08. 基礎修練合宿(二日目 / 深夜)
(……いや、うるせぇじゃないし!)
目の前で横たわるアンブロジオを前に慌てていると、頭上から声が降ってきた。
エマ嬢だ。
「アルクセイさん、オーウェン様!」
崖から顔を覗かせるその表情は暗がりであまりよく見えなかったが、その声から、酷く慌てていて今にも泣き出してしまいそうなのがわかった。
いや、もしかしたら既に泣いているのかもしれない。
そう思ってしまうくらいに、彼女の声が震えていたのだ。
アンブロジオは短く嘆息を漏らすと、頭上にいるエマ嬢に向かって声を張り上げた。
「エマ嬢は?怪我はない?」
この男もまた、痛みを押し殺すような声だった。
「あ、ありませんわ!そちらもお怪我はありませんか!?」
アンブロジオはちらと私の頭のてっぺんから下まで視線を送ると、崖の上に視線を戻した。
「猿は大丈夫そう」
「おいこら」
この期に及んで、まだ言うか。
「私は足を怪我してしまったから、歩けそうにないんだ。悪いけれど、森を出て先生たちを呼んできてもらえる?目印にアーグスの蔦を地面に這わせたから、君なら分かるだろう?」
エマ嬢は大きく頷くと、身を翻した。
きっとすぐにアンブロジオの土魔法を見つけて、森の外を目指したのだろう。
相変わらず、見事なまでの二重人格だったが、横たわるアンブロジオの額には汗が滲んでいる。相当痛いのらしい。
「……どこ打ったの、見せて」
私も昔からよく怪我をしたし、幼なじみや年下の子どもたちもよく怪我をしては応急処置をしていたので、それなりに覚えはある。
アンブロジオはすごく嫌そうな顔をしてから、瞼を閉じた。
「やだ。お前が触ったら骨を折りそう」
「するわけないでしょ!?それとも本当に折ろうか?今のあんたになら簡単にできると思うけど!」
もちろん本気ではない。
けれど、この期に及んで憎まれ口を叩くアンブロジオに苛ついたのだ。
私の脅しに根負けしたのか、アンブロジオは軽く舌打ちをしてから、ぶっきらぼうに「右肩と右足首」と答えた。
私を抱えて側面から落ちたようだ。
「ごめん、見るよ」
出血をしていたら止血しないと、下手したら命に関わる。こんな奴でも公爵家で、私は何の後ろ盾もない一般人だ。こいつに何かあったら、きっと面倒臭いことになる。
「おいふざけんな、何するつもりだよ」
「応急処置だって言ってんの。大人しくして、本当に折るよ」
貴族のお坊ちゃんだから、人に脱がされるのは抵抗があるのだろうけれど、緊急時だ。知ったこっちゃない。
アンブロジオはごちゃごちゃと制止の声をあげたが、靴を脱がして足首を、制服のシャツを脱がして肩を確認した。出血はしていないようだ。
足首は持っていた手巾で、肩はアンブロジオの着ていたシャツで固定した。
(骨が折れていなければ良いけど……)
一通り終わると、横たわるアンブロジオの側で、両膝を抱えて座り込む。
「……バカじゃないの」
ため息混じりに言い捨てると、アンブロジオは金色の目を細めて私を睨みつけた。
「は?」
「何でアンブロジオまで落ちてんの。私なんて身体が丈夫なんだから、あんたがこんな目に遭う必要ないでしょ」
実際そうだ。
ドラスニール族は身体が丈夫で、訓練の一環や儀式でこの崖より高い所からわざと突き落とされることもあった。だから迷わず落ちたのだ。
アンブロジオだって普段から私とやり合っているのだ。
私の身体が丈夫なことくらい、知っているはずだ。
どうせ私が気に入らないのだろうから見捨てれば良いのに。
隣の男は呆れたように、息を吐いた。
「なあ、俺の身になってもらっていい?助けた相手に、何で文句言われなきゃいけねぇの?」
「ぐ……」
一理ある。
ただし、私の質問に答えないので腹が立つ。
口籠る私に、アンブロジオは続ける。
「まずは『ありがとうございます』じゃねぇの?」
「……だって、私が一人で落ちとけば、あんたは今頃、エマ嬢と一緒に森を出れて、先生たちに後のことを任せられたじゃん。あんただって、怪我しなくて済んだのに」
私の返答に、アンブロジオはさらに呆れたようだった。
