07. 基礎修練合宿(二日目 / 夜)
二泊三日の合宿も、明日になれば終わる。
明日の今頃は、しっかりとした壁と屋根に囲まれた空間で暖かいベッドで眠れるので、私も含めて他の生徒も気持ちが和らいでいた。
同じ天幕のグループでは、お風呂に入ったら、今夜は寝ないでたくさん話をしようよ、なんて話をしていた。天幕設置の件もあってか、私もすっかり打ち解けていて楽しい気分で、ロレンティアとお風呂に行こうとした途中だった。
「ねぇ、ベラ……!どうしよう……!?」
「落ち着いて、まずは先生に……」
「でもそんなことしたらエマが……」
スザンナ嬢とベラ嬢。
子爵家の令嬢で、よくエマと一緒にいる二人だ。
何やら慌てている様子だった。
「スザンナ嬢、ベラ嬢。どうしたの?」
声をかけると二人が振り向いた。
今にも泣きそうだった。
「ちょ、ちょっと、アルクセイ……!」
「え?」
ロレンティアに服の裾を引っ張られて、思わず振り返る。
彼女は何か言葉を選んでいる様子だったけれど、静かに首を横に振った。
視線を元に戻すと、当の二人も、まさか話しかけられるとは思っていなかった様子で困惑した表情を浮かべていた。
思い返すと彼女達は、私とオーウェンが喧嘩を始めると、必ずと言っていいほど割って入ってはオーウェンの肩を持ち、頭ごなしに私を批難していた。
あまり良い関係ではない。
けれど、それだけだ。
他に何か嫌なことをされた覚えはないし、そもそも彼女たちは彼女たちの常識で私に接してきただけだ。
スザンナ嬢とベラ嬢は「この子なら……」と小声でひそひそと何やら相談を始めた。
隣のロレンティアが僅かに眉間に皺を寄せた。
二人は意を決したように表情を硬め、「あの……」とロレンティアに視線を向けた。
その視線の意味を、私は何となく理解した。
「ロレンティア、先に行ってて。大丈夫だから」
「……あなたね」
私がどうするか、ロレンティアはもう分かってしまったようで、呆れた様子で私の目をじっと見つめた。そして、諦めたように静かに息を吐くと、私の手を握った。
「お願いだから危ないことはしないでね」
「うん、大丈夫だよ」
ロレンティアは念を押すような目で彼女たちに視線を送ると、私の手を離して先に行ってくれた。
彼女の後ろ姿が見えなくなると、スザンナ嬢が深刻そうな顔で口を開いた。
「実は……エマが森へ行ってしまったの」
「え、こんな夜に?」
その言葉に、私は眉根を寄せた。
「彼女、火属性だから……灯りは魔法で何とかできるからって言って……」
そんな。
灯りを何とかできても、一人で夜の森なんて危険だ。
そんな無謀なことをするような子には見えなかったのに。
「先生に言わないと!」
「だ、だめ!」
それまで黙っていたベラ嬢が声を張り上げた。その目には涙が溜まっていて、私は思わずひるんでしまった。
「もし、このことを先生に知られたら、彼女、家に連れ戻されて一回りも年上の伯爵家の子息と婚約させられてしまうの……!エマはそれが嫌で、ご両親に行儀見習いをしたいと言って、何とかこの学校に入ったのよ……」
つまり政略結婚なのだろう。
結婚相手が一回りも年上となると、確かに嫌かもしれない。
まだ自分は子どもなのに相手は大人。
私だったら、きっと怖い。
スザンナ嬢は、ひくひくと泣き出すベラの肩を抱いた。
「エマは……ほら、オーウェン様は公爵家の方でしょう?彼が振り向いてくれたら、ご両親はきっと喜んで、その方との婚約を破棄してくれるって考えていたの」
「……それで妖精と取引をするために森へ?」
「……そう。私たちも危ないし、そんなやり方はよくないって止めたんだけれど、どうしても嫌なのって、飛び出していってしまったの」
ベラ嬢は涙をハンカチで何とか拭いながら、絞り出すような声を出した。
「分かった。エマ嬢を探しに行ってくるよ」
お風呂に行く前で良かった、今からこっそり森に行けば追いつくかなあと抜け出す算段を考えていると、目の前の二人は呆気に取られた顔でこちらを見ていた。
「……え?」
「えっ?」
彼女たちの反応に、思わず鸚鵡返しをしてしまった。
「エマ嬢を追いかけて欲しいから、ロレンティアを抜きにして私に話したんじゃないの?」
