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【6】聖女の光〈1〉

 ──ルシアン・ベルクレアを、必ず幸せにする。


 エナはそう心に誓うと、まずは現状を把握すべく、腕の中のルシアンと部屋の様子を素早く観察した。


 正面には、部屋の中央を陣取る高級そうな黒檀のデスク。右側の壁は天井まで届かんばかりの本棚に埋め尽くされ、左側の備品棚には、色とりどりの薬瓶が並んでいた。

 エナは、部屋の最深部に置かれた座面の深い革張りのカウチに目をつけた。


(とにかく、この酷い顔色をどうにかしないと。あそこのカウチに寝かせて──)


 この後の段取りを決め、ルシアンの冷えた手を強く握りしめた、その瞬間だった。エナの視界が一瞬にして、真っ白に塗りつぶされる。自身の指先から、真珠色の柔らかな光が溢れ出したのだ。それは意志を持つ生き物のように、ルシアンの腕を伝い、彼の全身を包み込んでいった。


(……え、なに、今の光!?)


 戸惑うエナとは対照的に、ルシアンの脳内では、彼を責め立て続けていた不眠のノイズが潮を引くように凪いでいった。代わりに春の陽だまりで微睡むような、暴力的なまでの安らぎが彼を襲う。


「っ……あ……」


 ルシアンは、自分を包む光を認識する余裕さえなかった。数ヶ月分に渡る限界を超えた疲労が、エナから流れ込む熱に蕩けるように一気に押し寄せる。重く沈んでいた瞼が、なにかに誘われるようにゆっくりと閉じていった。


「……ルシアン、様!」


 エナが異変に気づいた時には、すでに手遅れだった。繋いでいた手からふっと力が抜け、ルシアンの体が、糸の切れた人形のようにゆっくりと前へ傾く。


「え、ちょっ、ルシアン様?」


 慌てて支えようとした腕の中に、吸い込まれるように彼の頭が落ちてきた。しなやかな体躯の重みをまともに受け、エナは再び床に膝をつく。


(ちょっと待って、重い……っ! それに今の光、何? 私の手から出たように見えたけど……!)


 エナの思考は真っ白に染まる。何より、突然動かなくなった彼が怖くてたまらなかった。


 エナはなりふり構わず、しなやかな体躯を必死に抱え上げると、ルシアンの胸元に慌てて耳を寄せた。生身の男の固い胸板。その奥で刻まれているはずの拍動を、祈るような心地で探る。


「……すぅ……」


 聞こえてきたのは、驚くほど穏やかで規則正しい寝息だった。

 青白かった頬には、ほんのりと赤みが差し、眉間に刻まれていた深い皺も跡形もなく消えている。


「……寝た? え、嘘、どうしよう」


 自身の手から溢れた光の残滓を、エナはルビーのような赤い瞳で見つめた。


(……私が、何かしたの?)


 目の前で起きた現象に思考をフリーズさせていると、廊下から慌ただしい足音が近づき、研究室の扉が弾かれたように勢いよく開いた。


「あらあら、まあまあ! 魔法探知機がひどく騒がしいと思ったら、こういうことでしたのね」


 飛び込んできたのは、豪奢なローブを優雅に翻した女性だった。銀髪を上品にまとめ、眼鏡の奥で瞳を細めている。


「こんばんは、レディ? お名前を聞いてもいいかしら?」


 少女のような茶目っ気たっぷりに、彼女はパチンとウインクを飛ばした。六十代ほどだろうか、圧倒的な威厳とチャーミングさが同居したような、不思議な雰囲気の女性だ。


「学園長。廊下を走るのはお控えくださいと、あれほど申し上げたはずですが」


 一歩遅れて現れたのは、銀縁眼鏡をかけた四十代ほどの男性だった。少しだけずれた眼鏡のブリッジを中指で押し上げながら、彼はやれやれと言わんばかりに溜息を吐き出す。


「ヴィクター、堅苦しいことは仰らないで。見なさいな、この素晴らしい光の残滓を!」


 ヴィクターと呼ばれた男が、喉を鳴らして短く息を呑んだ。


 彼らの視線は、エナの周囲で蛍のように揺らめく淡い光の粒に、釘付けになっていた。


「あ……あの、これは、その……」


 言い訳を探して視線を泳がせるエナをよそに、学園長と呼ばれた女性は感極まったように胸元に手を当てた。そして、壊れ物に触れるような足取りで歩み寄ると、エナの前で背筋を美しく伸ばし、完璧なまでの淑女の礼をしてみせた。


「よくいらっしゃいました、聖女様。あなたがこの世界へ降り立つのを、我々はずっと待ちわびておりましたのよ」


「せ、せいじょ……?」


 呆然とするエナの腕から、ヴィクターと呼ばれた男がルシアンを軽々と担ぎ上げる。彼は淡々と、けれど確かな敬意を込めて一礼した。


「治癒の光、確かに観測いたしました。──聖女様、ヴェルン王立魔法学園へようこそ。心より、歓迎いたします」

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