「森の入り口からここまで、道は複雑じゃなかったし、エマ嬢一人で帰れるって判断したんだよ。彼女が無事に着地できるように魔法を使ったから、自分に気を回せなかった。それは俺のミスだし、力不足。……けれど、お前が俺に感謝をしないのは別の話だろ」
「いや、でもさぁ……」
「そもそもな?俺だって、崖から落ちる奴を見捨てる程、人間捨ててねぇんだよ」
「それは嘘じゃん」
「あ?」
思わず即答すると、アンブロジオは明らかに不機嫌になり、怪我をしていない方の腕で私の脛を殴った。
痛い。こいつ、元気じゃん。
(……顔色も悪くないし。中身は元気そうだから、しばらくは先生たちの助けが来るのを待てるかな)
その時だった。
森の奥の奥、ヒビ割れしたような独特な獣の声が遠くから聞こえた。
さっきまでの軽口も忘れてしまうような緊張が、背筋を走る。
声の方向に全神経を集中させる。
「魔獣だ」
間違いない。
一族で大人たちの傭兵の仕事によく付いていった時に、何度も聞いた鳴き声だ。
普通の動物とは違う。
あいつらは力任せに大きく鳴くので、喉が潰れてひしゃげて、音割れしたような声を出すのだ。
「は?」
アンブロジオが眉を顰めた。
それもそうだ。
メニュエル先生の話だと、魔獣がいるのはもっと奥のはずだ。アンブロジオは半身を起こそうとしたが、打った場所が痛むのか小さく呻いた。
(どうしよっかな……)
私一人だったら軽傷で済むかもしれないけれど、既に動けないアンブロジオがいる。こいつを庇いながらっていうのは、現実的ではない。
先生たちの到着を気長に待つのは、得策では無いみたいだった。私は足元で横になっている男を半眼で見下ろす。
「……アンブロジオさぁ、誰かに抱っこされたことってある?」
「……おい、猿。何考えてんだよ」
分かりやすくアンブロジオの顔が引きつる。
「……まあ、身を挺して戦闘民族の前で倒れるとこうなるって理解して貰えると助かるんだけど、どうかな」
「どうかなじゃねぇよ、頭沸いてんのか」
「……もう沸いてるってことでいいよ、お姫様」
これ以上、無駄な抵抗は冗談抜きで無駄なので、アンブロジオの返答を一切無視して、私はアンブロジオの身体を抱き寄せる。
負担が少なく済むように、背中と膝の後ろに腕を回した。
背中に背負うことも考えたけれど、肩が動かせないとなるとしがみついて貰えないので、心許ないからだ。
ドラスニール族最弱と言えど、腕力はある。幸い、この男とは然程、身長差が無いので難無く抱き上げることができた。
「うわ、軽」
うっかり口から正直な感想が出てしまった。
アンブロジオは私より少し背が小さいけれど男の子だからもう少しずっしり来るかと思った。
思いの外、簡単に抱き上げられてしまった。
腕の中のアンブロジオが目を見開く。額に青筋が浮かんでいた。
「軽くねぇわ」
「軽いんだって。筋肉ついてる?」
ついでなので、日頃の恨みも晴らしておく。
アンブロジオは怒っている。それも物凄く。金色の睫毛に縁取られた目で、物凄く私を睨んでいる。こうなると貴族のカケラも感じない。暴言も猿からクソ女に昇格していた。
何を言われたとしても、この男の言い分を聞いてあげられる状況ではなかった。さっきより魔獣の声が近付いていたからだ。
「もう諦めて目閉じてなよ。着いたら起こすから」
「寝れるか」
「じゃあ、空を見上げて星の数でも数えていて。あ、歯を食いしばってよ。舌噛むから」
「お前、何するつもりだ!」
「あんたが言う、猿らしくするの」
地面を蹴り上げ、近くの背の高い木に駆け上り、枝伝いに木から木へと飛び移り、ついには崖の上に降り立つことができた。
「よっ」
無事に着地。
腕の中のアンブロジオは、ギロリと私を睨んだ。
(うわ、ガチギレじゃん)
なるべく目を合わせないように、私は森道を駆け抜けた。
森を抜けると、そこには先生たちがいた。これから森に捜索に入ろうという所だったらしい。
先生たちはお姫様抱っこされたアンブロジオと私を見ると驚いた。ユルゲンス先生がすぐに私の前に出てアンブロジオを受け取ってくれた。