「え、えぇ、そうよ……?そうだけれど……。私たちはあなたに断られると思っていたし、話が早すぎるから……」
「こっちとしては、そんな話を聞いちゃったら無視できないでしょ」
そりゃあ先生に報告をする方法もあるけれど、それで彼女が望まない婚約の為に学校を離れてしまったり、万が一にも怪我をしてしまったら目覚めが悪い。
つまり、自分の行動で誰かが不幸な目に合うのが嫌なだけ、自分のためなのだ。
いくらエマ嬢が私に厳しいと言っても、彼女のことが憎いほど嫌いなわけでもない。
昨日だって天幕を設置している際に、休むように勧めた私の言葉に、彼女は戸惑いながらも笑ってお礼を言った。
その顔が脳裏によぎる。
(どうせ断った所で、気になって眠れなくなっちゃうんだし)
頭が冴えているのに、布団を被ってじっとしているのは何とも性に合わない。
(それにこう言うのは、私みたいなのが行くべきでしょ)
ドラスニール族だから、魔法で明かりを灯さずとも夜目が効くし、耳だっていい。きっとすぐにエマ嬢のことを見つけられる。
大丈夫、サッと行ってサッと帰ってくるだけだ。
「そうだなぁ……今、月が傾いてるでしょ?真上になっても戻ってこなかったら、その時は先生に本当のことを話して」
まさか了承して貰えるとは思っていなかった二人は、安心した様子で私の言葉を聞いていたが、途端、私から視線を少しずらすと、そこで一気に青ざめた。その様子に何事かと眉根を寄せると、背後から声が飛んできた。
「それ、俺も行く」
思いの外、近い場所から聞こえた声に、私は驚いて反射的に振り向いた。
振り向いた先にいた人物、そのうちの一人の顔を見た瞬間、私は自分でもわかるくらい酷い顔になった。
アンブロジオだ。
その隣にはジルがいる。
二人ともお風呂上がりらしく、髪にまだ湿り気が残っていた。
「下品な反応、どうもありがとう」
「うっさい!」
馬鹿にしたように鼻で笑いながら、アンブロジオは私を一瞥した。
「じゃあ僕は、男子のテントに先生が見周りに来たら、双子に誤魔化すように伝えておくよ」
そういえば、ジルはその体質から寮の部屋もテントも一人だったのを思い出した。
「女子のテントは……二人ともお願いできるかい?」
安心させるような声色でジルがスザンナ嬢とベラ嬢へ話しかけると、彼女達はこくこくと頷いた。
「ちょっと!別に私一人で大丈夫なんだけど!」
いつの間にかアンブロジオが一緒に来るのが決定事項になっている。
私は慌てて声を挙げると、金髪男は呆れたようにため息を一つ吐いた。
その仕草だけでも癪にさわる。
「俺が関わってんだから、俺にも責任があんだろ」
「ぐ……」
何とか言い返そうとしたが、確かにそうだ。
というより、そもそもこいつが元凶のような気がする。
「何もないって保障は無いからね。保険だと思って納得してくれる?」
「……わかった」
ジルにそう言われてしまっては、頷くしかない。
ジルは満足そうに笑った。
(……エマ嬢も、私より意中の相手が助けに来てくれたとなったら嬉しいもんね)
何かそういう展開って、ロマンス小説にありそうな気がする。
……ソナからの受け売りで、私は読んだことはないけど。
「良いけどさぁ……。足引っ張んないでよ」
「お前が言うな」
不機嫌なアンブロジオは、容赦無く私の後頭部を叩いたのだった。
♢
空を見上げる。
木々の隙間から、少し欠けた月が見える。
真上に行くまではまだ時間があるけれど、エマ嬢のことを考えると、早く見つけてあげないといけない。
隣を歩くアンブロジオは、火魔法で枝に灯った明かりを頼りに、森道を注意深く見ていた。
(足跡はこいつに任せて、私は音に集中しよ)
メニュエル先生は魔獣がいる場所はもっと奥の方だと言っていたけれど、用心するに越したことはない。
それにしても、こいつと二人きりで話をしたことは、思い出せば無かったので、何を話していいものか分からない。ただ暗闇の静寂と、自分たちの足音、そして遠くで妖精の微かな蠢きが聞こえるだけなので、何とも気まずい。
「お前ってさ」
そんな静寂を崩したのは、意外にもアンブロジオだった。
「何」
「お人好しすぎ」
「はぁ?」
一体何を言い出すかと思えば。
私は隣を歩くアンブロジオに振り向いた。その表情は明かりで薄ぼんやりと映し出されていて、よく分からなかった。
