第7話 - 「崩れる山」②
一日目の夜。
村は泥と煙の匂いに包まれていた。
カノンは最後まで働き続けた。
傷だらけの手で瓦礫をどかし、動けなくなった老人を背負い、壊れた橋に板を渡した。
誰も彼女へ礼を言わない。
それでもカノンは、何も求めなかった。
ただ黙って働いた。
ユラはその姿を遠くから見ていた。
二日目。
土砂に埋もれた家から、遺体が見つかった。
村に低い泣き声が広がる。
響は何も言えなかった。
言葉なんて役に立たない時がある。
ただ、遺体を包む布を運んだ。
三日目。
ようやく雨が止んだ。
仮設のテントには、最低限の秩序ができていた。
子供たちはまだ怯えていたが、泣き疲れて眠れるようになっていた。
負傷者にも、薬草が行き渡り始めている。
灰耳族たちの響を見る目が、少し変わっていた。
王の器。殺すべきもの。
それだけではなくなっていた。
その夜。
焚き火の前で、ユラが響の隣へ座った。
白い装束は泥で汚れ、仮面の端も欠けている。
それでも彼女の表情は、相変わらず静かだった。
「あんた、変だね」
響は疲れ切った顔で笑う。
「よく言われる」
「王の魂を抱えてるのに、王みたいじゃない」
その言葉に、響は少し黙った。
遠くで、カノンが子供に水を渡している。
子供はおびえたように彼女を見たあと、小さく頭を下げた。
カノンはどうしていいか分からない顔をして、ただ頷いた。
ユラはその様子を見て、小さく息を吐く。
「この侵食を止めるために、王都へ行くんだろ」
響は頷く。
「そのつもりだ」
「灰耳族も、もう静観じゃいられなくなった」
ユラは焚き火を見つめる。
炎の中で、灰色の瞳が揺れた。
「この王の魂を護衛するのは気持ちが悪い」
率直すぎる言葉だった。
響は苦笑する。
「そこは言うんだな」
「でも同行する。役に立つよ」
その声には、迷いがなかった。
響は少しだけ驚いてユラを見る。
「いいのか? 仲間に怒られるんじゃ」
「怒られるよ」
ユラは淡々と言う。
「でも、ここまで壊れてるのに何もしない方が、もっと怒られる」
その時、カノンが戻ってきた。
ユラを見る。
ユラもカノンを見る。
しばらく沈黙。
先に口を開いたのはユラだった。
「しばらく一緒に行く」
カノンの眉がわずかに動く。
「信用できるとでも?」
「できないでしょ」
ユラは即答した。
「私もあんたたちを信用してない」
焚き火が小さく爆ぜる。
ユラは続ける。
「でも、このまま王都へ行かせるより、近くで見てた方がいい」
カノンは何も言わない。
だが反対もしなかった。
それが、彼女なりの了承だった。
四日目の朝。
村を出る時、助けた子供が響へ小さな木札を渡した。
灰耳族の守り札らしい。
響が礼を言うと、子供はすぐに両親の後ろへ隠れた。
両親は複雑そうな表情をして響とカノンに頭を下げる。
出発の準備をしていた時、数人の灰耳族がユラの前へ立った。
一人は、片腕に包帯を巻いた男だった。
「長、本気ですか」
声は低い。
怒りを抑えているのが分かった。
「王の器と行くなど」
別の女が続ける。
「村を離れるのですか。まだ怪我人もいる」
「あなたがいなければ、誰がここをまとめるんです」
ユラは黙って聞いていた。
若い。
長と呼ばれるには、まだ若すぎるようにも見える。
けれど彼女は、誰からも目を逸らさなかった。
「だから行く」
静かな声だった。
灰耳族たちが息を呑む。
ユラは村の奥を見た。
泥に沈んだ家。
仮設の布屋根。
眠る子供たち。
それから、空に走るノイズの裂け目を見上げる。
「ここだけ守っても、世界が壊れたら意味がない」
誰もすぐには答えられなかった。
ユラは続ける。
「村は任せる。薬草の配分は昨日の通り。水場には見張りを置いて。崩れた斜面には近づけないで」
淡々とした指示。
迷いはない。
不満は残っている。
それでも灰耳族たちは、最後には武器を下ろした。
「……分かりました」
包帯の男が、苦い顔で頭を下げる。
ユラは小さく頷いただけだった。
ユラは歩き出しながら言う。
「勘違いしないで。あんたに気を許したわけじゃない」
響は肩をすくめる。
「俺も、何を警戒される立場なのかまだ分かってない」
ユラは一瞬だけ振り返る。
「王都へ行けば分かる」
その声は、前より少しだけ重かった。
山道の先に、王都へ続く街道が見えてくる。
空にはまだ、ノイズのような裂け目が走っていた。
遠くで、聞こえるはずのない駅のアナウンスが流れる。
『まもなく――』
声は途中で千切れた。
響は空を見上げる。
この世界は、壊れ始めている。
そしてその中心に、自分がいる。
ユラが静かに言った。
「王都の地下には、翼の墓がある」
カノンの足が止まる。
ほんの一瞬。
響だけが、それに気づいた。
ユラは続けない。
ただ前を向く。
「見れば分かるよ」
それ以上、誰も何も言わなかった。
三人は王都へ向けて歩き出す。
崩れた山の匂いを、背中に残したまま。




