18. 二段目と四段目
「旅に出たい」
「今日で四回目」
「だってぇ……」
メーベルに嗜められ、私は談話室のテーブルに突っ伏した。
テーブルに散らばるのは、神話学に官房学、そしてこの国の加護分布図だ。
(来年は何してんだろ……。護政官になってればいいけど)
この学園に来て、早六年。
最終学年となったが、今までで一番難しいと感じたのが、この加護分布図だ。おかげで現実逃避が捗って仕方がない。
これは魔導具の一種で、各地方における土地に与えられた神様の加護の状態が、リアルタイムで確認できる。
このバランスが崩れると、大雨が降ったり地震が起こったりと、災害が起こってしまうのだ。
私は横目で加護分布図をじとりと睨む。
五年生の終わりになると、皆それぞれ進路を定めた。
ロレンティアは実家に戻り次期当主として研鑽を積み、
ソナは魔導具師として、
オルヴァッキは鍛冶師として、四年生の評定会でそれぞれ師となる人を見つけて、弟子入りが決まっている。
ジルは枢機会に入る為、有力者に推薦状を貰う為にあちこちに手紙を書いていて、双子は魔法階位を六階位にする為に切羽詰めている。
そして私はと言うと、最後まで悩みに悩んで、進路を王庁の護政官に決めた。
護政官になるには、魔法階位はもちろん、官房学や語学力、コミュニケーション能力……一定の能力が無いと認められないらしい。
成績をずっと維持していたのもあり、ユルゲンス先生から推薦状を貰えたけれど、さすがに護政官への道は厳しい。
推薦状があっても試験や面接もあり、その門は狭い。
メーベルも同じく護政官を進路として定めていたらしく、六年生になってからは二人でよく試験勉強をするようになった。
「アルクセイ、ここ……」
「わりぃ、ここが……」
談話室で勉強をしていれば、決まって双子が質問に来る。
「あー……ここは……」
いつもの癖で答えようと覗き込むと、すっとメーベルの手が塞いだ。
「ごめん、今無理」
一切目もくれず、メーベルはとんとんと指先で加護分布図を見る。
『人に教えてる暇なんてないでしょ』
言葉にしなくても、彼女の言わんとしている意図が分かる。
「うん、無理。私も余裕がない」
「ッガーー!マジかよ、頼みの綱!」
カロンが頭を抱える。
「そもそも、あんたら二人ともアルクセイに頼りすぎなのよ。さぞ優秀な同室を頼りなさい」
あいつ。
オーウェンのことだ。
溜息を吐きながら、メーベルは頬杖をついて双子を睨んだ。
「だってあいつ、教えてくれねぇし」
「あんた達、二人の態度が悪いから匙を投げてるって話だったけど?」
メーベルの指摘に、更にカロンが不貞腐れる。
その隣でキランが苦笑いを浮かべた。
「アルクセイの方が教えるのが上手いからさ、つい。それにオーウェンは騎士団に行っていて、いないんだよ」
そう、あの金髪は六年生にあがる直前の長期休暇で、なんと魔法階位を八階位にまであげたのだ。史上最年少を更新したものだから、こうなると魔法騎士団も放ってはおけないらしく、長期休暇明けにすぐに異例のスカウトが来た。
学園から特別許可も出て、授業は免除。
魔法騎士団に赴いているそうだ。
ゆくゆくは魔法騎士団団長などと言われ、何とも華々しい将来だ。
「……」
一方、私はと言うと、魔法階位は何とか頑張っても六階位。折角、進路を決めたというのに、目の前の加護分布図にうんうんと唸り、旅に出たいと現実逃避をするばかり。
こうも道が分かたれ、片や華々しく、片や机に突っ伏し、更にあのムカつく顔も見なくなると、戦意も薄れる。
(……あいつが全部悪い)
現実逃避の次は、責任転嫁が始まってしまった。
思わず細く長く深い溜息が、加護分布図の上を流れて行った。
「……うわ。ねぇ、メーベル。この人どうしちゃったの?」
頭上で引き気味のキランの声が、メーベルに向かって飛んでいく。
「喧嘩相手がいないからでしょ」
「ちょっと、メーベル!」
「あ〜納得。オーウェンに言っておこうか?アルクセイが寂しがってるって」
確かに責任転嫁はした。
ちょっとだけ、やる気も消えていた。
けれど、カロンの言うことは断じて違う。
あいつがいなくて寂しいなんてことはない。
それだけは、絶対に、違う。
「寂しくなんてない!」
否定しようと立ち上がると、キランがへらへらと笑った。
「必死じゃん」
「〜〜!」
キランのその言葉に、最早否定を重ねても間違った方へ解釈されるのだと悟った。
私は心を落ち着かせるため、再び大きく息を吐いた。
