第17話 条件
翌日、アルベルトはセシルの父と兄に呼び出された。婚約者候補の件だと思うが、俺は入れてもらえなかった。釈然としないが、ベアトリクスが今日の午後には出発すると言っていたので、彼女に会いに行くことにした。アルベルト抜きの作戦会議をしばらくできていなかったのでちょうどいい。
ベアトリクスが宿泊している宿屋は街では一番高級なものなので、小規模ながらラウンジがある。人目につかない席に案内してもらい、彼女と落ち合う。
ほどなくして彼女は現れた。今日は庶民の服でなく、いつも通りのものを着ている。しかし、胸元にはガラスのペンダントが控えめに輝いていた。
「兄上は?」
「うちの父と兄に呼び出し食らってる」
「ほお?」
ベアトリクスは意味ありげに相槌を打つ。テオドール家での交渉の詳細を知りたがっている様子だが、俺はそれを遮って攻略ノートを取り出した。
「今日はこの件で話がある。今後の展開について確認しよう」
「はいはい」
彼女はおとなしく引き下がった。
ノートを広げて、改めて作戦を確認する。俺たちは三月の卒業パーティまでに、断罪イベントに繋がりそうなフラグを折っていかなければならない。
そのために、主人公の幼馴染ルートへの誘導・王子との和解・こちらからの婚約解消の交渉、の三つのうちのいずれか、欲を言えば確実性を上げるためにすべてを達成する必要がある。
ただ、ここまでの数カ月のほとんどはアルベルトの協力を得るために使ってしまったため、本来の作戦の進捗は芳しくない。作戦遂行に必要だったとはいえ、かなりのロスになってしまった。
幼馴染ルートに関しては、この休暇中に二人の関係がどう変化したかで対応が変わりそうだ。学校が始まり次第ヒューゴに確認を取る必要がある。
「正直ヒューゴにはまだ怪しまれてるだろうな」
「そうですよねぇ」
向こうからすると、俺は急にルカについて探りを入れてきた謎の人物でしかない。協力してもらえるほどの信頼関係は築けていないのが現状だ。
「今後の重要なイベントは……」
「直近だと大きなものは十月にある剣技会ですね」
以前、ベアトリクスに聞いてメモしていたイベントについてまとめたページを開く。
剣技会はその名の通り剣術を競う学園内の催しで、体育祭みたいな位置づけのようだ。ただし、全員参加ではなく、剣に覚えのある者だけが出場する。出場者の中に想い人がいる者はお守りとして自分で刺繍を入れたハンカチを渡す、という伝統があるらしい。
ゲーム内では、主人公がハンカチを渡した攻略対象の好感度が上がり、剣技会後に会話シーンが発生するそうだ。
「これに王子とヒューゴが参加すると」
「シナリオ通りであればおそらく」
「ルカがヒューゴにハンカチを渡すよう誘導するのは難しそうだな……。俺はルカとは直接接触してないから」
攻略対象の好感度が不足しているとハンカチを受け取ってもらえないという状況も起こりうるらしいが、ヒューゴはもちろんのこと王子の好感度もおそらく足りているだろう。ハンカチがどちらの手に渡るかは完全にルカ次第だ。
「これって受け取る側はいくつ受け取ってもいいのか?」
「そんなわけないでしょう! 舐めてるんですか!?」
怒られた。何を舐めていると言うのだろうか? 情緒?