「別に仲が良いわけじゃないだろ。見る限り」
誰のことかは、すぐに分かった。
「まあ……そうだね?」
「なのに頼まれもしないのに、自分から言い出してさ。お前みたいなのって、そのうちたくさん損を重ねて野垂れ死にそう」
「嫌味?」
「忠告」
私は視線を前に戻した。
「まぁ……傍目からは野垂れ死にだと思われても、後悔が無いなら本望かな」
「なにそれ」
アンブロジオが振り向いた。
眉を顰めている。
破滅願望に思われたのかもしれない。私はそんな人間ではないし、そう思われたくないので慌てた。
「いや、死ぬつもりは無いよ?物の例え!」
そりゃ、自分が選択し続けた結果が野垂れ死にならば、もっと賢く生きれば良かったのにと評価されるかもしれない。
でも、誰かを見捨てて後悔しながら生きるより、ずっと良い。
選択することは自由だ。そしてどんな自由にも責任がある。
それは自由に生きる一族の家訓として、子どもの頃から言い聞かされてきた考えだ。
「……あっそ」
アンブロジオは私の答えに良いとも悪いとも言わずに、歩みを進めた。
どうせこいつのことだ、面倒臭くなって会話をやめたのかもしれない。
(でも、それを言うなら私と一緒にいる時点で、こいつも同じようなものじゃない?)
言ったところでまた面倒な返しが待ってるだけなので、口をつぐんだ。
その時、遠くの方から小さな何かが聞こえた。
『——っ』
それは本当に微かな声だったけれど、確かにエマ嬢の声だった。
思わず立ち止まると、隣を歩いていたアンブロジオも同じタイミングで立ち止まった。顔を上げると、そこは日没前に見た看板の前だった。
「……向こうに折れた小枝がある」
アンブロジオは手に持った明かりを掲げて区画の向こう側を照らすと、折れた小枝の他にも、私と同じくらいのサイズの足跡もくっきりと浮かび上がった。
「……ついさっき、声も聞こえた。この向こう側」
明かりの奥は、ただ暗闇が広がっている。道も分からない。そう思うと、エマ嬢は相当な決意と勇気でこの境界線を踏み越えたのだろう。
アンブロジオは「あー……」と、嫌な予感が当たったとでも思っているのか、小さく声を漏らすと、土魔法の詠唱を唱えた。
すると、親指くらいの太さの蔦が地面から生えて、蛇のように蠢きはじめた。
「何それ」
「目印。帰りはこれを辿れば迷わずに行けるだろ」
アンブロジオが一歩前に進むと、蔦もその跡を追いかけるように進んだ。
「……私もこのくらいできるし」
「はいはい、嫉妬させてスミマセン」
「してない!」
私の否定など聞く気もない様子で、アンブロジオは境界線を踏み越えた。
その背中を睨みつけながら、私も境界線を越える。
——嫉妬?するわけがない。やろうと思えばできるし。
ちょっと練習するかもだけど。だからそんな嫉妬なんてしてない。してないったらしてない。
蔦が迷うことなく、にょろにょろとアンブロジオの跡をくっついていくのを横目にしながら、歩を進めた。
途中、分かれ道もあったが、声のした方角に向かって歩を進めて行った。どうかなるべく動かずにいて欲しい。そんな気持ちでいると、開けた場所に出る。ふっと土の匂いが鼻を掠めた。今まで木々の香りが立ち込めていたのに。
でも、そんな違和感も一瞬で吹き飛んだ。
探していたエマ嬢の姿が、そこにあったのだ。
崖の手前にちょこんと座り込み、崖の下を覗き込んでいる。案外、すぐに見つかって良かった。
「エマ嬢……!」
傍目からは怪我をしていないように見える。その安堵から、彼女に近付いた。
エマ嬢は私の声に驚いて、細い肩を跳ねさせ、こちらに振り向いた。
「あなた……!そ、それにオーウェン様も……!どうして……!?」
途端に、エマ嬢の顔がわっと赤くなる。
「君の友人が心配してたんだよ、帰ろう。今ならきっと先生にもバレていない」
アンブロジオが、先ほどまでの私との会話からは信じられないほどの優しい声色で語りかけた。エマ嬢は、まさかアンブロジオが来るとは思っていなかったのか、汗で張り付いた前髪を慌てて整えながら、わたわたと立ち上がり……バランスを崩した。
ぐらりと身体が斜めに傾く。
「危ない……!」
気づいた時には地面を蹴って、飛び出していた。
(間に合え!)
