第8話 - 「似ていく」①
王都・リュミエル。
巨大な白壁都市。
幾重にも重なる尖塔。
空中水路。光る街灯。聖堂の鐘。
遠目に見れば、まるで理想郷だった。
だが近づくほど、街の綻びが見えてくる。
外壁には亀裂。
光樹は半分以上が枯れ、枝先が黒く変色している。
空中水路はところどころ止まり、濁った水が石畳へ垂れていた。
そして街全体に漂う、妙な静けさ。
活気がない。
人々が笑っていない。
市場では、果物ひとつを巡って言い争いが起きている。
痩せた子供。疲れた商人。虚ろな目。
“聖王国”。
そう呼ばれるには、この国は少し疲れすぎていた。
そんな街へ、カノンと響は入っていく。
門兵たちは、カノンを見るなり顔色を変える。
敬礼。
だがその直後、視線が彼女の片翼へ落ちる。
一瞬だけ、空気が濁った。
恐れ。嫌悪。そして嫉妬。
片翼でありながら、数々の武勲を打ち立て、王に最も近かった女。
それがカノンだった。
民衆もざわめく。
「片翼だ」
「近衛団長……」
「帰ってきたのか」
「隣の男、誰だ?」
響は居心地の悪さを感じる。
だが同時に。
街を歩くたび、知らない記憶が脳裏を掠めた。
ここを知っている。
噴水広場。時計塔。聖堂前の坂道。
足が勝手に進む。
大通りを進めば王城は見える。
なのに響は、ふと横道へ入った。
石造りの細い路地。
傾いた街灯。剥がれた壁。水の止まった小さな水路。
初めて来たはずなのに、迷いがない。
次の角を左。
古い聖堂の裏を抜ける。
白いアーチの下を通れば、王城へ近い。
そんなこと、誰に教わったわけでもない。
響自身も、自分が自然に道を選んでいることに気づいていなかった。
「……」
カノンは足を止めかける。
その道は、かつて先王が人目を避けて使っていた近道だった。
護衛すら置き去りにして、王が一人で街へ降りる時の道。
知っている者は少ない。
なのに響は、当然みたいにそこを歩いている。
通りすがりの老人が、ふと響を見た。
少年の横顔。歩幅。視線の向け方。
その一瞬に何かを見たのか、老人は息を呑んで立ち止まる。
別の女も、言葉を失ったように響の背中を見送った。
誰もはっきりとは言わない。
けれど空気だけが揺れる。
まるで。
王都そのものが、死んだはずの誰かを思い出しているみたいだった。
その様子を見たカノンの胸がざわつく。
まるで本当に“帰ってきた”みたいだったから。
――
王都へ戻ったその日から、響は周囲の視線に晒され続けていた。
「王の器」。
そんな曖昧な存在を、誰もどう扱えばいいのか分からない。
敬うべきなのか。警戒すべきなのか。
王城の空気は、目に見えない棘みたいに張り詰めていた。
石造りの回廊を歩きながら、響は小さく肩を落とす。
「……居づら」
「当然です」
隣を歩くカノンは即答した。
山吹色の髪が、窓から差し込む夕陽を受けて淡く揺れる。
「あなたは世界侵食の中心にいる存在です。警戒されない理由がありません」
「言い方」
「事実ですので」
言いながら歩き、ユラに合流する。
彼女は灰色の長耳を揺らしながら、壁へ寄りかかるように言った。
「でもまあ、時間ないのも本当」
響が眉をひそめる。
ユラは続けた。
「世界の侵食を止めるには、先王の魂をお前の身体から引き離して循環に還すしかない」
その言葉に、回廊の空気が少し冷えた。
「……循環に、還す」
「放っとけば、そのうちお前ごと王になるよ」
軽い口調。
でも冗談じゃない。
響は無意識に自分の胸元を掴む。
最近ずっと、身体の奥に誰かがいる感覚があった。
夢。記憶。感情。
知らないものが、少しずつ混ざってきている。
ユラはそんな響を見て、少しだけ真面目な顔になる。
「引き離しの術は知ってる。でも術中、お前の中の王が暴れる可能性がある」
「準備がいる。触媒も、場所も、あんたの状態確認も」
「王が暴れる?」
「身体の主導権を奪われるって意味」
響の背筋に寒気が走る。
カノンが静かに口を開いた。
「危険ですので、広い場所で行います」
「……どこで?」
「訓練場です」
響が嫌そうな顔をする。
「嫌な予感しかしないんだけど」
「安心してください」
カノンは真顔だった。
「私が止めます」
全然安心できなかった。




