第6話 - 「寺院の生き残り」②
灰耳族の瞳に、長年燻り続けた殺意が宿る。
そして次の瞬間、一斉に殺気を放つ。
「器ごと殺せ!」
鋭い声と同時に、本堂の空気が爆ぜた。
灰耳族たちが動く。
速い。
人間の動きじゃない。
焼けた柱。
崩れた床。
半分落ちた梁。
寺院跡の壊れた構造を知り尽くしているみたいに、彼らは音もなく駆けた。
白い装束が視界の端を滑る。
鈴が鳴る。
しゃん。
その音に気を取られた瞬間、別の影が響の死角へ回り込んでいた。
響は反応できない。
目の前へ、骨槍の切っ先が迫る。
だが。轟音。
カノンの大剣が、横から槍ごと叩き潰した。
衝撃で床板が割れる。
灰耳族の一人が吹き飛び、焼けた柱へ激突した。
カノンはそのまま踏み込む。
片翼。飛べない。
だからこそ、地面を蹴る速度だけが異常だった。
白い軍服が翻る。山吹色の髪が、炎みたいに揺れる。
だが灰耳族たちも退かない。
一人が札を投げる。
空中で札が発光した。
次の瞬間、無数の黒い針が放たれる。
響の背筋が凍る。
だがカノンは止まらない。
大剣を回転させ、暴風みたいに薙ぎ払う。
火花。
呪符。
衝撃。
黒い針が空中で砕け散る。
その裏で、別の灰耳族が鈴を鳴らした。
しゃん。
視界の奥で、白い影が増えた。
一人が二人に。
二人が四人に。
幻影。
カノンの目が一瞬だけ細くなる。
その隙に、短刀を持った灰耳族が背後へ回った。
首狙い。
響が息を呑む。
だがカノンは慌てない。
背後の気配へ、半歩だけ重心を落とす。
次の瞬間。
巨大な大剣が、彼女の身体ごと回転するように振り抜かれた。
空気を叩き割るような轟音。
空気が潰れる。
灰耳族は咄嗟に短刀で受ける。
だが止まらない。
重量そのものを叩きつけるみたいな一撃だった。
骨の砕ける音。
灰耳族の身体が横殴りに吹き飛び、焼けた床を転がる。
それでも、別の影がすぐ動く。
倒れた仲間を囮にするみたいに、二人が左右から踏み込んでくる。
片方は槍、もう片方は呪符。
荒れ果てた今の寺院跡では、灰耳族側が有利だった。
どこに足場が残っているか。
どの柱が死角になるか。
どの床が踏めば抜けるか。
彼らは全部知っている。
カノンはその全てを、力で押し潰して進んでいた。
響は息を呑む。
強い。
異常なほど。
相手も弱くない。
むしろ、この場所では厄介すぎる。
それでもカノンは、一人で戦場の中心を支配していた。
さっきまで動揺していたのに、戦闘へ入った瞬間、完全に別人だった。
カノンは焼けた本堂の中央へ立つ。
巨大な剣を構えたまま。
その姿はまるで、墓場へ一人立つ処刑人みたいだった。
戦闘は、一瞬だけ止まった。
焼けた本堂に、粉塵がゆっくり落ちていく。
灰耳族たちは距離を取り、低く身構えている。
その中央で、カノンは大剣を構えたまま、ユラの前へ立っていた。
その時、灰耳族の一人が放った呪符が、真っ直ぐ飛んできた。
でもそれは、直接カノンだけを狙った軌道じゃなくて――
仲間ごと巻き込む軌道。
だがカノンは、反射的にその前へ踏み込んでいた。
呪符に向かって大剣を振り抜く。
大剣が呪符を叩き潰す。
黒い火花が散る。
カノンの軍服の袖がわずかに裂けた。
響は目を見開く。
守った。
敵を。
しかもカノン自身、それを無意識にやったように見えた。
響は一瞬、状況が理解できなかった。
ユラも少し驚いたように、カノンを見ている。
本堂へ奇妙な沈黙が落ちる。
響はゆっくりカノンを見る。
