第11話 - 「繋がりを断つ剣」①
地下深く。
王城最下層の封印区画には、絶えず低い唸りのような音が響いていた。
奇跡炉の脈動。
壁一面に刻まれた古代術式が、青白く明滅している。
その中央、巨大な円形術陣の中へ、響は立っていた。
床へ描かれた紋様は、彼の身体を囲うように幾重にも重なっている。
ユラは陣の外側へ立ち、術符を指先で展開していた。
灰色の耳が、ぴくぴくと神経質に揺れる。
カノンは少し離れた場所で、息を呑んだまま様子を見守っていた。
地下空間は異様に冷える。なのに響の額には、大量の汗が浮いている。呼吸も浅い。
既に何時間も、術は繰り返されていた。
一度も成功していない。
ユラが低く言う。
「次は、“お前自身”で押し返せ」
響は荒い息を吐く。
「……簡単に言うなよ」
「簡単じゃない」
ユラの声は冷たい。
「これは魂の主導権争いだ」
「お前が“自分”を手放した瞬間、あれに全部持っていかれる」
響は唇を噛む。
自分。
その言葉が、最近ひどく曖昧だった。
怒り方。考え方。視線。
時々、自分の感情へ混ざる、知らない誰かの感覚。
雪。血。玉座。
そして……カノン。
彼女を見るだけで胸が締め付けられるあの感情が、本当に自分のものなのか、もう分からない。
ユラが術符を打ち込む。
魔法陣が発光した。
瞬間。響の全身へ、杭を打ち込まれたみたいな激痛が走る。
「ッ――!!」
身体が跳ねた。
血管の内側を、熱い何かが無理やり流れていく。
骨の奥を掻き回される感覚。
呼吸が止まる。
頭の中へ、記憶が雪崩れ込んできた。
戦場。剣戟。怒号。炎。玉座。冷たい視線。
“無能な王”。
知らない感情が、響の心臓へ直接流れ込んでくる。
苦しい。怖い。認められたい。理解してほしい。
ユラが叫ぶ。
「拒絶しろ!!」
「“お前じゃない”って言え!!」
響は震える腕で、自分の胸を掴む。
違う。
これは自分じゃない。
自分は王じゃない。
斎木響だ。
普通の大学生で。
ショッピングモール歩いて。
友達と遊んで。
課題サボって。
そんな人生だった。
なのに。
記憶が、それを押し潰そうとする。
『それは仮初だ』
低い声が頭の奥で響く。
『お前は私だ』
響は歯を食いしばる。
「……ちがう……!」
黒い靄が、身体から浮きかける。
だが次の瞬間、術式が弾けた。
バチン、と。
光が砕け、魔法陣の一部が焼き切れる。
響は床へ手をつき、荒く咳き込む。
呼吸だけで肺が痛い。
ユラが舌打ちした。
「駄目だ。まだ引き剥がせない」
カノンが響を見る。
彼の肩は、まだ小刻みに震えていた。
だが休む間もなく、ユラは再び術符を構える。
「もう一回やる」
響は顔をしかめる。
「次で浮かせる」
「今度は絶対に、飲まれるな」
「くそ……!」
再び術式が起動する。
今度はさっきより強い。
空気そのものが重い。
耳鳴り。視界が歪む。響は息を呑む。
その瞬間。
頭の奥で、何かが目を開いた。
『やめろ』
声。次の瞬間。
響の身体が激しく反り返る。
「ぁあああああッ!!」
全身の筋肉が痙攣する。
床へ叩きつけられた指先が、石を掻いた。
口から血が溢れる。赤が床へ飛び散った。カノンの顔色が変わる。
「響!!」
ユラが怒鳴る。
「近づくな!!」
響は血を吐きながら、必死に呼吸する。
痛い。
痛い。
痛い。
身体の中を、誰かに無理やり裂かれているみたいだった。
『お前は私だ』
頭の奥で、王の声が響く。
その瞬間。
黒い靄が一気に膨れ上がった。
人型。王。完全な姿ではない。
だが輪郭だけで、そこに“いる”と分かる。
響の口が、勝手に動いた。
「やめろ」
低い声。
響のものじゃない。
空間が震える。奇跡炉の光が激しく脈打つ。
王の影は、ゆっくりカノンを見る。
その目だけが、異様にはっきりしていた。
懐かしむみたいに。愛おしむみたいに。
カノンの指先が震える。
その瞬間。響が絶叫した。
「ぁあああああああッ!!」
黒い影が、無理やり身体へ引き戻される。
術式が暴発する。
衝撃波。札が吹き飛ぶ。
床の紋様が焼き切れ、青白い火花が散る。
響は床へ崩れ落ちた。
しばらく、誰も動けなかった。
静寂。荒い呼吸だけが響く。
響は床へ伏したまま、血を吐きながら震える声で呟く。
「……なんだよ、あれ……」
ユラは険しい顔のまま、響を見下ろす。
「もうただの憑依じゃない」
灰色の瞳が細められる。
「魂同士が、一つになり始めてる」




