第12話 寸前
夕食の時間になり、アルベルトと共に食堂へ向かうと両親と仕事から帰った兄は既に席に着いていた。
「アルベルト様、こちら長兄のギルバートです。兄上、アルベルト・ヴァイスシュタイン侯爵子息です」
紹介すると兄は立ち上がり、アルベルトと握手をした。おおよそ侯爵子息に向けるべきではないくらいそっけない態度だった。両親は心配そうに二人を見ている。愛想の無さを競うコンテストがこの世にあるなら、この二人は世界大会に出場できるポテンシャルがある。
「セシル。何か言いたいことがあるらしいな」
「ありません」
ギルバートに睨まれ、顔を背ける。失礼なことを考えていたのがバレたらしい。この人を前にするとたまに頭の中を覗かれているような気持ちになる。
「さあ、ご飯にしましょう。冷めてしまうわ」
母の促しに従い席に着くと、まもなく食事が運ばれてきた。母は話題を絶やさない。よく喋る彼女に対して父は穏やかに相槌を打つ。それはテオドール家のいつもの食事風景だったが、賓客を前にしている所為かどこかぎこちない。
しかも、食事が運ばれるたびに両親の顔には緊張が走っている。二人だけでなく使用人たちも少し青い顔をしている。
別に不味いものを提供しているわけではない。それどころか、当家比でいくと豪華なほうだった。ただ、上流貴族をもてなすためというよりは、息子が久しぶりに帰省するから張り切って好物をたくさん作っちゃいましたという感じのラインナップだった。
落ち着きのない周囲の様子を怪訝に思い、兄のほうを見ると一人だけ随分と涼しい顔をしている。どうやら兄の差し金らしい。たぶんアルベルトのことは考慮せずに、俺だけが帰省した場合を想定してメニューを考えるようにとでも指示したんだろう。
「何か問題でも?」
「いえ……」
俺と目が合うと、白々しく質問してきた。わかってるくせに。
兄は元から実利的ではあったが家計を救うために、よりその性質を極めてしまった嫌いがある。故に現場も見ずに口先だけで政治的取引をする虚飾に塗れた貴族の社交というものをこの上なく嫌悪している。アルベルトのことも侯爵子息として厚く遇する気は毛ほどもないらしい。
しかも、今回は一日ではなくある程度の期間滞在する予定になっている。その間中、御子息に合わせた料理を出し続けて出費を重ねるのは避けたいという、あまりにも現実的な意図も感じる。この兄は仮にアルベルトが文句をつけたとしても、気に食わないならさっさと帰れと言ってしまえるような人なのだ。
一方、アルベルトは周りの不安やギルバートの思惑をよそに淡々と食事をしている。やはり完全に社会科見学とかファームステイとかに来ている気持ちになっているようだ。この状態が長期間持つかは不明だが、少なくともしばらくは兄の牽制の効果は現れそうになかった。
温かい団欒の場に相応しくない思惟が飛び交う中、魚料理が運ばれてきた。前世で言うところのムニエルのような料理だ。俺の好物である。
「これは?」
アルベルトが俺に訊く。周囲に一気に緊張が走った。
おそらく魚に乗ったハーブが見慣れないのだろう。テオドール家では北方出身である母の故郷で採れるハーブを使用することが多い。一般によく流通しているハーブよりも癖がなく、柑橘系のようなスッキリした風味なので俺もこちらを好んでいた。王都ではほぼ見かけないのでアルベルトは初めて見たに違いない。
「北の方で採れるハーブですよ。私は普通のよりもこちらの方が好きなんです」
俺は説明がてら、ちょっとフォローしておく。
「そうか、変わったかたちだな」
そう言って、アルベルトはハーブごと魚を口に運んだ。
確かに葉っぱというよりは草と言う感じなので初見だと少しインパクトがあるかもしれない。彼は気遣わしげにしているマルタに気付いたのか、
「美味しいです」
と簡潔に感想を述べた。
「お口に合ってよかったです」
彼女は安心したように返した。使用人たちも息を吐いている。両親にしろ使用人にしろ顔に出過ぎである。なぜこの環境でギルバートのような突然変異体が生まれたのか甚だ疑問であった。
長旅で疲れているだろうから、と婚約関係の話は明日することになったので、食事を終えた後はそのまま休むこととなった。
俺はアルベルトを客間へ案内する。本来なら使用人の仕事だろうが、侯爵子息の滞在に際して増員したり残業させたりということは特に考えていないらしく、人手が足りていなかった。どうせ暇なんだから自分の客ぐらい自分で面倒見ろということだろう。今回の件に関して歓待する気は微塵もないという兄の強い意志を再びひしひしと感じた。
「やはり明日以降は宿屋に宿泊された方がよいのでは?」
「私がいると困るか?」
困る。しかし、馬鹿正直に答えるわけにもいかない。
「おわかりいただけたと思うのですが、うちでは満足なおもてなしはできないかと」
「不満そうに見えたか?」
「そんなことは……ありませんが」
実際そんなことはなかった。どちらかというと不満そうなのはギルバートのほうである。
どう説得したものか考えているうちに部屋に着いてしまった。一旦、今日のところは諦めよう。俺も疲れているので、早く布団に入りたい。部屋の扉を開いて中へ促す。
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
挨拶を交わし、扉を閉めようとしたときアルベルトは俺の背後に視線をやった。何かあるのかと思って振り返ろうとしたら、アルベルトが扉に手をかけ俺の目の前に立ちふさがった。
危ない、と注意しようとした瞬間、彼はもう一方の手で俺の肩を掴み顔を近づけてきた。頬に唇が当たる直前で止まる。俺は何が起きているのかわからず直立不動になる。少しでも動いたらお互いの肌に触れそうだった。
俺が物言わぬ石像と化している間に彼はさっと体を離して部屋の中へ入ってしまった。扉が閉まる音を合図に、肺に溜まっていた空気が一気に漏れ出た。気付かぬうちに呼吸まで止まっていたらしい。
今何かしたか? されたわ。いや、された……のか?
俺の知らない異文化コミュニケーションか何かだったのか? 何にせよ、距離感が狂っているとしか思えない。戸惑いを隠せず扉の前で立ち竦んでいると、頭の中でベアトリクスが「これBLゲーなんで!」と喚いた。やかましいわ。
「セシル」
突然背後から声がかかって思わず飛び上がる。
「兄上……」
振り返るとギルバートが立っていた。先程のやりとりを見られただろうか。流石に気まずくなって俯く。彼の視線から隠すように、頬に手を当てる。いや、気まずくならなければいけないことなど何もしていないはずだ。たぶん。
「……自分の立場を見誤るなよ」
「いや、今のは、」
彼は忠告のようなことを言うと、俺の言い訳も聞かず去っていった。
アルベルトはギルバートがいるのに気付いてわざとあんなことをしたのか? 何のために? そういう関係だと信じさせるためだろうか。そんな小手先の演技が兄に通用するとは到底思えない。
それに。
扉が閉まる直前に見えた彼の瞳の揺らめきは、とてもじゃないが演技によって出力されたものには見えなかった。俺は動揺を振り切るように、その場を立ち去ることしかできなかった。
その日、俺は夢を見た。
少年がひとりぼっちで泣いている。顔を覆って泣いている。
大丈夫か、と近付くとこちらを見上げて呟いた。
――ぼくをみて。
応えようとしたら、目が覚めた。
涙に濡れた彼の瞳が何色だったか、思い出そうとしたが記憶はさらさらと崩れていった。




