12
本邸の廊下を歩いていると、いきなり背後から足を引っかけられた。
「――っ!」
反射的に手をついたが、膝と手のひらに鈍い痛みが走る。
振り返ると、使用人の少年がにやりと笑っていた。
「お前みたいな妾の子が、廊下を堂々と歩くんじゃねぇよ」
蔑むような目。
ケイは唇を噛みしめた。
(またか)
この屋敷にいる限り、正妻セオドラの影からは逃れられない。
母ポーラは「あの方も可哀想な人なのよ」と口にし、ケイに耐え忍ぶことを教えた。
だが、子供のケイにとって、それはあまりにも辛いものだった。
「……大丈夫なのだ?」
ケイの肩に乗っていたピアディが、心配そうに顔を覗き込んでくる。
ピンク色のウーパールーパー姿のピアディは、ぺちぺちと小さな手でケイの顔を撫でた。
(良かった。転んだときピアディを落とさず済んでたか)
「ああ、平気」
強がりながら立ち上がると、今度は後ろからバケツの水が飛んできた。
「うわっ!」
冷たい水が頭からかぶさり、全身がずぶ濡れになる。
振り返ると、先ほどの少年とその仲間たちが笑っていた。
「ぷぷっ、妾の子にはお似合いだな!」
「汚い血筋のくせに、伯爵家を歩き回るからこうなるんだ」
ケイは拳を握りしめた。
悔しさと情けなさで、目の奥が熱くなる。
「ムキーッ! なんぞあれは!? 使用人ごときが伯爵家の息子になんたる……なんたる……っ!」
「駄目だピアディ! お前が出ていくと、矛先がお前に向かってしまう!」
憤慨してピンクのボディを真っ赤に染めたピアディが、使用人たちに突進しようとする。
だが慌ててケイはピアディを掴んで引き留めた。
(ばか、お前ではよちよち歩いてるうちに潰されるのが落ちだ!)
「ぐぬぬぬ……ケイ、そのままでは風邪を引く。着替えて、お母上に訴えに行こうぞ!」
全身熱々に怒っているピアディに、ケイは首を横に振った。
「……駄目だ。お母様が、悲しむ」
ケイの心には、悲しそうに自分を見つめる母の顔が浮かんでいた。
『ケイ。ごめんなさい』
何度も何度も、あの悲しい目を見てきた。
あの母の緑の目が、ケイの胸を締めつける。
いつも母ポーラは、こんなときもケイを心配して守ってくれていた。
ケイが被害を母に訴えるたびに。
けれど、回帰前はそうすると嫌がらせが母に及んで、そして最終的には伯爵家をあの正妻に追い出されて……
「……くっ」
堪えきれず、ケイは走り出した。
濡れた服のまま庭の隅へと駆け込み、誰にも見られない場所で膝を抱えた。
ピアディがよちよちと近づいてきて、ケイの膝の上にちょこんと乗る。
ぺちぺち、と小さな手で膝小僧を叩いてきた。
「ケイ、そんなに我慢しなくていいのだ」
その優しい声に、ケイは唇を噛みしめた。
「でも、お母様が悲しむんだ。俺が何か言い返したら、お母様がもっと辛くなる」
「それは違うのだ」
ピアディが真剣な目でケイを見上げた。
「ケイよ、受け身のままでは大切な人たちを悲しませるだけなのだ。立ち向かえ!」
「……立ち向かう……?」
「そうなのだ! このまま黙っていたら、奴らはもっと酷いことをしてくるのだ!」
「酷いこと」
「バケツの水がトイレの水に変わったら超最悪なのだぞ!?」
「はは……そうだな……」
今はまだ、ただの水をかけられただけ。
何もせずにいたら、いずれ相手が調子に乗って汚水を引っ掛けてこないとも限らない。
ピアディの言葉の数々は、ケイの胸に刺さった。
「それに――」
ピアディの瞳がきらりと光る。
「お前は死にかけたとき、勇者の証たる金色の光を放っていた。間違いなく! 素質はあるのだ、やられっぱなしでいてはならぬのだ!」
「勇者の光、か。お前はそう言うが」
ピアディはそう言うが、回帰後のケイはまだ金色の光を見ていない。
「本当なのだ! 我はその光を見て、お前を助けようと決めたのだ!」
「ピアディ」
フッと笑って、言い募る小さなウパルパをぷにっと抱いた。
ケイはまず自室に戻って濡れた服を着替え、髪を乾かした。