「……図書館に資料探しに行ってくる」
これは戦略的撤退である。
ついでに場所を変えて、気分を変えよう。
机の上の勉強道具をまとめて、腕に抱える。
「はぁい、いってらっしゃい」
「……」
ひらひらと手を振るメーベル。痛いとこ突きやがって、と文句を言いたくなったけれど、彼女に口で勝てたことは……思い返してもあまりない。
彼女の言うことは全て、的を射ているのだ。
そしてそれを誰かに言える位に、彼女は自分にも厳しい。
その証拠に、彼女は護政官になるため、五年生から私とロレンティアと同じクラスに進んだのだ。
むすっとした顔の私に気付いたメーベルは、苦笑いを浮かべた。
「帰ってきてもまだ煮詰まってたら、一緒に夜食でも食べに行きましょ」
こいつめ。
こういう所がずるい。
「……煮詰まってなくても行く」
「わかったわ、待ってる」
私は談話室を出た。
♢
図書館は、夜が更けるとほとんど人はいなくなる。
司書さんも学園内の家に帰り、警備用の魔導具が静かに作動しているだけだ。六年生になると、司書さんがいない時間も特別に利用が許可される。
図書室の中には、私の他にも数人の気配が僅かにあるだけで、とても静かだ。
眠くならないようにの配慮なのか、昼間のように明るいのもありがたい。
「えぇっと……」
脚立を使って、背の高い本を探す。この脚立はとても便利で、板幅が広いおかげでそのまま腰かけて、膝に資料を乗せて確認ができるので、わざわざ降りる必要がない。
あの厄介な加護分布図を、何としても倒さなくてはいけない。
加護分布図を見て、最低でも三日先の加護バランスを読めないといけないらしい。これが何とも難しいのだ。
「あー……これは読んだ……」
一人で本を開きながら、ボソボソと呟く。
今までだったら、教室でこうやってボソボソと一人で手をこまねいていると、隣の金ピカ男が、やれうるさいとお節介にも口を出してくるのだ。
今ではそれが全くない。
そういえば、最後に会ったのはいつだろうか。
ふと思い出してみようとして、指折り数えようとしたが、すぐにやめた。
これでは本当に、寂しく感じているみたいだ。
「はー……」
こんなに気持ちが後ろ向きだなんて、少し疲れているのかもしれない。
目を閉じて、ゆっくり呼吸をする。
(……あ、やば。眠くなってきたかも)
本当だったら、ベッドに入っている時間だ。
メーベルが待っているのに。早くしないと。
「なぁ、下着見えてんだけど」
不意に下から飛んできた言葉に、思わずハッと目を開き、反射的にスカートの裾を抑えた。
すっかり油断をしていた。
その拍子に、膝の上に置いていた参考資料が落ちてしまった。中には貴重な物もある。慌てて手を伸ばした時、そのままバランスを崩してしまった。
「っ!」
そこまでの高さはないが、落ちたらそれなりに痛いだろう。
覚悟をして受け身を取ろうとした瞬間、身体を抱き留められる感覚がした。よく嗅ぎなれたオルドウッドの魔力香が、鼻を掠める。
「……猿だろ、落ちんなよ」
「……っこの、あんたって奴は」
顔を見なくても、声と魔力香で分かる。オーウェンだ。
オーウェンは私を子どものように両脇を掴んで抱え直すと、そのまま床に下ろした。
また暫く見ない内に背も大きくなったし、騎士団にいるからか、筋肉もついてたくましくなっていた。
「変態、最低、スケコマシ、馬鹿、阿保、女の子の下着を見るな、跪いて謝れ」
目の前の金髪男を睨みつけると、男は鼻でさも楽しそうに笑った。
図体ばかり立派になって、生意気。
「嘘に決まってんだろ」
「最低な嘘」
「はいはい、どうもすみませんでした」
「心が籠ってない」
「籠めてないから。次は気を付けろよ」
ムカついて拳で胸板を叩くが、びくともしない。去年まではこの位の力だとよろけていたのに。やっぱり生意気。次はもっと力をいれようと、静かに決めた。
「ていうか、ここ図書館だから。静かにしてよ」
「今、人いねぇけど」
言われて気が付く。足音もしなければ、人の気配もない。
どうやら先ほど、うとうとしている間に、他の生徒は既に寮に戻ったようだ。
何だか自分が間抜けすぎて、恥ずかしさを紛らわせるためにスカートの裾を直した。
「……で?授業免除の八階位様が、何の御用で?」
「別に。本を借りに来たら、脚立の上で寝落ちしかけてる猿がいたから、声を掛けただけ」
そう言って、床に落ちた本をオーウェンは拾った。
その手には、私が落とした本以外にも、軍事学やら神話学の本を拾っていた。
(……あれ?)
