第2話 悪役令嬢との遭遇
「あなた!『心に芽吹く光―執着の行き着く先―』をご存知なんですね!!」
そう叫ぶ彼女は今にも縋りつかんばかりに俺の方を見つめている。俺の慎ましい日常はこの少女の登場により終わりを告げようとしていた。
十五歳になった俺は王都の学園に入学して一カ月、平々凡々な学園生活を送っていた。一応、例のノートは持ち歩いていたが、特に活用するシーンも発生しなかったためその存在は次第に頭の片隅の方へ追いやられていった。その所為か、俺は移動教室の際にノートを机に置き忘れてしまった。
取りに戻ると、そこにはウェーブのかかった銀色の長い髪にピンクがかった紫色の大きな瞳、可憐そのものとしか言いようのない美少女が立っていた。俺のノートを手にした彼女は「返してほしくば、言うことを聞きなさい」と半ば脅し気味に俺を連行したのだった。
やたらと立派な屋敷の応接間らしき部屋に連れてこられた俺は、開口一番に聞き覚えのない言葉を浴びせられて、混乱の最中にあった。
「なんですか?その、心に……、なんでしたっけ?」
「え!?『心に芽吹く光―執着の行き着く先―』をご存知ない!?」
「すみませんが、聞いたこともありません」
「嘘でしょう!?」
彼女は取り乱してソファから立ち上がった。俺を混乱させている張本人が俺よりもパニックになるのはやめてほしい。気張るのもバカバカしくなりソファの肘置きに頬杖をついて溜息を吐く。
この屋敷は王都の中でもかなり大きな部類に見えたし、応接間も豪勢なつくりだ。おそらく名前を聞けば俺でも知ってるような有力貴族の邸宅なのだと思われるが、目の前の彼女の立ち居振る舞いは、とてもじゃないが上流階級のご令嬢のソレには見えなかった。
「だって、これ、設定集みたいだったし!制作側の方とか大ファンの方とかじゃないんですか!?」
「読めたんですか?」
この世界の人間がノートを読めるはずがない。何故なら、俺はそれを日本語で書いているのだから。
「ついに救世主が現れたかと思ったのに!!やっぱりこのまま死ぬんだ!!!」
俺の質問を無視して彼女は物騒なことを口走った。今にも泣き出さんばかりの彼女の話は要領を得ないが、ひとつわかったことがある。
彼女もおそらく転生者だ。
俺はなんとか彼女を宥めすかして話ができる状態に持っていき、名前を聞き出すことに成功した。
曰く、彼女の名はベアトリクス・ヴァイスシュタイン。代々大臣を務める侯爵家のご令嬢らしい。学年は2年。そして、元日本人であると彼女は言った。
「あの、私たぶん、転生?したんだと思うんです。記憶が戻ったのは半年前に高熱を出したときなんですけど。セシル様もそうですよね?これ、日本語ですもんね?私が二十代一般社畜女だったって言っても信じてくれますよね?」
彼女は縋るように言い募った。自分以外にも転生者がいるとは思ってもみなかった。仮にノートが攻略本として使えるような内容だった場合、他人に知られたらまずいかもしれないと思って日本語で書いていたのだが、まさか転生者発見器になるとは思ってもみなかった。
彼女が俺と同じ世界からやって来たというのは、おそらく事実らしいが……。一応ダブルチェックしておくか。
「ぬるぽ」
「ガッ」
「……信じましょう」
不意の一言に彼女は即座に返した。間違いない。インターネットの民だ。世代的に伝わるか微妙だと思ったがなんなく通じた。転生するまでに多少時間差があったのだろうか。ともかく、俺からしても古であるミームが伝わるなら、前世で生きていた時代がとんでもなくずれていると言うことはなさそうだ。
「それで、なんでこのままだと死ぬんだ?」
「セシル様、落ち着いて聞いてください。ここはゲームの世界なんです」
「いや、それはなんとなく察してた」
彼女は記憶を取り戻した後すぐに前世でプレイしたゲームとこの世界が酷似していることに気付いたそうだ。ベアトリクスは重大な事実を告げるかのように神妙に告げたが、俺にとっては答え合わせのようなものだった。
