28 元聖女と祝杯
本日1回目の投降です。
戦争を終えた私たちは、ダリオスが手配してくれた馬車に揺られて帝都への帰路についていた。
怪我はしていない――というか治ったけれど、精神的に疲弊していたせいか、帰りは爆睡してしまった。
なので帰りの記憶はまったくない。
馬車が止まった衝撃で目が覚めた。乗った時と同じで、大通りの自宅から近い場所だ。
「送り届けていただき、感謝いたしますわ」
御者に礼を言い、私たちは馬車を降りた。
夜風が心地よい。
「帰ってきたな」
「ええ。長かったような、短かったような」
家に入り、魔導灯をつける。
いつもと変わらない薄暗い部屋だが、なんというか落ち着く。
だが、感傷に浸る前にやるべきことがあった。
私は私室に行き、姿見に映る自分を見た。
そこには、見るも無残な布切れをまとった女が映っていた。
「……はぁ」
改めて見ると、心が痛む。
だが、これは勝利の代償だ。これのおかげで勝ったといっても過言ではない。
あれだけの広範囲の治癒をするには、それなりの感情の昂りがないと難しいのだ。
それに、今回の働きで十分な報酬が得られることは確定している。
新しい服を買う楽しみができたと思えばいい。
「汗を流して、着替えますわ」
「だな。さっぱりしたいぜ」
私たちは順番に身を清め、さっぱりとした気分でリビングに戻った。
「さて、サリア様」
私は髪をタオルで拭きながら、ニヤリと笑った。
「祝杯といきませんか?」
「そうこなくちゃな。待ってたぜ」
意見は一致した。
私たちは夜の街へと繰り出した。
◆
向かった先は、もちろん私の行きつけであるバー《憩いの灯火》だ。
その扉を開けると、カランコロン、とカウベルが鳴る。
オルセンはいつものようにカウンターの内側でグラスを磨いている。
私たちに気づくと、その手を止めた。
「いらっしゃいませ……おや?」
オルセンが柔和な笑みを浮かべる。
「しばらく来なかったので、心配していましたよ」
「オルセン様、お久しぶりですわ。キンキンに冷えたエールをお願いします」
私はカウンター席に滑り込み、高らかに注文した。
「あたしもエールで」
「かしこまりました」
オルセンはすぐに黄金色の液体が満たされたジョッキを二つ、私たちの前に置いた。
私はジョッキを持つと、サリアのジョッキに軽くぶつける。
「乾杯!」
待ちきれずに、口をつけた。
「……んぐ、んぐ、んぐ……ぷはぁっ!」
一気に半分ほど飲み干し、行儀悪く息を吐く。
冷たい炭酸と麦の豊潤な香りが、乾いた喉を潤し、身体の隅々まで染み渡っていく。
「くー、やっぱりこれですわね!」
「うわ、行儀悪ぃな。仮にも元聖女だろうが」
「これがエールの飲み方の作法ですわ」
そう答えると、サリアは苦笑した。
そして、オルセンに向き直る。
「私も来たかったのですけれど……ちょっと帝国を救わないといけなかったのです」
冗談めかして言うと、オルセンは目を細めた。
「それはそれは。大仕事を成し遂げた後の祝杯というわけですね」
「ええ。サリア様もどうぞ」
「おう」
サリアもジョッキを傾ける。
「ん……美味いな。つーか、あんたはもっと味わえよ」
私がペースを落とさずに残り半分を飲み進めるのを見て、サリアが横から呆れた声を出したが、私は無視した。
あっという間にジョッキは空になった。
「そちらはもうよろしいのですか?」
「ええ。後のことはダリオス様たち騎士団と教会に任せます。オルセン様、一番高いウイスキーをお願いしますわ」
教会と騎士団から結構な額の報酬をもらえるので、ちょっとした小金持ちである。
これで、失ったバトルドレスの代わり――いや、それ以上の特注品を買うことだってできるだろう。
だが、今は何よりも、久しぶりの酒精に溺れたい気分だった。
オルセンが恭しくボトルを取り出し、グラスに琥珀色の液体を注ぐ。
芳醇な香りが漂い、うっとりしてしまう。
ふと自宅でウイスキーに浸けている薬草のことを思い出した。試飲しようと思っては、事件に巻き込まれ、後手後手にしていた。
もう、いい加減成分が抽出しきっているだろう。
明日にでも試飲してみよう。
「サリア様もウイスキー、どうですか?」
「いや、あたしはエールでいい。そんな強いの、いきなり飲めねぇよ」
サリアは苦笑して断った。
彼女は私のグラスを見て、心配そうに眉を寄せた。
「つーか、そんなに飲んで大丈夫かよ。疲れてるんだろ?」
「大丈夫ですわ。帰りの馬車ではぐっすりでしたので」
「それについてはあたしも同じか」
サリアが笑いを漏らす。
私たちが話し始めたので、気を利かせたオルセンはそっと距離を取り、他の客の対応へと移っていった。
私はウイスキーをちびちびと舐めるように飲みながら、今日の戦争のことを思い返した。
勝てて良かった。
私の服は犠牲になったが、騎士たちは誰も死ななかった。
それは誇るべき成果だ。
しかし、私一人で勝てただろうか?