「じゃあベアトリクスが先に王子に渡しといたらいいんじゃないか?」
先に贈ることで牽制になるのかはわからないが、何もしないよりはマシな気がする。そんな俺の提案に彼女は顔を曇らせた。
「まだ、あまり殿下とは関わりたくないのですが……。それに悪役令嬢からのハンカチは受け取ってもらえないような気がします」
「そうかもしれないが、向こうも世間体があるし可能性はゼロじゃないだろう。王子との和解が断罪回避に必須かはわからないけど、できるに越したことはないし。一旦、応急処置として距離は取ったけどそろそろ向き合う必要があると思う」
彼女は気が進まない様子だ。自分を嫌っている人間と会うのはストレスだろうし、おそらく、そうでなくても王子のような性格の人は苦手なのだろう。しかし、あまりのんびり構えてもいられない。
「十二月にある王子の誕生パーティまでにはある程度話せるようになっておいた方がいいんじゃないか?」
ノートにある『剣技会』という文字の次の行には、『王子の誕生パーティ』と記されている。
王族の、しかも成人を迎える王子の誕生パーティなので今年は特に大きな規模で開催される。今更とは言え、衆目の中でギクシャクした関係を見せるのはよくないだろう。
普通なら和解云々は当人たちの個人的な問題でしかないが、ベアトリクスは公人である王族との婚約解消を目指しているのだ。
ただでさえ心証の悪いことをするのだから、なるべく不仲による破断ではなく、円満解消であると周囲に印象付けて、彼女へのダメージを少しでも減らしたほうがいい。
だから、このパーティまでにはある程度関係を修復しておきたいと俺は考えていた。
「できるでしょうか」
彼女は自信なさげに俯き、ティーカップの持ち手を指で頻りに擦っている。
「やるしかないだろう。いや、できると思う」
「どうして?」
「だって、無理だと思ってたアルベルトとの和解だってほぼ成し遂げただろ」
ベアトリクスは顔を上げてこちらを見た。そして、胸元で揺れるペンダントにそっと触れた。
「でもそれはセシル様が……」
「確かに俺も手助けしたけど、頑張ったのはベアトリクスだよ。今だったらもっと落ち着いて王子とも喋れると思う。前と違ってアルベルトも協力してくれるだろう」
彼女だって前世では社会人としてやっていたんだから、冷静になれば前ほど拗れることなく話せるはずだ。今回は味方もいる。
「……頑張ってみます」
「うん、やれるよ」
彼女はペンダントを握りしめて頷いた。不安を完全に払拭できたとは言い難いが、やる気にはなってくれたようだ。
俺は改めてノートを眺めた。最後のイベントである卒業パーティまで半年ちょっとだ。そこまで到達してしまえばどんな結果であれ作戦は終了する。その後は……。
その後はどうなるんだろう。
最後のイベントが終わってもこの世界は続くのだろうか。
小さな、しかし、確かに胸をざわつかせる疑念が頭をもたげたが、つまらない妄想だと跳ねのけてそれ以上は考えないことにした。
ベアトリクスと別れ、家に戻ると父と兄が待っていた。どうやらアルベルトとの話は済んだらしい。先程までアルベルトがいたであろう応接間に今度は俺が呼び出された。
「結論から言うと、お前たちを婚約者候補として認める方向で進める」
俺が座るとすぐにギルバートは結果を伝えた。どうやらアルベルトは合格したらしい。
「ただし、条件がある。侯爵子息が交渉材料として提示した侯爵のサインが入った契約書の提出だ。それが確認できるまでは保留とする」
ギルバートは頑なにアルベルトの名を呼ぼうとしない。気に食わないのは変わりないのだろう。
「一応中立の立場を取っているヴァイスシュタイン家が教会に恩を売るようなことをするとは思えないがな」
この世界には教会で祈れば同性同士でも子供を授かることができるというトンデモ設定があるが、それを行なうためにはそれなりの“お布施”が必要になる。お金の無い庶民は利用できないし、教会の力が大きくなりすぎるのを危惧する貴族もあまり利用しないので、同性婚はそこまで多くはない。
跡継ぎのことを考えると教会の世話にならざるを得ないが、それはヴァイスシュタイン卿にとって望ましいことではないだろう。彼からサインをもらうのは至難の業のように思われる。
捨て台詞のようなことを言う兄と対照的に父は心配そうだ。
「お前が何か抱えているのは、わかっているんだが……。それは今は話せないことなのかな?」
「……はい」
隠し事が何もないとはとてもじゃないが言えなかった。
「そうか……。これだけは約束して欲しいんだが」
一呼吸置くと、父は真っ直ぐにこちらを見た。
「逃げたくなったらすぐうちに帰ってくること。頼りがいはないかもしれないが、それでも一番に頼ってほしい。ここがお前の帰る場所なんだから」
「わかりました」
俺の返事を聞くと父は肺の空気をすべて吐き出しきるくらい大きな溜息をついた。この一週間で少し老けてしまった気がする。
「心配をおかけして申し訳ありません」
「全くだよ」
父は力なく笑った。
「何をどうしたら侯爵子息を連れて帰ってくることになるんだ? 来たと思ったらもう帰ると言い出すし」
「え?」
「契約の件、早急に進めたいから明朝には発ちたいと」
「えぇ!?」
なんだそのスピード感は。できるビジネスマンかよ。
「そういう自分を中心に世界が回っているとでも思ってそうな高慢さが嫌いなんだよ」
ギルバートは苦虫を噛み潰したような顔で呟く。
「本当に明日帰るんですか!?」
「いや、ちょうど明日ブルーノが帰って来るから、それに会ってからにしてくれと伝えてある」
「……そうですか」
流石に王都に戻る前に一度、二人で話がしたかった。明朝に出られると話す時間がとれないが、出発が明後日なら間に合いそうだ。
考えを整理するためにもう少し時間を置きたかったが仕方がない。明日話す他なさそうだ。
ベアトリクスに王子と向き合えと言ったのだから、俺も逃げていては格好がつかない。