オーウェンが拾ったのは、魔法にはさして関係ない後期の神話学だ。
(……確かその時代は、聖女信仰の走りになった年代だよね)
この本を借りるのは、大抵が聖女を夢見る女子生徒だ。
こいつ、そんな乙女思考だったか?いや、もしかしたら女の子を口説く為の引き出しにするのかもしれない。触れるのはよそう。
「……それにしては声の掛け方、最悪じゃない?」
「何?下着の色まで言って欲しかった?」
「そんなわけあるか!変態!!」
「じゃあ次は、高い場所で寝るなよ」
私が落とした参考資料まで拾ってくれたらしく、頭の上にぼすんと置いた。
この金髪め、背が高いからって調子に乗って!
ふん、と鼻を鳴らして頭上の本を受け取る。
「……進路、護政官にでもなんの」
その声は、オーウェンにしては至って静かなものだった。
恐らく私が落とした参考資料のタイトルから推測したのだろう。どれも加護分布図に関わるものだ。護政官ぐらいしか使わない。
進路を決めてから、こいつに会ったのはこれが初めてなのに気が付いた。
「……うん。なれるか分かんないけど」
「ふぅん、弱気だな。てか、一族に戻るのはどうした?あんなに言ってたろ」
「やりたいことができたの。いいでしょ」
「なに、やりたいことって」
「……」
(やけに聞いてくるな……)
やりたいことと言っても、仕事を通して母親のことを知りたいだけだ。
そんな大層な志ではないので、答えたくない。
口籠っていると、オーウェンは「ただの雑談だし、無理に答えなくていいけど」と、自分から聞いてきた癖に興味無さそうにして、そのまま床に座った。
(本当に公爵家のお坊ちゃんか?)
こいつは人目がないと、行儀が悪い。
「そっちは何で騎士団なの?」
「天才だから」
「……まともに答える気無いでしょ」
「無い」
淡々と答えながら、オーウェンはそのまま分厚い本を開いた。自分は答える気がないのに、私には聞いたらしい。だから私が答えなくても、さして気にしなかったようだ。
何だかまともに相手をするのも馬鹿らしい。
私は再び脚立に腰を掛けて、今度は足を床につけて、本を読み始めた。
少しうとうとしたからか、僅かに頭はスッキリしている。けれど、そんなことでこの加護分布図という難問が解決するのなら、もうとっくに解決している。
隣の男がパラパラと早いスピードでページを捲る音が聞こえる。暫くすると、ばたんと本を閉じた。
「俺は読み終わったから帰るけど、お前は?」
「……まだ分からない所があるから残る」
「どこ?」
ずい、と私の手元の本を覗き込む。
久々だからか、こいつ、図々しさに拍車がかかってない?
「……加護分布図。予測が難しい」
どうせ言ったって、加護分布図は騎士団とは分野が違う。分かるはずがない。
手元の本をオーウェンに渡すと、そのまま受け取り、またパラパラとページを捲る。読めているのか疑問に思う速さだ。室内に紙の音と呼吸の音がやけに響いて、何だか居心地が悪い。
「あー、分かった」
「は!?」
「教えようか、俺で良いなら」
胡座をかいて頬杖をしながら、オーウェンは脚立に座る私を見上げる。
――こんなにも難航している加護分布図を、理解した?