傍らでは、エマ嬢が「オーウェンさまぁ!」とぐすぐす泣きながら謝っていたので、アンブロジオをこうも情けない姿にしてしまった私は、何だかとても申し訳ない気持ちになった。
「事情はあとで聞く」
アンブロジオを受け取ったユルゲンス先生は、酷く怒った顔をしていた。当然のことだ。
私は素直に「分かりました」と視線を地面に落とした。
♢
先生たちからの聞き取りは、合宿が終わり校舎に戻ってから始まった。
両親に知られたくないであろうエマ嬢に代わり、もし先生にバレたら、自分が事の発端で、森の中にアンブロジオへの嫌がらせに使えそうな薬草をこっそり探しに行った……など、適当な言い訳を準備していた。
私なら、親に連絡をしたくても、今現在ドラスニール族がどこにいるかなんて私にも分からない。
連絡手段だって一方通行。
そんな家庭環境の私が首謀者ということにした方が、一番都合が良いと考えていたからだ。
だけれど、エマ嬢は私が言い訳をする前に、全てを先生に正直に伝えた。
自分の行動のせいでスザンナ嬢とベラ嬢を悩ませ、想い人であるアンブロジオが崖から落ちたことは、彼女に重く伸し掛かったようだ。
先生たちはエマ嬢を叱責した後、スザンナ嬢とベラ嬢も呼び出し、私とアンブロジオの四人をまとめてこっぴどく叱り、全員に反省文を書くよう命じたのだった。
今回のことはエマ嬢の家にも、やはり話は行ってしまったらしい。
反省文の用紙を両手に持ち、エマ嬢は軽く目を伏せた。
「そういえば、ちゃんと嫌だって、私ったら両親に伝えていなかったの」
どうやら、両親へ宛てた手紙に、どれだけ婚約が嫌なのかを綴ったのだそうだ。
返ってきた手紙には、婚約予定の男性はエマ嬢にとって、小さい頃によく遊んでくれたお兄さんのような人物だったので、両親にとったら「良かれと思って」の婚約話だった事が綴られていた。
彼女の婚約はとりあえず保留となり、エマ嬢が卒業した時に改めて再考されることとなったと、エマは申し訳なさそうに話してくれた。
『あの時、妖精と取引をしたのはいいものの、妖精に求められたものが見つからなくて、途方に暮れていましたの。真っ暗な森に一人で、妖精たちがわたくしを見て笑う声が聞こえて……。何て馬鹿なことをしたんだろうって後悔してた時に、あなたが声をかけてくれて、本当に助かりましたわ』
エマ嬢は私の手をぎゅっと握り、大きな目で私をしっかりと見つめた。
「巻き込んでしまって、本当にごめんなさい」
彼女は最後に頭を下げて謝ってくれた。
……そんなことを思い出しながら、私は長方形の紙にペン先を浮かせ、遊ばせていた。
机の上の紙は見事に真っ白である。
反省文と言えど、正直、何も反省していなかったからだ。
きっと似たようなことがあれば、同じことをまたすると思う。
さて、何を反省するべきか。腕を組む。
(……あ、そう言えば)
顔を上げて、隣にいるアンブロジオに視線をやる。
アンブロジオは未だ負傷した箇所が痛むのか、右肩と右足を放り投げて、どうやら両利きのようで左手で紙にペンを走らせていた。器用なやつだ。
「ねぇ、あのさ」
「なに」
身を乗り出して私に、隣の男は相変わらず不機嫌そうに振り向いた。
「あの時、助けてくれてありがとう、オーウェン」
あの時。
私なら、崖くらい簡単に駆け上がれる。
でも、でもさあ。
……もしも崖に一人で落ちて怪我をしていたら。
たった一人で魔獣の声を聞きながら助けを待っていたら。
……こいつが居たから何とかなった、のかもしれない。
そんなことを一夜明けて想像したのだ。
隣の男は半眼で私のことを見返すと、何についての礼か理解して、小さく舌打ちをした。
「じゃあ次は謝罪な?嫌がる俺を無視して飛び回ったことを謝れ」
「いや、怪我したあんたを運んだんだから、今度はそっちが感謝する番でしょ?」
「地味に痛かった」
「あ〜……心が?軽いって言っちゃったもんね?」
その後、ギャアギャアと再び喧嘩になった所を、様子を見にきたユルゲンス先生によってこっぴどく叱られたのだった。
オーウェン・アンブロジオの屈辱でした。
合宿編終わりです。