そう願いながら、崖から落ちていく彼女の腕を目掛けて、目一杯に腕を伸ばして掴んだ。
その衝撃で、肩にぐっと負荷がかかる。
何とか間に合った。
「良かったぁ……」
はぁと息を吐いて、胸を撫でおろす。
地面に伏せて、崖の下を見る。
腕を掴まれ宙ぶらりんのエマ嬢、その下は思ったより高さはない。
だけど、二階建ての建物相当の高さだった。
死ぬことはないだろうけど、もしエマ嬢が落ちたら自力で這い上がって来ることは難しいだろう。
「さすが猿じゃん、すばしっこい」
「あんたねぇ……!」
軽口を叩きながら悠々と歩いてきたアンブロジオ。
私が飛び出す前、微かに隣で息を飲む音がした。こいつも一応は慌てたのだろう。
そして、私が飛び出して間に合ったと見るや、この態度。
……いや、もう考えても仕方ない。エマ嬢を引き上げよう。
「とにかく、引き上げるから安心して」
何とか落ち着いた声色でエマ嬢に呼びかけると、彼女は恐怖で声も出せないのか、無言で小さくうなづいた。
ぐ、と腕に力を入れた瞬間、何かが低く唸る音が辺りに響いた。
(……この音、聞いたことがある)
一族で山道を歩いた時に聞いた音に似ている。
確かあの時、父さんはすぐに山を降りるように指揮をとった。
必死に思い出す。あれは……そうだ。
(……地鳴り!)
あの時は山を下りてから、父さんはこの音は異変の合図なのだと教えてくれた。
それに、一昨日は雨も降っていた。
(……やばい!)
崖が崩れる。
そう気づいた瞬間には、既に私の身体の下にあった地面は割れて崩れ始めていた。
(エマ嬢を助けないと……!)
アンブロジオがエマ嬢を受け取ってくれると願い、彼女を掴んでいた腕をぐるんと振り抜き、崖の上にいるであろうあの男へと投げた。
——普段、あんなに威張っているんだから、女の子の一人くらいちゃんと受け取ってよ!
そう気持ちを込めて視線を送ろうとしたが、そこにはアンブロジオの姿はおらず、代わりにふわりと風魔法で浮かぶエマ嬢がそこにいた。
(待って、あいつ、どこいった?)
状況を理解する前に、視界の端から黒い影が迫った。
私の身体は強い力で引き寄せられ、抱き竦められる。
肺が押し潰されて、息が詰まった。
落ちていく身体。頬を掠める風。鼻を掠めるあの匂い。
それはいつも座学の授業中、隣で香ってくる嗅ぎ慣れてしまった匂いだった。
どすん。
鈍くて重い音を立てて、厚い苔で覆われた柔らかい地面に転がる。
衝撃はあったが、痛みはほとんどなかった。
私はすぐに上半身を起こして、側で呻き声をあげている男に声を上げた。
「……あんた何してんの!!??」
怒鳴りつけた自分の声は、思っていたより震えていた。
アンブロジオは眉根にシワを寄せて、私を見上げながら、くぐもった声で、低く、短く答えた。
「うるせぇ」