半ば疑いながらも、本当にこの男が理解したのかという好奇心もあり、私は「いいよ」と返した。やれるもんならやってみろ、という意味合いでもある。
オーウェンは、私が隠した言外のニュアンスを感じ取ったのか、僅かに目を細めて鼻で笑った。
「どこが分かんねぇの」
見透かされている居心地の悪さを感じながら、私はオーウェンの隣に腰を下ろし、その膝の上にあった本を受け取る。
「この辺から。神話的背景を基に加護が流動的に範囲が変わるのは分かったけれど、だからって何でこういう動きをするのか分かんない。どの本も説明が『風神だから』とか『火神だから』で終わっていて、私に優しくない」
「……あー、そういう暗黙の了解みたいなのに弱いのな」
さらっと弱点を見抜かれて、私はムッとするが押しとどまった。一応でも教えてくれるのだ。歯向かうのは行儀が悪い。
「お前の……まあ、戦闘民族的な言語で言う所の、戦略図なわけ」
節くれだった指でページを叩く。
「まず必要なのは神話理解。例えばここの森一帯は春女神の加護、北側に雨神、さらに付近には夏女神。夏女神は春女神を追いかける者……つまり侵攻する、そうすると雨神が乾いた土地を潤す為に、ここへ移動する」
とんとん、とオーウェンの節が目立つ指がページを叩く。
なるほど。
各々の神々の特性は頭に入ってはいるけれど、戦略図として見方を変えれば、確かに理解が進む。
「……陣取り合戦ってこと?だから一つ場所に複数の神様が拮抗すると、場が荒れてバランスを崩して、災害や天候がおかしくなる」
「そ。んで、神様同士の押し引きを予想して、数手先を読む。でもこういう類は経験が物を言うんだろうから、過去の分布図を見て掴んでおけばいんじゃね」
(……分かっちゃった)
どうやら私は、回りくどく考えてしまっていたようだ。
(……それにしてもさぁ)
私がうんうんと唸っていた問題を物の数分で解決されてしまった腹立たしさと、思いの外分かりやすく説明してもらった悔しさもあったが、何よりこの男が、こんなにもすんなりと親切に教えてくれるなんて思ってもいなかったので、肩透かしのような、そんな気持ちを覚えていた。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
「……見返りは?どうせ何かあるんでしょ」
言われる前に聞いてやろう。
もしも後から『有料に決まってるだろバーカ』等と言われてしまったら悔しい。じっと覗き込んで睨む。相変わらず整った顔をしている。
オーウェンは口をぐっと結ぶ。何だその顔は。
「……はぁ。ま、俺が悪いのか」
「は?」
「何でもありません。これはただの気まぐれ。お前に何か施される程、困ってないので結構です」
「うっわ、ムカつく」
「お褒めにあずかり光栄です」
「褒めてないわ」
いつも通りの不毛な会話。全くもってキリがない。
夜も遅いし、メーベルも談話室で待ってる。
私がスカートを払いながら立ち上がると、一緒になってオーウェンも立ち上がった。
「なに」
「用事が済んだから戻るんだよ」
オーウェンは、さっきまで読んでいた本を、脚立を使い戻した。
……私が四段まで登って取り出した本を、軽く二段目に足を掛けるだけで届いているのも、腹立たしい。
寮に戻るのか、私の隣を黙って歩く。
騎士団でのことを聞いてみようかとも思ったけれど、どうせこの男のことだ。天才だの何だのと相変わらず持て囃されて、上手くやっているのだろう。
私とは違い、顔色を変えることなく何でも卒なくこなすのだから、わざわざ聞くのも野暮かもしれない。
この学園の寮は、必ず寮のラウンジを通らないと行けない構造になっている。
トランディアの住宅におけるリビングという、憩いの場の役割なのだそうだ。
談話室の扉の前に立つと、オーウェンはそのまま「じゃ」と短い挨拶をして、そのまま通り過ぎようとした。
「え、戻るんじゃなかったの」
「戻るけど、騎士団に」
オーウェンは素っ気なく返すと、そのままほんのりと照らされた石造りの廊下を歩いて去っていった。
「……なに、あいつ」
久しぶりに学園に戻って、建物の構造を忘れてしまったのだろうか。
図書館から談話室を経由したら、出入口まで遠回りになる。
「……忘れるほど疲れてたのかな」
あいつでも疲れるんだ。
人間だから当然か。
頭を捻りながらラウンジに戻ると、机に突っ伏して眠ってしまったメーベルの姿があったので、彼女を起こし、待たせてしまったことを謝罪した。私も何だか眠くなってしまったので、一緒にお風呂に入り、その日はぐっすりと眠った。
ブックマークありがとうございます。
嬉しくて浮かれています。
加護分布図は天気予報図みたいなものです。




