでくれたものである、と。
それを聞いた王子はアルベルトのほうを振り返った。その目はあり得ないものを見るかのようだった。周囲の者もアルベルトの普段の言動からは想像できない様子を聞かされて一瞬動きを止めた。
このプレゼントには付き合いの浅い俺ですら驚いたのだから、古くから知る者が受ける衝撃は相当なものだろう。
皆の視線がアルベルトに集まる中、ルカだけは王子を気遣わしげに見ている。曇る彼の表情とは対照的に赤い石は煌々と光を放っていた。
ざわつく一同を物ともせず、アルベルトは簡潔に挨拶し会の開始を告げた。そして間を置かず俺に手を差し伸べてきたので、彼の手を取って俺も立ち上がる。
「既に少々噂になってしまいましたが、私の婚約者候補が正式に決定しました。改めてご紹介いたします。セシル・テオドールです」
「セシル・テオドールと申します。よろしくお願いいたします」
参加者たちは既に噂を耳にしたり、ベアトリクスの誕生会で直接聞いたりしていたので、発表自体に驚くことはなかった。王子ももちろん既知のことなので前のように驚愕の表情を見せることはなかったが、アルベルトへ真意を探るかのような視線を向けている。
新鮮な驚きはないものの、どう考えても政治的価値が薄そうなテオドール家の子息を婚約者候補に選んだことについて、皆は事の経緯を聞きたがっているようだ。会場内の空気はどこか浮ついている。
「それにしてもよく君のお父上が許したものだな」
一人の青年が声を上げた。口調から察するにアルベルトと同等の立場の者なのだろう。
「あぁ。認めさせるのにはなかなか骨が折れたよ」
そう応えながら、意味ありげな笑みを微かに浮かべて俺に視線を送って来た。
アルベルトが取った強烈な交渉手段を思うと、説得のためなら本当に、物理的に、骨を折りかねない。勘弁してくれと彼のほうを睨み返すとその目はさらに細められた。笑とる場合か。
「……なるほど」
青年は何か察したかのように呟くと、それ以上は追及してこなかった。流石にハンガーストライキを強行したとまでは思っていないだろうが、まともな交渉の方法を取らなかったことは伝わったのだろうか。その割には何故か生暖かい目でこちらを見られたような気もする。
また別の者が口を開く。
「私はてっきり何かしらの取引があってのことかと思いましたが、どうやら違うらしい」
取引と言う言葉に俺は一瞬反応しそうになった。そんな俺とは違い、アルベルトは表情筋を微動だにさせずに返す。
「家のことは関係ない。私個人が彼を欲しいと思い、彼もまたそれに応えただけの話だ」
――誰がいつ応えたんだよ!
飛び出そうになった叫び声を無理やり押し込む。公衆の面前で告白紛いのことをされて頭が熱くなる。アルベルトがこちらを見ている。いや、皆がこちらを見ていた。俺の肯定なり、否定なりを聞きたがっているのだ。
「……そ、そんなところです」
俺の応えにその場は色めきだった。いくら高位貴族の令息・令嬢といえどお年頃の彼らにとって色恋沙汰は格好のネタなんだろう。
作戦のために肯定するしかなく人前で恥ずかしい思いをさせられた俺は、言葉で返せなかった苛立ちを込めて、テーブルの下で密かに彼の足を踏んづけた。高級品の靴など知ったことか。アルベルトは表情を僅かに歪めたが、それは痛さではなく愉快さ由来のものに見えた。怖。
反撃を諦め溜息を吐いてアルベルトから視線を外すと、会場内で一か所だけ沈み込んだように静かな席があるのに気付いた。王子が座っている席だ。そこだけ透明の囲いがあるかのように、沸き立つ空気を遮断している。
王子は眉間に皺を寄せたまま自分の手元を見つめたまま動かない。料理にもほとんど手を付けていないようだ。その姿が自分の意思を持たないモノのように映って胸がざわつく。王子の様子に気付いているのは俺と、ルカだけのようだった。
ルカは静かに王子を見つめていた。その瞳が語るものが何なのか俺には推し量りきることはできなかったが、それはどこか悲しい色を含んでいた。