「私はいわゆる悪役令嬢のポジションに転生してしまいました」
「王道だな」
転生物だったら確実に君が主人公だ。
「悪役令嬢は攻略対象の一人である第二王子の婚約者なのですが、主人公が王子ルートに入ると最終的に暗殺されます」
「え?ここそんな物騒な世界じゃないよな?」
突然の非日常ワードに思わず面食らう。俺の知っている限り、貴族社会での多少のいざこざはあるものの、生死に関わるような争いがあるような世界ではない。戦争の類も長らく起きていないはずだ。
「なんかそうなるんです!悪役令嬢は主人公のことをいじめて、最終的に毒殺しようとするんです。当然それは失敗するんですけど、最終的に卒業パーティでみんなの前で婚約破棄されて、数々の悪行を晒され断罪されて、国外追放されて、それでも許せなかった王子に刺客を送られて暗殺されるんです!」
「えぇ……?何その令嬢を殺したいだけのシナリオは」
「仕方ないでしょう、このゲーム、シナリオがガバくて評判あんまりよくないんです!」
制作陣はとりあえず悪者を亡き者にしたら、プレイヤーにカタルシスを提供できるとでも思ったのか?消費者を舐めるのも大概にしてほしい。そんな雑な流れで殺されたんじゃ悪役令嬢だってたまったもんじゃないだろう。
「というか、そこまでわかってるなら主人公が王子ルートに行くのを阻止したらいいだけでは?」
こういうジャンルのゲームは複数ルートがあるはずだ。それに仮に王子ルートに進んでしまったとしても、断罪のきっかけとなるいじめやら毒殺計画やらを企てなければ暗殺は回避できるだろう。
「それが、私の記憶が戻った時点で既に王子ルートに入っていたようで、ベアトリクスも嫌がらせを始めちゃってたんです……」
「それは……ご愁傷様です……」
実を言うとついさっきまでは、彼女に対して悪役とは言えメインキャラに転生できて羨ましいという気持ちがあったのだが、今のを聞いてその感情は完全に消え去った。
「今はもちろん嫌がらせなんてやってないです!記憶が戻ってからはすぐやめたんですけど、全然状況が好転しなくて……。記憶が戻って混乱しちゃって言動がおかしくなった所為か、元々悪役令嬢についていた取り巻きも失い……。周りに頼れる人もいなくて……」
言いながら視線を落としていく。先程までの勢いは完全に消え失せていた。震えを抑えるように拳を握っているが、隠しきることはできていない。
「私、前世は過労で死んだんです。死んだ瞬間のこと、今でも夢に出ます。ただでさえ死ぬのが怖いのに暗殺になんて遭いたくない……」
俺は今際の際の記憶がないが、彼女にはあるらしい。テンションの異常な乱高下は死への恐怖がそうさせているのかもしれない。
それにしても、過労で死ぬ瞬間って鮮明に覚えていられるくらい苦しいのだろうか?気を失ってそのままみたいなイメージなんだけど。
「お願いです。ゲームのことを知らなくても構いません。相談に乗っていただけるだけでもいいんです!私を助けてください!!同じ日本人のよしみで!!」
無双することを夢見ておきながら同時に小市民でもある俺は、正直に言うと危険かつ面倒なことに巻き込まれる予感に二の足を踏んでいた。しかし、死ぬことが確定しそうになっている人間を見殺しにする勇気もなかった。
「あんまり役に立てないと思うけど……」
「ありがとうございます!!」
渋々承諾すると、彼女はテーブルに額をぶつけんばかりに頭を下げた。
再び泣き出しそうになった彼女を落ち着かせて、ひとつ気になっていたことを訊く。
「ところで、このゲームにセシル・テオドールっていう名前のキャラクターって出てきたりする?」
「いや、記憶にはないですね……」
彼女は申し訳なさそうに答えた。
やっぱり俺はこの世界でもモブに過ぎないらしい。