自問する。
答えは否だ。
あの戦場で、私は無防備だった。
【範囲治癒】と【範囲回復】を超広範囲に展開し、維持し続ける間、私は身動き一つ取れなくなる。
もしも魔族の別働隊が突っ込んできたら、サリアがいなければ、私は魔法を中断せざるを得なかった。
そうなれば、前線の騎士たちは支えを失い、崩壊していたかもしれない。
サリアの援護があったからこそ、私は魔法に集中できたのだ。
もちろん、私には自動発動する治癒魔法がある。斬られようが焼かれようが、死ぬことはそうそうない。
けれど、痛いものは痛い。
「……サリア様」
私はグラスを置き、彼女を呼んだ。
「あ? なんだよ、あらたまって」
サリアがエールの泡を髭のように残したまま、怪訝な顔をする。
「今日はありがとうございました。おかげで、無事に帝都に帰還することができました」
私は素直に頭を下げた。
サリアは少し驚いたように目を見開き、それから照れくさそうに頬をかいた。
「それを言うのはあたしの方だろ。フィアナのあの異常な治癒魔法がなけりゃ、騎士団もろとも死んでただろうぜ」
異常というのは……まぁ、誉め言葉として取っておこう。
彼女はぶっきらぼうに言うが、その声には実感がこもっていた。
互いに礼を言い合う、不思議な時間。
だが、悪い気分ではない。
私は少し躊躇してから、以前から考えていたことを口にした。
「サリア様、これからも一緒に探索者をしてもらえますか?」
自分が普通の治癒師でないことは理解している。
サリアが私の言動にちょいちょい引いていることも知っている。
それでも、彼女とならやっていける気がした。
彼女は「聖女」扱いせずに、一人の「フィアナ」として接してくれた。
彼女の家に居候させてくれたし、私のわがままな実験にも付き合ってくれた。
私にとってサリアは大事な友達だ。
戦う力を持たない私にとって、彼女の存在は心強く、そして何より一緒にいて楽しい。
だから、ほんの少しだけ勇気を出して聞いてみたのだ。
サリアはジョッキを置き、ニヤリと笑った。
「はっ、今さらだろ」
彼女は当然のことのように言った。
「あたしも怪我をすることが多いからな。フィアナがいたら助かる。それに、あんたの作る変な薬も、効き目だけは確かだしな」
「変な薬とは失礼ですわ。特製薬と言ってください」
いまだに睡眠薬のことを根に持っているのか。
ずっと言われ続けるんだろうな。
「はいはい。ま、あたしが前衛で戦って、あんたが後ろで支える。悪くない組み合わせだ」
サリアが手を差し出してくる。
私はその手をしっかりと握り返した。
あらためて、パーティ続行の瞬間だ。
そして、私たちはグラスとジョッキを軽くぶつけ合わせた。乾いた音が、心地よく店内に響く。
「それにしても、サリア様」
「ん?」
「サリア様の怪我が多いのは、痴女みたいな格好をするからではありませんか?」
サリアがげんなりとした顔をする。
「言ってろ! あれが一番動きやすいんだよ!」
二人で笑い合う。
こうして酒を飲み、くだらない話ができる日常が戻ってきたことが、何よりも嬉しかった。
そんな弛緩した空気の中、カランコロンとカウベルの音が鳴り響いた。
次回投稿は10分後の予定です。




