第16話 割れないガラス
俺の答えを聞くとギルバートは考える時間をくれと一言呟いて目を閉じ、こめかみを押さえた。俺とアルベルトは大人しく応接間を後にした。
隣を歩くアルベルトが何を考えているのか、いつにも増してわからない。彼の言葉のどこまでが真実でどこまでが嘘なのか判別がつかなかった。
ただ、彼の中にも自分と同様に、もしかしたらそれ以上に『作戦のための婚約者候補』の枠には収まらない感情が芽生えているのは確からしかった。
本人に直接尋ねるのも憚られてひとり悶々としていると、屋敷の中が少し慌ただしいのに気付いた。兄との交渉で頭がいっぱいですっかり忘れていたが、今日はベアトリクスがテオドール領に到着する予定の日だった。
宿泊するのは街の宿屋にするらしいが、今日は挨拶も兼ねてうちで夕食をとることになっている。
正直、このタイミングで彼女が来てくれるのは助かる。アルベルトと一対一で向き合うまでには少し時間が欲しかった。
夕方頃、予定通りベアトリクスがやって来た。彼女は長旅による疲れはあるものの元気そうだ。滞りなく挨拶を済ませ、食事の席に着く。質素なテオドール邸も華やかな彼女がいると、輝いているように感じられる。田舎に相応しくない美少女の登場に屋敷全体が浮足立つのも無理はなかった。
ベアトリクスは王都にいるよりよっぽどリラックスしているようだ。前世は一般庶民だったのだから侯爵家よりは、一般家庭の雰囲気に近いテオドール家の方が落ち着くのは当然だ。両親が緊張しつつも暖かく迎え入れたことも彼女を安心させたのだろう。悪役令嬢という色眼鏡で見られなければ自然に振る舞えるらしい。
食事はいつも通りの内容だった。ギルバートは彼女も特別扱いする気はないらしい。ベアトリクスは特に怯むことなく、口数が少なめな男性陣を放って主にマルタと和やかに会話しながら食事を続けている。アルベルトはそんな妹の様子を静かに見守っていた。おそらく意外に思っているのではないだろうか。
「これ、美味しいですね」
「本当? あまり馴染みがないんじゃないかと心配していたんですけど」
「いえ、なつ……夏野菜が好きなので好みの味です」
ベアトリクスは牛肉のトマト煮込みが気に入ったらしい。貴族のディナーだとワイン煮込みが多いので庶民的なトマト煮込みはあまり出てこない。この世界のそれはハヤシライスの味に似ているので元々日本人である彼女の舌に合うのだろう。懐かしいと言いかけていたような気がするのはご愛敬である。
マルタとの会話を楽しんでいた彼女はふと思い出したように、俺に話しかけてきた。
「セシル様、明日街を見て回りたいのですがご案内いただけないですか?」
「いいですよ」
特に予定もないし、屋敷にいたくない気分だったから外出の理由が出来て寧ろ有難い。そう思っていると横にいるアルベルトが口を開いた。
「私も同行しよう」
避けたと思ったボールが急カーブしてぶつかってきた気分だ。残念ながら断る理由は見つからなかった。彼から離れて頭を冷やしたかったのだが、それは叶わないらしい。
翌日、アルベルトと二人で宿までベアトリクスを迎えに行った。彼女は随行していた者に服を借りたらしく、庶民の女の子が着るようなものを身に着けていた。アルベルトも先日と同じく次兄の服を着ていたが、二人並ぶと尚更服装によるカモフラージュは無駄に見えた。寧ろ、人物と服装のチグハグさで余計に目立っているようにさえ感じられる。
二人を景色に溶け込ませるのは断念して、そのまま街へ出る。俺には女の子が好むものがよくわからなかったので、特に目的地を決めずに街をぐるっと回ることにした。
ベアトリクスは歩き始めてすぐ、ガラス細工店のショーウィンドウの前で足を止めた。気にはなっているものの遠慮していそうな彼女に、折角だからと中へ入るよう促した。
彼女はアクセサリーが並んでいる棚を熱心に見始めた。この店には俺も以前来たことがあったが、その頃よりもラインナップが増えているようだ。