彼女は気づいていない。
自分が今、誰を庇ったのか。
ただ、大剣を握る手だけが、微かに震えていた。
響の胸に小さな違和感が残る。
敵のはずなのに。
殺し合ってるはずなのに。
カノンだけ、どこか戦えていない。
いや、戦いたくないように見えた。
張り詰めていた空気が、ゆっくり揺れる。
焼けた本堂。
崩れた柱。
散った呪符。
灰耳族たちはなお武器を構えていたが、誰も次の一撃へ踏み込まない。
その沈黙を破ったのは、ユラだった。
彼女は静かに鈴杖を下ろす。
しゃらり、と小さな音。
そして。
「……やめた」
灰色の瞳が、真っ直ぐカノンを見る。
その目にはもう、殺意がなかった。
あるのは、ひどく疲れた色だけ。
「皆、武器を降ろせ」
灰耳族たちが動きを止める。
不満そうに殺気を残す者もいたが、誰も逆らわない。
骨槍が下がる。
短刀が鞘へ戻る。
鈴の音が、ひとつずつ消えていく。
焼け跡に、静けさが戻ってくる。
カノンはなお警戒を解かない。
大剣を構えたまま、ユラを睨んでいる。
ユラはそんな彼女を見て、小さく息を吐いた。
「……変わってないね」
その声音はどこか寂しかった。
カノンの眉がわずかに動く。
だが返事はしない。
ユラは静かにカノンを見つめる。
灰色の瞳が、彼女の構えた大剣へ向いた。
刃には、さっき砕いた呪符の黒い煤がまだ残っている。
「まだその剣なんだ」
カノンの指先が、ぴくりと動く。
響は二人を見比べる。
空気がおかしい。
敵同士の会話じゃない。
もっと、昔を知っている者同士の声だった。
ユラは小さく息を吐く。
「昔から変わらないね」
「嫌なことがあると、すぐそれ握る」
カノンの目つきが鋭くなる。
「……黙れ」
短い声。
だが響は、その反応に違和感を覚える。
今のやり取り、敵への態度じゃない。
図星を突かれた人間の反応だった。
ユラは少しだけ目を伏せる。
仮面の奥で、小さく息を吐いた。
「……あの時、お前だけ生き残ったのに」
静かな声。
責める響きはない。
だから余計に痛い。
「もう全部終わったはずなのに、まだそんな顔してるんだね」
カノンの呼吸が止まる。
大剣を握る音だけが、焼けた本堂へ小さく響いた。
ユラは視線をずらす。
今度は響を見る。
その瞬間。
響の胸の奥が、嫌な感じにざわついた。
灰色の瞳。
感情の薄い声。
なのに、その視線だけは妙に重い。
まるで、響の中にいる“誰か”を見ているみたいだった。
ユラは静かに言う。
「……私の口から聞いても、信じないでしょ」
響は眉をひそめる。
「何を」
ユラは答えない。
ただ、焼けた本堂の奥へ視線を向けた。
そこにはもう何もない。
黒い柱と、崩れた床と、風に揺れる古い札だけ。
それでも彼女の目は、ここではないどこかを見ていた。
墓を暴く前のような、静かな目だった。
「お前自身で見ればいい」
ユラはもう一度、響を見る。
いや。
響の中にいるものを見る。
「王の地下室を見ろ」
響は言葉に詰まる。
地下室?
だがユラは、それ以上説明しない。
風が吹く。
焼けた本堂の奥で、古い風鈴が小さく鳴った。
ちりん。
ユラは背を向ける。
白い装束が、薄暗い境内へ溶けていく。
去り際、彼女は一度だけ、振り返った。
仮面越しの灰色の瞳が、カノンへ向く。
「知った時、お前はきっと壊れる」
その言葉だけを残して、灰耳族たちは静かに山の闇へ消えていった。
あとに残ったのは、焼け跡の静けさと。
“王の地下室”。
その不気味な響きだけだった。