テオドール領は今、割れにくいガラスの開発にも力を入れているのだが、その製造過程で出た端材を磨いてアクセサリー用に加工したものがそこに並んでいた。“割れにくい”ということで、見た目だけでなく験担ぎの要素でも人気なようだ。ステンドグラスの受注もしているためか、色も豊富でシンプルながら綺麗だった。
『プレゼントにもおすすめ』という商品紹介文を見て、先日誕生日を迎えたベアトリクスへ贈り物をしていなかったことに思い至った。作戦のこともあり、誰もまともに祝っていなかったのではないだろうか。今になって申し訳なさが募って彼女に声を掛けた。
「遅くなりましたが、誕生日のお祝いに何かプレゼントさせてください」
「え!? いいんですか?」
「もちろん。何が欲しいですか?」
「よろしければ選んでいただきたいのですが……」
困った。そういうのは得意分野ではない。家族や恋人でもない人間が女性にアクセサリーをプレゼントするのは良くない気がする。明らかに弱った様子の俺を見てベアトリクスは楽しそうだ。金で手に入る物であればなんでも買える立場にいる彼女は自分が欲しいものじゃなくて、誰かが選んだものが欲しいのだろう。
途方に暮れて店内を見渡すと、ふと視界の端に小さなスノードームが映った。この世界にもあったのか。懐かしい気持ちになり手に取る。
ドームの中はテオドール領の湖の景色をモチーフにしているみたいだ。舞っているのは白い雪ではなく、薄桃色の花びらのようだった。この辺りはあまり雪が降らないのでそれに順じているのだろう。舞う花びらに前世の春の景色が蘇って、思わず購入してしまった。
邪魔になるだろうか? まあ小さいしペーパーウェイトとしても使えるからいいか。
その場でベアトリクスに手渡す。小さい紙袋を開けて中を見た彼女は、こういうときはアクセサリーを渡すんじゃないのか、と文句を付けつつも嬉しそうだった。
「桜みたいですね」
小さな球体の中を浮遊する薄桃色に、彼女は目を細めた。
ガラス細工店を後にして、足を休めるために適当なカフェに入った。店の一番奥の席に案内される。お忍びなのはやはりバレバレらしい。店側の気遣いを感じる。
俺たちはコーヒーを飲みながら近況報告をした。ベアトリクスはテオドール領に行きたいと母親に話した際、ひと悶着あったらしい。兄の婚約者候補について探るためと言い訳して、なんとか三日間の滞在の許しをもぎ取ったとのことだ。彼女は彼女でしたたかになりつつあるようだった。
そう話しながらもベアトリクスは俺とアルベルトの様子を窺っている。今日二人がまともに会話を交わしていないのに気付いているらしい。だが、瞳の輝きから見て、心配というよりは別の何かを感じているようだ。腐女子センサーの精度に戦々恐々とする。
いらんことは言うなよと目で牽制をしていると、横に座っているアルベルトが懐から紙袋を出してベアトリクスの前へ置いた。その袋は先程のガラス細工店のものだった。
「……これは?」
彼女はキツネにつままれたような顔をして尋ねる。予想外の動きに俺もアルベルトの方を覗き込む。いつも通りの無表情のまま彼は口を開いた。
「……誕生祝いだ」
ベアトリクスはさらに目を見開いた。今、彼女の後頭部を軽く叩いたらその大きな瞳がこぼれ落ちてしまいそうだ。
そういえば、店にいるとき途中からアルベルトの姿が見当たらなかった。彼も妹へのプレゼントを選んでいたようだ。妹への贈り物、しかも高級品でもない物を購入するという行動は余りにも彼らしくないように思えた。
「開けても……?」
「ああ」
ベアトリクスが震える手で紙袋を開き掌の上に傾けると中からペンダントが現れた。透明と紫のグラデーションの小さなガラス玉がついたそれは、あの割れにくいガラスのものだった。
彼女は震える手でペンダントを包み込むと声も出さずに一筋涙を流した。その雫は店に並んでいたどのガラスよりも美しかった。




